2月 15日(水)曇り後晴れ予報
アイハウスのイモルームの押し入れの中段にガラスや陶磁器の食器類が並べてあるのですが、全体に何か締まりがないので…中段の壁にへそみたいに何か飾ることにした…迷った末この家に付いていた金属の棚受けを横向きに取り付け、そこにワイングラスを一輪挿しみたいに絡ませてみたら、やっと全体が落ち着いた、写真は後ほど。
この家に取り付けてあった棚受け金具をはじめこの家の前の持ち主の方が手作りで作った小さな状差しの類、棚受け金具、服掛け金具も全て捨てずに取っておいたのでこういう時に役に立つ。それを使うとなぜか納まりが良い。住んでいた人の記憶、は記念である、まさに記念、想い、は引き継ぎたい。
(ゆでたまごつるんとむけてめでたし春
この句、罪なき句とは思えども、写実とはいえ単なる感想なり。洒脱には遠く、滑稽とも言われじ、自らがおめでたい人とうんぬん、、
これは今朝、岩波文庫の俳諧大要の子規の「俳句の初歩」の子規の口真似をして…僕が昨日の晩酔っ払って作った句を評したものです、あはは。子規は正直な人です、ある意味日本人離れしていると僕は思いました、偉そうですいません、それほど当時「飛んで」いた、という意味です。飛んで、とは、しがらみからの自由…次の時代を築くために、自由であろうとした、という意味です。心から尊敬します。
しかし、しかしです、、遊ばせてください…子規さん、高みを目指そうにも到底、保身と独りよがりな自分を超えることはできそうもありませんので、お目こぼしをお願いいたします🥺)
びっくりしたなあ、いちまるさん。最初ゆでたまごの句はいちまるさん作と思ったのだけど、読んでいて、あ、子規の句だったのか、うん、確かに、なんて思って、あら、やっぱりいちまるさん、という結論。でも子規が乗り移ったみたいで面白い。相性から言って、誰かに乗り移れと言われたら、子規がいちまるさんを選んでも不思議はありません。
俳人・歌人には当時の業病を抱えていた人が多く、子規などはその筆頭ですが、あんなにあっけらかんとして、淡々・飄々とジョークを連発しながら、というのは、日本文学史に例のない文豪・文傑(なんて言葉はないけど)だと思う。それが30代半ばで逝ってしまって・・・でもそれだけにどの歌にも句にも濃い一生が凝縮されている。
早世とまではいえないでしょうが、生涯病身で50代で亡くなった俳人に石田波郷という人がいて、私は彼の「プラタナス夜も緑なる夏は来ぬ」という句でファンになりました。プラタナスは欧州では街路樹によく使われているので、この光景は鮮やかに眼前に浮かびます。
もしかしたら彼の辞世の句かな、と思うのは
・今生は病む生なりき烏頭(とりかぶと)
波郷は心臓病で亡くなっていて、毒草の王者(?)であるトリカブトから抽出した強心作用のある漢方薬を飲んでいたらしい。実は私、トリカブトの花の濃い青が好きなので、昔ちょっと句にしたことがあるんですよ。
・身を守る毒ありて咲く兜花 びすこ
(トリカブトは鳥兜とも書き、兜花とも呼ばれる。)
私もこの花のように独力で自衛に努めて生きよう、と思ったのですが・・・(これまた、なーんちゃって、という意味の・・・です)。
並んだ食器類、楽しいインテリアですね。とにかくアイデアが素晴らしい。どの食器も溌剌として見える。物置にしまったきりの我が家(日本)の食器たちが、「見ろよ、持ち主が違うってことは、こんなに大きな命運の差になるんだなあ」と嘆いているような気がします。