2月 7日(火)晴
子規の俳諧大要で俳人蕪村の漢語、古語を難なく作句に用いていく様が生き生きと語られています。芭蕉亡き後100年後に現れた蕪村、芭蕉が粋人なら、蕪村は自由人、、そして子規もまた、、そんな感想を持ちました。
朧月春告げられて酒を酌む
菜の花の味噌汁の実に春覚ゆ
暦見て春に追いつく季節かな
冬のまま春着せ替えて人心地
気が付けば冬はこれまで春や春
昨日何の気の迷いか、五七五こねくり回していたら…そんなことすること自体、春なのだと気が付きました、音声入力間違えて全て消してしまいましたが…パッチワークをよろしく言葉をつなげただけなので特にショックもありませんでした。
俳句との関わりは3年ほど前に数ヶ月だけTwitterで五七五遊びをしたことによることを思い出しました。そもそもそんなことをしたのも、アメリカで俳句協会があることやヨーロッパにもあるらしいことがわかって俳句の可能性感じたから?あるいは、、遠因にびすこさんにソネット?でも始めてみたらなどというそそのかし(失礼!)に才もないのに色気を示したせいもあるかもしれません。いずれにしろ今思えば面白い試みでした。欧米では…定型四行詩、6ワード詩、17音節詩、、などが「俳句」として試みられていることなどもその時に知りました、僕も試みてみましたけど…まぁまぁできない事はない、、この広がりこそまさに…子規の功績、と今実感しています。俳句、やっぱり面白いかもしれないですね…もうちょっと付き合っていきたいです❗️
(旧宅の使い途は、やはり今までここを盛り上げてくれた方たちにまず相談することにいたしました。お互いゆっくり考えましょうと提案しました。その間ぼちぼち不具合の補修、整備なども進めたいと思います)
「睦月: 正月は、身分や年齢に関係なく、親戚や知り合いが集まって親交を深めることから。
如月: 余寒がきびしく、衣をさらに重ねて着ることから「衣更着」とも記す。
齢40歳を間近にして、初めて言葉の意味を調べました。」
これ、今朝方、夫が親しくしている日本企業の国際部の社員から送られてきたメールの冒頭です。私の甥とほぼ同い年、同じように、今風と言って悪ければ、年功序列とか長幼の序とか義理・恩などという古来の概念に拘らないあっけらかんとした青年(少々トウが立ってるけど)です。私が自分の甥の感覚で付き合っているのが分かるのか、彼もちょっとうるさい伯母さんとして対処してくれています。それにしても、全く現代的な感覚を持つはずのこの男の子からこんなメールをもらうとは、ちょっと驚きました。
先日、日本の友人と話したとき、このままでは俳句が廃るという懸念を持っている人が多いみたいだけど、今の団塊の世代で新たに俳句に関心を抱く人は多いし、それよりずっと若い人達も、年とるに従って次第に和食が好きになっていくように、日本の伝統文化や詩歌に興味を持つようになるんじゃないか、と私が楽観的な感想を述べたのですが、このメールを読んで、それは別に見当はずれな意見ではなかったと思いました。
これも最近読んだ辺見庸という作家・詩人の3・11に関する文の中に、故国や故郷というのは「場所」ではなく「記憶」ではないか、とあったのには、なるほどと遅まきながら納得(この人は宮城県石巻市生まれ)。人間には加齢とともに記憶が増えていく、そうすると彼の中で故里の意味も大きくなっていく。
子規についての話もあるのですが、それはまた後日。