2月 12日(日)曇り時々晴れ予報
ぬか床の蕪しごく手の温みかな
旧宅の2階に小さな即成の机と折りたたみ椅子そしてストーブと寝具しか残っていないがこれで充分用が足る。今ストーブにあたりながらこれを書いている。
母が亡くなって足掛け10年、ぬか床をかき回す手もやっと慣れてきた。ま、一人暮らしが慣れてきたということだろう。
さて、今日のお題は昨日から考えていた…適材適所
まずは写真をご覧ください…ご覧のように押し入れの奥の材木が正方形ではなく立木の時の成育具合や太さなどから木取りを工夫しても直径が足りなかったりしてどうしても写真のような材木が出てしまいます。つまり断面が正方形にならない柱。そのような材木は目立たないところに使われます、例えばこの押し入れの奥に。僕はこの処理がとても気に入っています僕も真似をしたい位です。目立たないところに使っても気にする人は気にする。例えば僕のように。そんな人のために写真のような工夫をして納得させるのです。
昔の大工は家を建てるとき壊すときのことを考えて家を建てたと聞いたことがあります。仕口は在来工法ならどの大工が見てもわかるし、そのおかげで分解して移築することも可能なわけで、互換性が際立っているように思います。電動ノコギリがなかった時代の製材の苦労も相当なものだったでしょうし、山から切り出して、何年も枯らして、それからその材木を適材適所に配る。そもそも材木の生育状況を見るために山そのものに足を運んだ棟梁も結構いたやに聞いています。
もちろんお金をかけてこのような材木を使わないようにすることができますが僕にはそれはあまり面白くありませんし、興味がありません、というかやはり次の人に伝えるために多少不足の材料でも場所によって生かして使うという、考え方そのものを伝承してもらいたいです。人を、均質化された同じような人間として扱うのではなくその人の個性を生かす。これは昔から言われていることですが現代は逆方向に突き進んでいると思います。均質化は商品だけで充分です。
いっぱしの若い冬木のびすこさんの句も、倒れそうな木が立派な銘木だった話にも色々と感慨深いです。今日も最後まで使いあぐねていた古木を本の受け台に使ってほっとしたところです。乾かしても乾かしてもいつまでもじっとりしている木だったのですが、そうだ使ってしまえと思ったら一気に気が楽になり使い途が決まったわけです、時間をかけて木の中に染み込んだ水分は時間をかけて使いながら乾くのを待とうと思ったのです。
若い木の取り扱いは若い人と同様に相当難しいなぁと思います、経てきた苦労や経験をどう見るか…その判断は難しいと思います。つまり若い人と付き合うのは、意外と難しい…苦労しただけで…苦労が身についていない人もいる。では年寄りはどうかと言うと…母からよく…伊達にお飾りをくぐってきたわけではない、と言うセリフを何度か聞いたことがあります。お飾りつまり正月を何度も迎えたわけではない、伊達に年寄りやっているわけではないということだと思います。自分が歳をとってみると味わいのある言葉だなぁと思いますがもう1人の自分が身びいきだろうと言ってます…あはは。
今日のお話を伺って、私は以前、それもだいぶ前に読んだ杉の木と「銘木屋」の話を思い出しました。確か司馬遼太郎のエッセイだったような、と曖昧な記憶をたよりに探したら、本棚の後ろの列にありました。読んだのは20年余り前だったと思います。(私はメディアがこの作家を総出で崇め奉るのがいやで、あるときからふっと読まなくなっていました。)
このエッセイ集の中の「春日の大杉-ある銘木屋のこと」によると、1970年頃には大阪の船場にふるくからの銘木屋が集まっていて、市が立っていたんですって。この人たちは山に入って自分がこれはと思った木を立木のままで買うのですが、それは一種の賭けでもあって、切り開いてみると中が洞のこともあり数百万円をすってしまう。かと思えば、ここで語られているように、春日神社の参道入口にある杉が倒れそうになって近くの民家に被害があるといけないというので入札で売られることになったとき、子供の頃からその木に憧れていた銘木屋が感傷も手伝って2千3百万円で買ったら見事な柾目・木目で4千万円で売れた、なんて話もあるそうです。
他に杉と檜の比較などもあってちょっと面白いので、10ページ足らずと短いこともあり、図書館ででもお目を通してみて下さい。題は「余話として」、文春文庫で読めます。
これは材木のスター中のスターである杉の話ですが、いちまるさんが書かれているように材木にも適材適所というものがあって、すべてが杉や檜である必要はなく、むしろそれだと建築物が味気ないものになってしまう。どんな木にもそれ相応の用途がある、というのは全くその通りだし、それを人間世界のアナロジーと見る点には私も共感します。
ところで、過日読んだ俳句に「冬木」を季語としたものがありました。葉の落ちた裸木ですね。それでこんな句をひねってみた、というより、ふっと頭に浮かんだものですが。
・いっぱしの冬木となりし若木かな びすこ