1月 12日(木曜)晴
一昨日仕事場の2階でお茶を飲んでいたらチャイムが鳴っているようなので二階から顔を出すと背広を着た方が僕の顔を見上げた。
僕が下へ降りて行くと、がらりと戸を開けたのは相手の方、よほど中の様子が見たかったのだろうと思う。地元の信用金庫の方で、前の住人のことを尋ねられた、、いきさつを話すと、Aさんは今は?と、僕に尋ねる。僕が顔を横に振ると、、じゃぁどこかで娘さんか息子さんと(暮らしている)?、、あ、いえ、存じません…ご高齢の方だったんでしょうかと僕が逆に尋ねると…亡くなった母の年令を口にした…そうでしたか…と答え口をつぐむと、僕がそれ以上話題にふれないことを見てとって、、一礼してお帰りになりました、、礼は、僕に、というよりは前の住人の方に対して、のように感じました。
前の住人の方については僕はあえて近所の方にもお尋ねしないと思います。ご高齢になっても手の届く範囲で柱を磨き、鴨居にハタキをかけていたであろうその方は近くの施設に入っていらっしゃる…そして夢の中でこの家の柱を磨いていると思う。
今日取り上げるのは…この家の収納庫に鎮座していた漬物の甕かめです(写真)。出演は今日の所以上です。おそらくはこのかめの中身のご報告だけで飛び飛びに数回にわたる登場になると思います、思わせぶりして申し訳ありません。ちなみに…写真に写っているあげ板、上張りした合板と高さを揃えます、50数年の間に板そのものが多少反り返って、そのためガタつくのですが、そのたびごとの足元のその緊張はそのまま残すことにいたします、つまりこれはそのまま年季のあかし、として残します。
ガタピシと幾冬越えて床の板
昔の日本家屋の台所には床下を利用した収納庫がありましたね。この揚げ板がピタリと合うと気持ちがいいが開けるのに苦労するので少し遊びを入れて道具を使えば開けられるようにしてあったと思います。がたつくのも計算のうちかも。
おっ、再登場、よかった!
そうですか、ご高齢で施設に。
最近、自宅で最期を迎えることの意味について考えます。契機は小堀鴎一郎という元外科医で、定年後に同僚から自宅で寝た切りの患者を引き継ぐことになった医師の本です。その経験を綴ったのが『死を生きた人びと : 訪問診療医と355人の患者』みすず書房、2018年5月。ISBN 978-4622086901。こちらでは入手きないので次回の帰国時に読もうと、注文しておきました。
鴎一郎さんのお父さんは画家の小堀四郎(この人のことは、芥川喜好という元読売新聞の記者がスポットライトの外にいる画家たちについて書いた「時の余白に」という本で知りました)、母上は小堀杏奴、そう鴎外の次女です。
もとの住人の今を乱すのを憚るのはいちまるさんらしい。でも改築が完成したら、何らかの形で見せてあげたいような気もします。新しい住人を得て、家が喜んでいることを示すためにも。
譲り葉や家譲られて安寝あり びすこ
<譲り葉は写真のようにお正月に鏡餅と一緒に飾られるようですが、橙やウラジロと比べると地味かも。おまけに写真の餅は既に割れとるわ。この木はわが家の庭にも元気に茂っているので、親しみがあります。>