5月13日(土) 曇り時々小雨
6時起床。昨晩は到来物の日本酒でいっぱいやって、こてんと横になって夜中いちど目を覚ましそのまま朝まで目を覚ましませんでした。
そんなふうにこの世とおさらばできたらそれもいいかなと…😉
朝から冗談失礼しました。
昨日来客の方と2階の縁側でお茶を飲んでいた時ふと思った事は、大通りから横丁を入りさらに隠れ家に似つかわしい路地の奥を入った所の住み心地の良さです。こちらに住み始めて確か2、3ヶ月?になりますがおもてでご近所の人に挨拶しても…誰この人?といった感じで対応されます、顔覚えられるのにあと2年ぐらいかかると思います、下町なのにです。つまりは僕の影が薄いということなので、当初の目論見通りです。
歳をとれば頭の中は軽くなり、歩き方は遅くなり、日めくりのカレンダーを1枚1枚はいでいくようにXデーに近づいていきます。Xデーはクリスマスではありませんし、特に深刻でもありません。何故かと言うと…幸運なことにそれがいつだかわからないからです。
それにつけて僕のお得意さんでもあった、ガンの余命宣告を受けた方のことを思い出しました。その方、、余命宣告を受けた後、残りの日々を昔の彼女(彼女の方が彼に夢中、だったこと間違いなし。歳をとってからでも彼女がその方をファーストネームで呼びながらその方を見る目が心なしかいつも潤んでましたから😉)と車に乗って日本中をあちこち旅行してまわった、、その方が、全く同じことを言っていたのです、ニコニコしながら…いつ死ぬか分からないからこうやってのんきに生きてられるんだよね…。
その方戦後B級戦犯で巣鴨プリズンで1年間臭い飯…というか食パンにコーヒーの結構おいしい食事を出されてその習慣がいまだに続いている…朝、昔の彼女と僕の目の前でパンにジャムを塗りながらそう話してくださいました、目の前にいるようにその笑顔まで思い出します…やっぱり人間て不思議。その方戦地の工兵部隊の総指揮をとって戦車が通る道を作っていた方です。
朝からこんな話題?
へんと思う方が変です。
生き死にはもっと身近な話題で、遠ざける方がむしろ変だと思います、つまり今は変な世の中だと僕は思っています。
この日記を書くのに、空きっ腹ではどうかなと思ったので、マグロの切り落としをヅケにしておいたのでお茶漬けさらさら食べてこれを書きました、、特に書くことがなければ書かなければいい…というわけには参りません、このシリーズを300回位まで続けると1年分の行動記録になりますので…それを次の1年の行動指針とするためにあと150回はお付き合い願います、、あはは😅
ちょうど20年前のことになりますが、帰国中に腸癌が見つかって、それが割と大きかったので、もしかしたら転移?と怯えていた時期、亭主に電話して「長く生きられないかもしれない」というと「仮にそうだとしても、これまでと同じように普通に暮らそう」という返事でした。そのことも、二人の生活がなんとか長続きしている理由かもしれません。もっとも、私にそう答えた後で、独・英・米の友人に片っ端から電話しまくって、彼らの弁によると「あんたの旦那は完全に打ちひしがれていたぜ」とのことです。