5月21日(日) 曇り予報
〇 〇 ちゃーん あっ そっ ぼ
、、、あっ とっ で
子供の頃遊びたい友達の所へ行って玄関の外でこう呼びかける
あとで、、と応えられれば今は遊べないという意味なのでまた別の家へ行って友達を誘う
僕らの子供自分はそんな感じでした。大人にもこういう符牒にも似た呼びかけがあるといいなと思いました。
今何か話ししてもいい雰囲気ですか?と気楽に声をかけて道端で30分も1時間も立ち話ができる女性たちがうらやましい。きっとそれこそが生活なのだという憧れにも似た気持ちがある。実際にそれをしたいというのではない。1時間も立ち話をしていたらいい加減疲れるし立ち話では深刻な話ができそうもないし深刻な話もないのに深刻ぶるのもめんどくさい。つまりは単なる憧れなのです。
先程の昔の子供たちの僕らの声かけの仕方も時代遅れもいいとこで、今風ではないでしょうね。子供たちだって昔とは違うもう少し忙しいスケジュールで動いている、多分。
暮らしの中に憧れがあるのはいいことだ。僕にだってある。あるにはあるけどいい大人が口に出すにはいささか恥ずかしい、そんな憧れです。
ところで…まだあかの他人に向かって実際に口に出して言ったことがない言葉が3つある。
あなたが好きです。死んだほうがマシ。もう思い残すことがない。
それぞれ…
全存在をかけてあなたが好きと言える人に会ったことがない。
命があることがありがたい、死んだほうがマシと思えるほどの苦労に遭遇していない。
もう思い残すことがないほどやりたいことをトライしていない。
というほどの意味です。言ったことがないから残念な気持ちというよりは、言わなくて…恥をかかなくて済んだという日本人的な気持ちかな、言わなくて済んで幸運だったと言うべきだと思います。
(持って行き場のない悲惨な現実にさらされている人たちがごまんといるというのに、こんなことを言って不謹慎承知)
言わぬが花。まして未練たらたらがその中身に含まれているならそれはそれで生きる原動力…あはは。
これまたワォですね、、好きですと言われたら…言った相手によりけりで反応は様々ですね、、お母様の言葉…我が姉が、そっくり同じ言葉で、とても親密な間柄であるべき人に直接ではなく僕にはっきりと言ったことを思い出しました。姉はその時心に思ったことを口に出さずにはいられない性格でした。この世では後悔しない、あの世で後悔するかどうかは僕自身あの世に行ったことがないので解りません。
「あなたが好きです。死んだほうがマシ。もう思い残すことがない。」
全部、自分で言ったことはないけど、言われたことはあります。死んだほうがマシは、「死んでもらった方がありがたい」というバージョンで母親から。これはジョークではなく、私が長患いしたときなので、本気での深刻な話ですよ。私のその後の一生を決めた言葉といっていいくらい。ちょっと暗くなりすぎるから、今回はこの辺で。