3月18日(土)雨
イモルームで、タケノコの土佐煮、キハダマグロの切り落としのヅケ、ネギの味噌汁で朝食を済ませ、これを書いています。狭い家でも気分転換のための椅子があちこちに置いてあるので「むら気」で成り立っている僕には便利です。座る場所が気分を作ってくれる。
近い将来人は気分転換に「住み渡り」するようになるだろうと思いました。苦労せずに能力向上を見込める1番良い方法だと前々から気がついていました。環境が人を作り人が環境を変える最終形。そうこうしているうちに今までと同じように世代交代をしていく。当然定着していく人たちもいる。定着していても流動してくる人々によって風景が変えられていくのでそれはそれで楽しめる、さしずめ僕のはその、定点観測的生活法。
とりあえず安上がり。状況だけ作っておいて人が寄ってくるのを待つ手抜きの簡便法、というか遊び。こなければ来ないで一向に構わない。母が亡くなってからの10年間の見直し時間に当てているので飽きる事はない。
互換性のある人間が互換性のある住宅に住まうのに何の問題があろうか?皮肉ではなくそう思う。それを目指して世の中を作ってきた結果だと思います。
(横町を出た大通りは…病院通りと呼ばれているらしい…なるほど整形外科小児科内科耳鼻科眼科一通り揃っています、あはは。
小さく開いた口のような顎の傷は今朝よくよく見たら、あっという間に10分の1位に縮んでびっくりです)
住み渡り、ってあっさりおっしゃいますが、これ、大変な贅沢ではないかしら。そういえば、引っ越しが趣味という人もいますね。有名人でも、配偶者がそういう趣味で自分はついていけないと離婚した人もいるとか。
こちら私の家の周りや夫の郷里では、確かに高齢化が急速に進んでいて、家を売りたいという人がだいぶいます。実は過去5,6年にそういう家を夫が数軒買って社宅に変えたので、もう必要はなく、「これ以上買わないでね」と私は頼んでいるのですが・・・義姉が近所で売りに出ている家があると言ってきて、昨日のこと日本人女性と一緒に食事をした時、夫が「あんたら二人で買って、茶室にしたら」などととんでもないことを言っていました。