4月4日(火)晴れ
自転車を処分したので頼りは自分の足だけということになる。
自分の軸に腰を乗せて(僕の勝手な言い方で分かりづらいと思いますが…)操り人形のように歩く。とても気分が良い。今までこんなゆっくり歩いた事はほとんどないような気がしてきた。
わざとちょっとだけ遠回りしてみたり通ったことのない路地に分け入ったり…旅行者が遊歩道を歩いているような気分。家の前の小さな花壇に桜の木が植えてあったりして結構な枝振りの満開。玄関のすぐ横ですからね、とても良い風情です。江戸時代の下町の横丁を歩いている気分、タイムトラベラー。
イモヅルハウスから旧宅へのショートカット、近道をフラフラ歩くだけで興味が尽きない。小さな公園も数カ所ある。これだけでまぁ向こう1年間は楽しめそうだ。
(表の大通りの開発がもっと進めば…夜の顔もだんだん賑やかになってくるだろう、そうなったら寝るのを少し遅くして夜もフラフラ出歩ける、先々の楽しみ、もっとかっこつけて言えば…すっきりした街になるよりはたとえ経過的でもいいから「ごちゃっとした街」になって欲しい…その楽しみ」※ごちゃっとした街、の詳しい内容はまた別の日に…)
そもそも路地が曲がりくねっていることがこの街の特徴を出している。曲がっているので見通しが悪く、先がどうなっているか分かりづらいので、先をたどっていくうちに迷路を楽しんでいる自分に出会える、といった塩梅。のんきそうに休んでいたりフラフラしているのは老人ばかり…当たり前。老人が老人らしく正しく「フラフラ」歩いているところも気にいった。その人々の横顔チラ見するだけでも興味津々。
レオナル・ド・ダビンチが町中の人々の特徴のある顔を見つけては写生して歩いたといったエピソードを思い出した。
家を出た先の呉服屋さんの前に鮮魚や干物を満載した車が時々止まっている。近所の人が覗いては買い物をして行く。よっぽどタコでも買って帰ろうと思ったけど歩行スピードと気持ちのタイミングが合わず素通りした。今度あったら何か買っていこうと思う。
呉服屋さんの隣の眼科は昔映画館があった場所。立石で母と住んでいたところも映画館の裏、なるほど、どうりでこのあたり、僕となじみが良いはず。
(つい最近の耳の変調で、この音声入力が耳の中に響くのだがそのうち慣れるだろう、さらさら諦めて行けば良い、老人は諦めるのが早い…あはは🤣)
私は道草をしたことがほとんどありません(比喩としての道草は別です)。方向音痴で地図が読めない女なので、意図しているルートから逸れると、帰れなくなってしまう、という怖れがいつもあるのです。それなら誰か道をよく知っている人となら大丈夫かといえば・・・うーん。ドライブ中に亭主があちこち道草を食うとかなりイライラする。彼は工事現場が大好きで、そういう家や建物が見えると素通りできない。さっさと目的地に着きたい、という私は、全く詰まらん女です。