5月5日(金) 晴れ
開け放つ窓下の猫横に菊
爽やかで静かな風薫る5月、と言ってみて…まさにどんぴしゃりのそんな朝です。
家の周りはあっという間に更地になってあっという間に建物が建ってゆく環境。それほど大きくない建物でも更地になると驚くほど視界が開ける。さまざまに工夫を凝らした建物が出現するのですが様々なりになんとなく統一感があるのが不思議…多分建築工法が同じためだろうと思います。今の時期の日本全国で建てられる建物の建築工法は似ている、令和初期の建物として30年後、振り返ることになる、たぶん。
その地区のマスタープラン…あそこに小さな公園を作る、防災設備も備えておく、ここの道はまっすぐにしないでそれなりに死角を作りブラインド効果で雰囲気を出す…防犯のために監視カメラをそこここに設置する、、昔の雑貨屋さんは今のコンビニ、出前してくれる寿司屋、ピザ屋、弁当屋。広い道路が街を分つ、、我が街でもあります。
この街に生息できる事の幸せを感じています。
どこのお店の経営内容がどうなっているかはちょっと定点観測をしてみれば一目瞭然。
陋屋暮らしは暇がいっぱいあって
昨日の日記では、ボケ防止も兼ねて日本の行く末まで心配してしまいました。
我が陋屋の玄関先の軒樋の勾配を直す仕事があるのですが、、それを今日やるかやらないか、、せっかくのゴールデンウィーク気分を味わうために今日はやらないことにします。
不具合が生じたときにその都度直せば日本家屋はいくらでも持つ。
ついでに昨日の日記の続きを言えば…日本家屋とは違い日本はもう小手先の修正では立ち行かなくなる。のらりくらり既成事実を積み重ねる官僚の手腕に期待したいところです。
既成事実とは何か。内向きには留学生を大量に受け入れる。働き手を大量に受け入れる。外向きにも同じことをする。つまり外国で勉強する、働きに行く。先立つものをどうするか?まず肝心な事は肝心なことを定めてから金の心配をする…これが順序だと思います。金ができてから金の使い方を心配するのは、今風ではないと思います(貧乏人、僕のことです、の強みは金がどこにあるかを知っていることです、とりあえずは集まった税金の分配について目を配ることだと思います)。
みんながそう思っていることを少しずつもう一度やり直せばいい…僕はそう思いました。たくさんの経験のやりとりの積み重ねが1番手っ取り早い外交手段で国の安寧を支えると思います。
猫と並ぶ菊、情景が目に浮かびますね。私も「なでしこの傍を離れぬ雀かな」って句を作ったことがあります。絵画でも動物と花をモチーフにした日本画って結構ありますよね。(写真は加山又造の「猫」、これはそんじょそこらの野良猫じゃないから牡丹の花を合わせて。)こういうモチーフが西洋の画家の作品にないのはなぜでしょう。近代になると、景色か、女ばかり。
お暮しの街が住みやすいのは、きっとSpielraumがあるからでしょう。Spielは遊び、Raumはスペース。つまりシュピールラウム(遊びの空間)というのは「余裕」「ゆとり」のこと。これはお金で生み出せるものじゃない。