5月17日(水) 晴れ予報
昨日ジムから戻り昼食を食べ太極拳のビデオを見ていたところに駅前再開発事務局の方が見えた。理事を引き受けている関係上必要書類にサインをした。
図書館から借りてきた※「ガン病棟」第一部を読み始めた。
患者で流刑囚のコストグロートフと女医で放射線科の主任医師ドンツォワの治療方法をめぐっての会話の末の会話の部分からの引用
85ページ
ドンツォワは自分が勝ったと思ったのか、寛大な口調で言った。
「分りました、とにかく葡萄糖の注射はやめましょう。その代わりに何かほかの筋肉注射をします」
コストグロートフは微笑した。
「結局僕が負けました」
「それから、そのオムスクからの手紙は、なるべく早くここへ送ってもらうようにしてくださいね」
女医と別れて歩きながら、コストグロートフはニつの永遠に挟まれたような気持ちになっていた。片や、死すべき運命にある者たちのリスト。片や、永久(傍点付き)追放。星々のような永遠だ。銀河系のような。
引用以上
(永久追放とは…コストグロートフが流刑地で受けた宣告)
ここまで読んだとき多分第二部も読むなと思いました。
※ガン病棟 第一部 ソルジェニツィン 小笠原豊樹訳:新潮社1969年2月発行
(言葉には、軽みあれば重みもある。軽く独り言のように漏らされた言葉の重み。そんな、注意深く吐き出されたため息のような言葉は忘れようがない、、
もうこの角を曲がって(診療に)くることもないのですね、、
母のために長年訪問診療に来てくださったお医者さんの言葉です。
上記の小説に出てくる診療と研究に明け暮れるドンツォワの追い立てられるような日常を想い浮かべながらそんなことも思い出しました。
自分自身の頭の上のハエも追い払えないのに僕の身の回りの人たちのことが気にはなる。少しずつ気になる人たちに囲まれて僕自身も成り立っている。
昨日は良い天気でした…今日も暑くなりそうだ。
この日記?自分のために書いている、見せるための日記でないのならもうやめるかな?
見たくなければ読まないという選択もあるので便宜上続けることにしましょう、まるっきりの独り言よりは少しは緊張感があるので続けられそうです…あはは🤣))
ガン病棟、読みました、70年代だったか。ドストエフスキーの再来とか宣伝されていた時期です。最近誰か批評家が、読んでいる本を好きになるカギは登場人物が好きになれるかどうかだと書いていて、私の場合これは当たり。そしてコストグロートフを私はすぐに好きになりました。この人の恋人的な役割の女性がいましたよね。医師だったか看護婦だったか忘れたけど、この人も好き。
登場人物に全く共感を持てなくて著作全体が好きになれない例は、シュリンクの「朗読者」です。ベストセラーになっただけあってよくできた作品だと思いますが、あそこに登場する誰も血の通った人が無くて、哲学者の父親も、どっちつかずの主人公も、文盲のハンナも、感じが悪い。女性看守だけは、その感性がまともだとおもったけど。でもそういう女看守を描けるということはシュリンクの資質を示していて、後はみんな厭、と私が思ったのも、そう思わせるような構成にしたのでしょうね。
見せるための日記でなくても、書いて下さい。勝手に読ませてもらって、いろんなことが頭に浮かんだり記憶が蘇ったりして、私にとってはとても貴重なので。
他の人にも貴重なはずだけど、読まれずにいるのはまことに残念です。PRがないから?
ま、読まれなくてもいいや、っていう覚悟も潔いですけどね。
それで思い出した詩があります。トーマス・グレイ(1716-1771)のElegy Written in a Country Churchyardという作品の冒頭の節。
Full many a gem of purest ray serene
The dark unfathom'd caves of ocean bear:
Full many a flower is born to blush unseen,
And waste its sweetness on the desert air.
清き光静かに放つ数多の宝玉が
大海の深い洞穴に眠り
数多の花が人知れず生まれ咲いて
砂漠の風にその香を散らす
(すみません、勝手な即席の訳なので原詩の趣きを伝えられなくて)
知られぬことの美しさをこれほど見事に表現した詩はないと思います。