5月12日(金) やや曇り予報
テイヤール・ド・シャルダン著作集7人間の未来:伊藤晃/渡辺義愛訳:みすず書房1969年4月第1刷発行
図書館の本なのですが全ページの5分の2ほどが書き込みの鉛筆の線が多くて嫌な感じ、、もっとも本そのものの内容も難しく、汚れているのを、いい幸いにして読み飛ばしました。
中程から面白くなりました。
科学者でもある著者はキリスト教的世界観をベースに縦横無尽な自説に基づいて楽天的に?人類の進化を軸に世界平和統一について語っています。
こんなことを語れる人今いるんでしょうか?
この貴重な本をパラパラめくりながら、、僕は、もしかしたら未来の誰もが、そうすべきと思うであろう統一の全世界史の編纂に国連が着手すべきときだと思いました。今のように兵器見本市みたいな戦争を繰り広げているよりはよっぽど次世代を見定めていると思います。100年前じゃあるまいし国家ぐるみの武器商人が跋扈する世の中がいいわけありません。
叩けば埃の出る身体の恥部を白日のもとにさらして次世代に資料を提供する、まな板の上の鯉の心境で来し方を歴史の教科書に過不足なく記録する時期ではないでしょうか、愚行を繰り返さないためにも、またKAP(北朝鮮・シリア・ロシア、独裁者の頭文字)の国民を人質にした自己保身に終止符を打つためにも。(独裁者たちが恐れているものはミサイルではない…スマホ↓
(昨日午前中ジムに行く前に玄関の軒先のアルミ樋がゆるゆるだったものを軒先のトタン板にビスで固定した。
たった1本のビスで工事完了でした。この今の住まいが建った55年前には考えられなかった荒っぽいやり方です。
たったそれだけのことなのですが隔世の感があります(ちょっと大袈裟かも🤏)
ノコギリとノミで材木を丁寧に刻み仕口を作って組み合わせ、後は釘などの建築金具で家を建てる。ほんの55年前、今から思えば時間のかかる在来工法が一般的でありました、、
何が言いたいかと言うと…進歩の真っ只中にいると「進歩」が感じられないということです。新幹線の中にいれば電車が動いていないような感じで落ち着いて本が読めるようなもの?
と、そんなことを考えてふと妙な感懐にとらわれました、妙な感懐とは?、、
僕らは手元にスマホさえあれば、世界中の出来事がわかる、荒っぽく言えばそう言える。つまり55年前の人たちに言わせれば「とんでもない進歩」(今や世界中がスマホ仲間、僕らはスマホでお互いに結ばれている、この事実!全人類のリズムをスマホが統一しつつある、、そんなバカな😉
でもシャルダンさんが生きていらしたら同じようなことをおっしゃっていたと思う)
戦争中の大本営発表の嘘っぱちはもう通用しない。
僕らは進歩の真っ只中にいる。
これから生まれてくる人たちにその感覚は多分、限りなくゼロ。
進歩しちゃった後の人たち、その人たちに、現在を生きる僕らなきあと、僕らは何と言われるのでしょうか?
一人一人が、僕みたいな老人でも、世界を語れる世の中になった、これこそが本当の「民主化」ではないでしょうか?あはは🤣
将来、科学技術の進歩によって、人は超長生きできるようになるだけでなく、不死も夢ではない、という説を最近目にしました。それを読んで、「混沌(カオス)」の話を連想してしまいました。混沌には目・鼻・耳・口がありませんでした。それで誰かが何かのお礼に7つの孔をあけてやると、混沌は死んでしまいましたとさ。人が不死になるまでに、地球はきっと終焉を迎えていることでしょう。
それにしても、いちまるさん、ずいぶんむつかしい本ばかり。みすず書房とか白水社とか。みすず書房って、白難解って呼ばれているんでしょう。そういえばいつも白い表紙ですね。
最近、といっても数か月前に日本で読んだ小堀鴎一郎「死を生きた人びと――訪問診療医と355人の患者」という本がみすず書房出版でした。あとがきによると、小堀氏が本を出すに際してこの出版社を選んだのは、森鴎外の娘である母親の小堀杏奴の著作に因る縁だそうです。そのせいかどうか、別に「難解」ではありませんでした。