12月1日(木曜)曇り
昨日午前中に今度移り住む50年以上前の古い家に電気とガスが通りました。湯沸かし器も使えましたしお手洗いの便座も大丈夫なようです。お勝手の根太が、あちこち抜けていました。根太を補強して、型枠用合板の塗装面を下にして下からの湿気を遮断させる方法であっさり貼ってしまおうかと思います。コンパネをこんなふうにして使っているのは多分、僕ぐらいのものだと思います。畳1畳分の合板を運ぶのは骨なので、2つに切ってもらって運びます。
とても住まいやすい家だと分かりました、準工業地帯なのに周りは静かです。また家の中のことを言えば、、例えば階段の勾配がゆるいので上り下りが楽です。前住んでいた方がお手洗いで、立ち上がるときの取っ手を自作していました、苦労して作った後がありありと残っていて面白いのでそのまま取っておくことにします、壁も塗ったり貼ったりのほうは専門なので楽しみながらゆっくりやるつもりです。裏に電子レンジだの自転車のフレームだのガラスの水槽だのが転がっていました…ぼちぼち片付けようと思います。見通しがついたのでちょっとほっといたしました。見通しがつけばどんなに散らかっていても汚れていても、家のにおいすらも気にならない、時間が経過すればきれいになって片付くことは分かっているからです。
昨日のほぼ午前中いっぱい体動かしていたので夕飯はおいしかったです。勤労は頭にも体にも心地よいです。僕は一生働くようにできている…あはは🤣
昨日あることに気がついた…僕が新聞も読まないしテレビも見ない、スマホは8時から4時まで12時からの1時間の休憩時間を除いて(最初僕が18から働きだした頃、所属していた工場の就業時間に合わせた)基本的に見ません。その理由…きっとこうだ→いろんな知識や面白い豆知識は行動を拘束する。わからないことがあるとスマホ、テレビ新聞を開いて見る。人間は生きていれば1日数万回も判断していると言うのに「流れ」をそのたびにストップしてそのたびにストレスを感じている。笑顔が少ない理由だと思った。働くという事はそういうことだ。他人合わせ、だから楽しくない。楽しく働くことを真面目に考えないからだと思う。みんな不真面目すぎる、誠実じゃない、僕にはそうとしか思えない。(組み立て作業ですら…少しの部品を組み付けるのではなくたくさんの部品を1人の人が組みつけると楽しさが増す、そういった工夫こそ、肉体の一部である脳みそは喜ぶ)。
明日は11時から12時半までお片づけクラブの皆さんが数人集まる…週刊新潮10月20日号(図書館のリサイクル本)にお片づけ特集があったので拡大コピーして10部作った、ぶら下げる簡単な名札も用意した。僕の家を探しながら訪ねてくださる方達、きっと僕はたくさん学習するだろう、スマホを何百ぺん検索するよりももっと多く。
今日は壁や柱に打ち付けられた1本1本の釘や木ネジを抜きながらこの釘やネジを打ったときの人の気持ちを考えながらやります。ラベル類や柱にしっかり接着剤でくっつけたフックも同様の気持ちではがします🪝。
先日の我がブログで話題にした「ハワ―ズ・エンド」、これを読んだ時感じたのは、人が住む家を決めるのではなくて、家が住まわせる人を決めるのではないか、ということでした。いちまるさんの「陋屋」も、誰かふさわしい人が来るのを待っていたのでしょう。楽しみながら、元の持ち主にも思いを致しながら、自分に合った快適な住まいにしていく。理想的な住居造りですね。人の気持ちが大事であることは言うまでもありませんが、同時にいちまるさんはアイデアを実現する技術とそれを楽しむ資質を持っていらっしゃるから可能だったので、そういう組み合わせは実際にはなかなか見られるものではありません。