6月11日(日) にわか雨予報
青戸のテクノプラザで人を待っている間、2階の展示スペースの椅子に座って本を読んでいました。
その後仲間と一緒に催し物の展示物の張り出しなどを少し手伝ってから、家に帰って続きを読みました。
「沼と河の間で」小説大田蜀山人:童門冬ニ著:毎日新聞社1995年4月発行
沼と河の間で、、沼とは田沼意次、河とは白川藩主だった老中松平定信、、
当時もてはやされた有名な狂歌で僕らも学校で習った…
白河の あまり清きにたえかねて
濁れるもとの 田沼恋しき、、
の時代に生きた人、大田直次郎(大田南畝: 蜀山人)の話。
有名な狂歌師としての筆を折りいい年をして、取り立ててもらうため一から出直しの公務員試験?を受験したものの、本人が作ったものでもない政道を茶化す狂歌の噂がどこまでもついて回り、そのために1回目の試験は落とされる。
2年後の試験で首席で合格するも役がもらえない日々。
そんな中、友人でもある上役たちの引きもあり、しかるべく役に就く。
その後、紆余曲折があり、ついには文人しての才覚を発揮する場面が巡ってきて、取り立てられ、いろいろな役が回ってくる、そうこうしているうちに、時は移り立場も変わっていく。巡ってきた幕府の過去の文書整理のまとめ役も、部下管理のよろしきを得て成功裡に終わる。
その後々、幕府要人から門外漢にもかかわらず、国防問題について意見を求められる場面があり、、この時とばかり政治に対して鬱屈した思い、言えば処世に支障をきたすと我慢していたものを一気に吐露してしまう、ブレーキは効かない。
まぁ、言葉は選びつつも体制に対する真っ向批判だ。
文人として嘘は言えない、ために組織を乱す不穏分子とのレッテルを貼られ体がきつい役目に追いやられるが、、ため込んでいた気持ちのドロドロは吹っ切れた、、。
公務にはつきつつ文人としての晩年も楽しむ老人の日々が静かに語られて、、1822年4月亡くなったと記されています。
十返舎一九、滝沢馬琴との交流も描かれていて、だれるところなく一気に楽しめました。
正直でなければつまらない。文は人なり、が本当のことなら、どうあがいたところでその人となりは文章に現れる。それがすごみで楽しみで、、これといった才能も経験もないのに小説でも書いてみたいと思う輩が最近増えているらしい、だれだ。
自己弁護をするわけではありませんがこれは良い傾向だと思っています。
正直にものを言っては上手に渡っていけないのが世の中。
だからこそバランスを取るためにもどこかで何かで正直でなければ世の中もたないような気がします…あはは。
(今日も午前中青戸のテクノプラザへ行って今日が本番の広報活動に午前中ちょっとだけ参加してきます。参加することに意義がある…とは仲間の発言です。
雨合羽を着て、水戸街道に沿って四つ木から青砥までの道中、雨がひどくなければ歩道のタバコの吸い殻を空き缶に集めたいと思いますが、ま、やらないかもしれません、、その時の気分と雨の状況次第ですが拾わないまでもゴミの状況は観察しつつ会場に向かいたいと思います)
水清くして魚棲まず、って言いますものね。清濁併せ呑むという表現も。人間というものをよく知っていれば、「清く正しく美しく」を強制することもできません。といって、何でもあり、というのも困る。
ずっと前、英仏制作のドラマを見ていたら、フランスの村の神父がナチの兵隊から守るために英国人のパイロットたち(フランスに不時着した)を何人か匿っていて、そのための食糧を確保せねばならない。それで農家のおかみさんたちとかなりタフな交渉をするのですが、神父のやり方に音を上げたオバサンが「あんたは神父かよ、それとも商売人かよ」と怒ると神父さんが「背に腹は代えられませんからな」という。ビデオに2か国語で録画してあったので、この台詞を英語で何というのかと聞いてみたら「I am what I should be」でした。そうね、そうやって生きていかなきゃ。状況次第では聖母にも娼婦にもなる女、って魅力的だと思いませんか。