家族の周期…友人からそんな言葉を聞いた。なるほど面白い。結婚しているとかしていないとかそんなことではなくて…それぞれが社会で自分を生きる。自分自身社会に対し何らかの表現をして社会の辛酸をなめる。本人が意識しているとしていないとにかかわらず社会はそんなに甘くないので対応している自分は過剰適応だろうとなんだろうと社会とがっぷり四つに組んでいる、あるいは組まされている。社会を世間と言い換えたほうがわかりやすいかも。広い世間も狭い世間もある。いくつかの世間を選びとって、さらにそのいくつかを渡り歩く。振り返っている暇はない。
何がそんなに面白かったのか…よちよち歩きから進学や家族旅行やらみんなでごちゃごちゃ生活していれば面白かった家族の風景が…いつかバラバラになる。そんな小説がいくつもあったっけ。それぞれが成長してそれぞれの生活を新しく始める。ちょっと後ろを振り返るとき…昔の家族と照らし合わせる時期、そういう巡り合わせを…家族の周期…と呼ぶのかな?
後期高齢者になんなんとする僕自身…底辺に近いところをはいずり回っているようで、それなりの一直線の人生だったような気もするし…振り返る暇のない人生だったような気もするし…振り返れば決して一直線ではない気もする。ロバート・フロストの詩にあるようにいつだって僕らは選択し続けてきた…枝分かれのそのポイント、ポイントでどちらかを選んできた。振り返ったときに初めて道筋がわかる。二重写しに家族の道筋も良いにつけ悪いにつけ明らかになる…。そうやって俯瞰して、初めてわかるのが家族の歴史でありそれ全体を家族の周期と言ってみるのは面白いし、死ぬまで生きる覚悟?を決める時にも、何らかの次のステップを踏むための布石にするときにも、必要なプロセスの一つだと、まぁまぁ偉そうに言ってみる今朝の僕…なに言ってんだか、ハハハ。
びすこさんに日本の家制度について、そのいくつもの事例とともにしっかりレクチャーを受けたおかげで、かつて学んだことどもがありありとよみがえってきます。 いわく、第二次大戦後、アメリカ人たちは、かつての日本の軍隊の組織の指導体制の堅固なことの原因が…ひとえに日本の家制度にあった…と結論した…と聞きました。だからこそ…死に物狂いで(戦争は終わったと言うのに)そのぶち壊しに執念を燃やした。日本が二度と復活しないように…。民主主義の理想をこの国に実現しようとして…。 すべて聞きかじりですが…自分なりには…よくできたストーリーだと感心しています。びすこさんが鬱勃たる(音声入力恐るべし…こんな字書くんだ…ウツボツ!)思いで示してくださる家族の肖像は本当に貴重です。浮かび上がる家制度の他の一面。安易なコメントは控えさせていただきます。 自信満々な僕ら(最初の事業に失敗したというのに…)を文字通り社会の実学で鍛えてくれたのは若い人たちでした。仕事はおろか考え方まで…僕と相棒よりも苦労してました。僕が尊敬している自分の子供のような年齢差の1人を思い出しました、というか忘れた事はありません(今は立派な家庭人です)。岩手で若い時から足場を組んでいた彼が、僕らに教えた事は…年寄りから学んだ知恵でした。世間で不良扱いされる彼は僕らの教師でした。商科を出て、輸入業をしていた相棒といっぱしその気になっていた経理マンのぼく、日々勉強でした(長くなるのでこの話も割愛)。エピソードを1つだけ…彼が会社を去る時…僕と相棒は心ばかりの謝礼を出した、彼がなんと言ったか…苦しい家計の中からこの金が出たことがわかります、ありがとうございますと言いました、若干17歳の彼にそう言われた30過ぎのお坊ちゃん2人、黙って彼を見送りました。
この頃、家族って難儀なものだなあ、とつくづく感じます。どんな躾が功を奏したか、何が失敗に終わったか、後々まで、それも子供が年老いてご隠居さんになるまで、しかとは判明しないことがいっぱいある。
田舎では特に家督とか長子相続なんてものが宝物殿の宝のように思われているから、息子は往々にしてプライドだけ高くて実力のない男になってしまう。ところが家庭で甘やかされても、社会は甘やかしてくれないから、恨みつらみを抱く。
「うちの跡継ぎ息子」なんて大事にしても、親が子供を保護できる期間なんて僅か、後は社会の荒波に揉まれて成長してもらわねば-なんだけど、厳しくされたことがないからポカンとしている。
子供に捉われて、自らの人生を生き損ねた、あるいは十分に生きられなかった人は多いですね。子のために払った犠牲と、そこから得たものとを比べてみると分かる。話がえらく飛びますが、ソクラテスやアリストテレスが可愛い息子のために奔走した、なんて聞いたことないものね。