3月15日(水)曇り時々晴れ予報
来年の3月15日まで静かに暮らす方法を考えた(ふざけてますので真面目に聞かないでください)。
そもそも静かに暮らすことなんかしたことがないので一度してみたかったのが表向きの理由。
本音は…葬式その他終活費用を残すと自由になるお金がない(捻出すればできないことはないけど手間がかかるので今は、したくない)だからと言って、静かにしているといってもじっとしているわけではなく、お金がかかるわけではない暇つぶしと伝言(遺言?)を兼ねて同時並行でいろいろなことを毎日少しずつ積み重ねていきます、一年間でどのぐらいのことができるのかの実験でもあります、これしか年寄りの僕にできることはないし、年寄りで体力がないからこそ飽きずに積み重ねてできることもある…継続は力なり。
進め方の一例を申し上げます(聞きたくもないでしょうが、半分冗談ですから気楽に聞き流してください)
メイドインチャイナの立石図書館のゆず屋で300円で買った手のひらに乗るくまのおもちゃ、、ひところ流行った電池で動く口真似おもちゃです(おまえさんきらくでいいね、、と呼びかければ→オマエサンキラクデイイネ、と仕込んだメカがリピートする)。
電池を入れても動かないので頭をポンポン叩いたら「グェ!」頭を叩くたんびに「グェグェグェ!」さすがに鈍い僕も、あーこれはものまねおもちゃだと気が付きました。月にいっぺん笑いが欲しいときにこの熊の頭をペンペンすれば…笑える、つまり365 − 12 = 353。つまりつまり…あと353日暇つぶして、笑えること、自分のためになること(ためにならないことはその都度忘れて行けばいい、、ついでに結果として他人のためにも少しなると楽しいですね)を淡々と積み重ねていけばいい…最近ソクラテスがもらしたという一言に意義を感じています、、人間は1人分の負担をすれば、好い、良い、善い、佳い、吉い、、(ちょっと強引ですが…それが…三木清の言う、世の中は良識ある人々でもっている、、ことにもつながるのではないかと今ふと思いました)。
そうすれば、多分、今までもそうであったように、あっという間に1年が過ぎるというシステムです、こんなふざけた気楽なこと、考えた事はありましたけど、やったことはありませんでした…自分の暇つぶしのためだけに時間を使う、、あえて言えば…とても贅沢で、、とても楽しみな1人遊びです。退屈を味わうための1年にもしたいです。
貧乏人の最大の強み…金のかからない遊びを知っている、つまり金がないから自分で工夫するしかない、あはは🤣
↑よくもまぁこんな駄文を書くものだとちょっと呆れつつ↓さらなる蛇足…失礼いたします😅
有明の下弦の月ややあおはよう
風はなし木々萌え出ずる春の午後
今年初畳に素足おらが春
捨てる憂さ無きが如くに春と居る
縁側や白米の飯明太子
パスカル、弟御、ともに名言ですね。死ぬまでどう過ごそうか、、と同じく大切なテーマだと思います、僕は年がら年中そればかり考えてるような気がします。 3月の駄文にコメントいただけるなんて…本当にありがとうございます。待ち焦がれていた季節…もう忘れていました😅
暇つぶしのためだけに時間を使う、あえて言えば…とても贅沢で、とても楽しみな1人遊び。その通りですね。これはパスカルが「パンセ」の中で言っている「気晴らし」に相当するでしょうか。もっともパスカルはこの気晴らしだか暇つぶしだかをとても皮肉に否定的に捉えていて、人は要するにいずれ間違いなく訪れる死から目を逸らすため、それを忘れるために、気晴らしに打ち込む、みたいなことを書いていますけど。
わが愚弟がまだ幼くて、それなりに可愛かったころ、「僕、お父さんになるまでどうやって過ごそう」と言って周りを笑わせたことがありました。今の私の心境の中には「私、死ぬまでどうして過ごそうか」という問いが顔をのぞかせることがあります。
何だか暗い話?いえいえ、これはこれで面白い話題だと思いますよ。