1月 5日(木)晴
昨日図書館のリサイクルコーナーに行って長椅子を買って、台車を借りて仕事場へ運びました。大物なので1000円(立石図書館は年末年始も通常営業、それでよし、、ところでパリのパン屋さんは休むのだろうか…昨日パンを買いに行ったら5日から営業と書いてありました、ま、いいか、パンがなければ餅を食ってればいんだし、昨日、いっぱいやりながらからみ餅食べました、おいしかったです、そろそろ餅を喉に詰まらせないように気をつけないと…母の姉…つまり伯母さんはそれで、つまり餅を喉に詰まらせて92歳でなくなりました、僕が昔、ハートアタック(心臓麻痺、父の死因)、で死にたいと言ったら友人が、、いちまるさんみたいな人はそう簡単に死ねない、つまり、もちこして苦労する、、と言われました…あはは、笑っている場合ではない。
(ついでにコジマ電気に行って、1番奥の安物売り場で3点セットというのを見てきた。数万円で冷蔵庫洗濯機電子レンジが買えて、運搬設置もしてくれる。同じ売り場のちょっと手前の目立つ場所には1台100,000円!もする洗濯機が勢揃いでこれ見よがしに置いてある。無視)
高さ43センチの長椅子の上にハイチョウなどを乗せて使えば使い勝手もちょうど良い。台所に付いていた作り付けの吊り戸棚…前の住人にとっても無用の長物だったとつくづくわかる。歳をとるにつけ上のものをとって下におろすのはそれだけで一苦労だ。ついでに言えば、台所に洗濯機が置いてあってなんとも不似合いな風景でした。55年前の大工さんにとっては洗濯機は想定外だったと思います、つまり流行りものが一般庶民にも普及した頃の感覚すら欠けていたと言っては失礼かな。もっとも、その感覚のおかげでその当時まで続いていた建具類がこの家に残っていて何とも言えない味を出しているのだから文句言う筋合いではない。
歳をとれば、玄関の上がり框のたかだか30センチが障害になる。15センチ位の式台を置いて階段のようにして上る、前の住人はそのようにして毎日出はいりしていらした。今その式台は小さな洋服箪笥(500円)の下駄になっていて、使い勝手がちょうど良い高さにするための格好(恰好)の調整台になりました(写真)。
布団の上げ下げができなくなったらお年寄りのランクが1段上がったことになるそうだ。人間は歳をとっていく、家もそれにつれて直していかなければ暮らしづらくなる。手すりをつけたり車椅子用のスロープをつけたり家の中に床から天井まで突っ張る形の柱を立てたりする必要がある。それがあれば生活を継続できる。兄のところで実践済みだ。もちろん母の時もそれは少し経験していましたがこういった補助具で「劇的に」変化したのは我が兄です。ベッドから起き上がりベッドの傍らに立つことすら一苦労だった兄がベッドサイドの近くに掴まれる移動可能な手すり(つまり自立した)をセットしただけでしみじみほっとした顔を見せてくれました(そんなところでがんばってきたんだ…と思ったら思わず落涙(心の内で)。そこ頑張るところじゃないからと心の内でツッコミを入れました)。玄関の外部の入り口にも同じような手すりで今まで苦労していたのが嘘のようです。
(先ほど…旧宅の台所で買ってきた弁当を食べている最中に…最近兄のことが少しわかりだしたと思ったら突然昔油絵教室で遭遇した弦田英太郎さん(先生とお呼びするにはあまりにも短いお付き合い)のことを思い出した。何の気なしにググってみたら…洋画家、神秘的な色香を追求した、とあっさり紹介されていた、1920年生まれ、2014年他界あるから母と1つか2つ違い。せいぜい2ヶ月ぐらいしか通わななかったその教室でのエピソードは昔どこかのブログに書きましたが… 2度目の方はご勘弁、、交わした言葉のひとつひとつを改めて思い出すと思わず、ちょっと固まった。合評会の席上で、、昔独学で油絵を始めたときの自画像とその教室で描いた裸婦の最新作、黒髪に刺した市販の黒いピンと弾力を秘めた硬い筋肉を強調して、自分なりに描いた)を見ながら、いちまるさんは、、(おそらくは、、他の先生方が僕の作品の評価を言いよどんでいるのを見かねて、、)、、迷っているんだよね…激しいものと…繊細なものと、、(どちらの線で行くか…)、、それを聞いた僕はそれなりにその言葉を、ありがたいとは思いましたが…大方はお門違い…絵描きになる覚悟なんかこれっぽっちもありはしませんでした、なったところであれが、背伸びの精一杯…並の貧乏描きで終わっていたと思います、確信、、というかそれじゃあ食えないし(昔知り合った画家の卵は絵では食えないのでビル掃除をしていました、僕もその当時、彼と一緒にビル掃除。僕は高校生でしたけど、 他にも音楽を専攻する大学生とかと一緒でした)、、自分のことですもの、わかります、要は覚悟の問題、と言っては、問題のすり替えで、かっこつけすぎ。でも本当に自分の自信にはなったし、その後のぼくを支えてくれた言葉だったとたったさっき、その言葉の重みをしみじみ理解できました、長生きはするもんだ、、そんなことより何より当時僕が80過ぎと思っていた先生は当時まだずっと若かったことに愕然としました、あんなに若かったのに、既に描きためた絵の処分に困っていました、、タブロー(キャンバスに描いた絵など、支持体が平らな、壁にかけられるものを意味していたのだと思います)はいいよね、、と僕に向かってにっこりしていた優しい目のほっそりして上品な弦田さんのお顔をまた思い出しました、本当に申し遅れましたがその節は本当にありがとうございました、、なぜ同じようなことを2度も書いたも、わかりました、、歳をとると…あの時って、本当のところはこうだったのじゃなかったろうかと気がつくことがあまりに多いのです、「本当の」父母、兄、姉、その子供たち、のことも含めて。
そして、、僕なんかとは比べ物にならないただただ絵が好きで絵を描きたかったのにいろいろな事情で描ききれなかった人たちの無念、そう思ったら…夢は実現しなければ夢じゃないと改めて次の世代の人たちに伝えたいと思いました、偉そう😅)
階段下のデッドスペース(物置)を利用して洗濯機をそこに置き撤去した洗面台の蛇口に接続すれば誠に好都合。その物置の場所に付いていた両開きの扉は1階の奥の巾3 尺の窓の目隠しに使うことにした。古い日本家屋は尺貫法でできているので使い回しが効く。1階の奥の取り外したドアは2階の押し入れの下板の補強に使うつもりです(今は即席の作業台として使っています、家は生き物だとつくづく思う、人が家に合わせて暮らすのではない…人に合わせて家を作り替えていく、作り替えられる、のが本来の家の在り方だと思います、日本の在来工法の軸組構造はそれに適しています、というか目先を変える作り替えが容易。ビルの中の住居は建物自体の構造が丈夫なので補助具はむしろ設置しやすいかもしれませんが、まあ、在来工法は柱の位置を変えたり間口を広げたりして「見栄え」を楽しめる利点はあると思います、気分の問題です😅)。
さて今日は…昨日図書館のリサイクルコーナーに置いてあった本でもパラパラ見る時間もあるだろう…ホームセンターで1500円の350ミリリットル入る魔法瓶を買ってきたのでこれでお茶でも入れながら、作戦タイム…本は消費するためにあるのではない…でも消費してくれるおかげで僕のところまでただで本が回ってくる)
玄関の上がり框の高さは実際我が家でもかなり障害になっていました。一応式台はあるのですが、それでも上がり降りは年寄りには大変だったようです。父母は想像力や思いやりに欠ける人だったのと、私が子供の頃は暮らしに余裕がなかったためもあり、ちょっと工夫して祖父母を楽にするということがありませんでした。
私が自由に家をいじれるようになって、式台は部分的に2段にしたり、祖父母が昔使っていた部屋の後ろに小さなキッチンを設けたり(ついでにその横にも洗濯機を置きました)、また自分用の風呂場にも洗面所にも取っ手を付けて安全にしました。だけど喜んでくれるたはずの人はとっくの昔に居なくなっていて、今さらながらに申し訳なかったと思います。
もっとも、かつては寿命も短かったので、老人のためにお金をかけるなんてことはどの家でもなかったのですが。現代社会の高齢者は「今の世の中は生きにくい」とかこぼしますが、昔の老人の大変な暮らしを知っていれば、そんなことはとても言えないはずです。竈に火をつけてご飯を炊き、七輪で魚を焼き、食器洗いは冷たい水で、それも寒い台所の土間で。掃除・洗濯だって機械があるじゃなし。
ただ、問題は経済力ではなくて、わが家の場合は後には結構余裕があったのに、住を優先しなかったことです。お金があると着物や洋服などの贅沢品を買うことが多く、「衣」には気を付けるのに(多分見栄もあったのでしょう)、不便だとか使いにくいとかこぼしながら住にはお金をかけなかった。これは田舎では現在に至るまで一般的で、大きな車を二台・三台持っているのにその入り口はボロボロ、瓦も剥げかかっているという家がよくあります。
「人が家に合わせて暮らすのではな」く、「人に合わせて家を作り替えていく」のが理想ですが、それができるのは余程経済的にめぐまれているか、いちまるさんのように家の構造とその改造の技術を知り尽くした人でないと難しいと思います。ほとんどの人はその場その場で、与えらられた環境にあわせて、限られた時間のなかで、間に合わせの対処法で生活を維持しながら不満を抱えたまま一生を終えるのではないでしょうか。経済力にものをいわせるのでなく、地球にやさしい身近に利用できるものを上手に使って、職人技を駆使して理想に近づける努力を楽しみながら続けているいちまるさんは、同時代のヒーローです。