3月25(土)雨
定点観測はいつでもどこでもできます。フォーラムのこの陋屋記もそのうちの1つの定点観測の窓です。
4ヶ月前に始まったこのシリーズ、気にして見てくださっている方は2、3名存じ上げています。
たまに、他のLINEグループにこのフォーラムのリンクを貼ると、その時だけ見てくださる人が増えます。
僕がこのことから学んだ事は…人は(特にスマホを見る人は)何か新しい出来事や面白い話題を求めている、ということです(つまり面白い話題を提供しているつもりがない僕の独り言の中身なぞあまり興味はないだろうなと想像がつきます。陋屋の老人の一人暮らしに興味のある人がいると思う方がおかしい)目立つ記事につい引っ張っていかれる。僕にしたってその傾向が強いです。何かをGoogleで検索しようと思うとスマホの画面にちょっと見たくなる新聞でいうところのリードの文字が現れます、惹句なのですから目立って当たり前。目立ってなんぼの世界…問題はそれが消費されていることだと思うのですが、研究や探求の対象にはなりにくい、と考えてくると…
変化に無頓着、四つ木御殿(東四つ木2丁目の古い家を住み開き中)の天井の色をミッドナイトブルーやからし色に近い黄色に変えても気がつく人は誰もいない、気がついていたとしてもそれを口にした人は誰もいない…という現象についても納得がいきます。まるで旅の車中から外の風景を見ているような感じ、、視界が区切られている!(無関心とどう違うのか?)とても面白いと思いました。裏を返せば…「与件」が簡単に受け入れられる可能性は非常に高い、ただし視界に入っていれば、、なんて強弁したくなってしまう、さらに強引に変化率の高い世の中は「条件」を変えたとき、受け入れられやすい、これを慣性力と言い換えてもいい、、とまぁ適当に考える、そんなヒントももらえます。
たまたま見た記事やコメントが面白ければ引き続き見てくださる可能性が高い。僕のはそうでないことがわかります。面白がってもらおうという気がまったくないので、納得です。今日のこの記事も多分独り言で終わると思います。それでも僕にとっては独り言を流し続ける意味が大いにあります。哲学者のように考えるのではなく生活者として旅の車窓から眺めるように区切られた窓からまるで風景画を見るような気分で環境に向かい合える。
あと、B さんのようにマメにコメントくださる貴重な読者のおかげでコメントがあるときは閲覧数が確実に増えています。何を面白がるかの明らかな傾向だと思いました。
主張や宣伝を拡大したいときは、コメンテーター?が増えてくれればその目的に近づきそうです。他力本願は目的達成の有力な方法で、たくさんの人の経験値となっているとは思いますが、、目の当たりにして、これまた大いに納得です♪
ところで、最近立ち上げたウォーク&クリーンの会や近々立ち上がる太極拳クラブでどんな方達と知り合えるのか興味津々です。公共の媒体を使わせてもらっているのでコストゼロです。
(今日の午後は、江戸川べりのウォーク&クリーンに出かけます、天気が悪いので、、僕1人になる可能性も高いですが、スタートはいつだって1人…気にしません、あはは🤣)
与件です、ご指摘ありがとうございました…失礼しました
今朝、メールが届いたので陋屋記104を読んでみた。文中の「予件」と云う言葉が分からない。「予見」や「与件」は分かるが、「予件」とはどう云う事なのだろう?
他にかまってくださる人はいらっしゃいません、が、いっそ気持ちが良い。 オチがつかないと落ち着かないというのは気のせいだと思います。別にたいしたことを話していないのにとても気分が良い事は往々にしてありますよね😉
Bさんとはあたいのことかとびすこ言い。今頃になって遅すぎるコメント、すみませんね。オチのない文章、とありますが、村上春樹だったか「(例えばモーパッサンの『首飾り』のように)オチのある短編って逆に詰まらない」って言ってて、たまたま昨日彼の短編を読んで、うん、確かにオチがないのもいいな、それに代わる余韻があるし、などと思いました。
いいなぁ〜、こんな風に思ったことをスラスラと書けるなんて羨ましい限り。これまで何度か拝見しましたが、コメントをする方法が分かりませんでした。やっと出来ました。これから陋屋記を読むことが楽しみ!