爽やかに晴れ渡った空の下、といっても出掛けない。せいぜい物干しに出てついでに体も干すだけ。いつもお腹を空かせている。お腹がくちくなると本を読む気がしなくなるからです。洗濯物を日差しよけにして本をパラパラめくる…
完全解読「オウム真理教事件」竹岡俊樹著:勉誠出版1999年11月初版
著者は考古学専攻、とある。半分ほどまで読み進め…だんだん気分が悪くなる。気分を変えるため頭の中を1回転させてみました。松本智津夫を作ったのは世間ではなかったか(「日本社会がオウムを生んだ」という本もあるらしい)。
教団が瞬く間に大きくなった原因の1つに言及しているところ引用します。
144〜145ページ
信者たちが口々に述べる教団内での居心地の良さは、自分の位置づけ、やるべきこと、目標がこの上なく明確であること、つまり自己実現が教団にゆだねられていることと、自分の過去(前世)から現在そして未来にいたるすべての問題が解決され切っていることである。そこでは「私」が「自分」について考える必要はない。彼らがつぶしたのは、「私」自身なのである。
ある元信者は次のように述べる。
指示が出たらみんなでさっと動くとか、そういうのってあるじゃないですか。こういうの楽だなあって思いました。自分で何も考えなくていいわけですからね。言われたことをそのままやっていればいい。自分の人生がどうのこうのなんて、いちいち考える必要がないんです。後略…
また、林郁夫は次のようにふりかえる。
同質の私たちは、問題意識を研ぎすます必要もなく、ただ麻原から与えられたワークにのみ意識を集中して、「今は右に向かっているぞ」といわれれば、「そうか、今私たちがやっているワークは右手に行くためのものなのか」と思い、今度は「左へ向かうぞ」というのを聞けば「そうか、いまやっているワークは左へ行くためのものなのか」と思い、目の前に与えられたワークにのみ意識を集中し、結果を出そうとしていました。そこでは、私たちは口を開けて餌を食べさせてもらって、ワークをして、オウムという動力車にエネルギーを注ぎ込んでやれば、麻原がその車を運転して、目標に向かわせてくれるという構図ができあがっていました(46「オウムと私」P310」。
見てくれや組織や広告に騙されてはいけませんね。
去年?のことでしたか…実際のところどうなんだろうと思い立ち…ちょっと動いてみました。
たった1回3時間ほど新宿の公園でホームレスの人たちの炊き出しを手伝いったり、または僕の近所のホームレスの人にホームレス卒業の手引きを渡し顔見知りになれば…その人がその人なりのホームレスのネットワークを持ちリアカーをどこからか調達し荒川河川敷で冬を越したことなど、本人や近所の人たちにそれとなく聞いて回ればたちどころにわかりました…僕が1次情報を大切にする理由です。
手抜きをして自己実現などできるわけがありません…僕の少ない経験から断言したいです。ルールを守っていれば人から後ろ指をさされない、人一倍他人の目を気にする僕らの国民性。でもそのルールを疑って見ること、僕自身おぼつきません、ルール作りが民主主義の基本であるというのにです。今日この本を読みながら…知らない間に洗脳に加担している自分という構図が見えてきてちょっと謙虚になりました。
(著者は考古学者らしくこの本の第9章「解読」で解読してみてくれますが…そこを読む前にちょっとは自分で考えてみたいと思いました、というかお腹も空いてきました、、今日はここまで。最近のルールは、お腹は空かなければ食べない…です^_^)
へえそんな言葉があるんですねぇ、人はそういう傾向を取りやすいということでそういう言葉を後付けで当てはめたわけでしょうか?それとも制度が先にあって人を馴染ませる、収容所列島、籠の鳥も意味する言葉を作った?昨日寝る前にコメントを拝見して…今目が覚めて…居心地の良い寝床、インスティチューションナライズ?されていた寝床から起きることにいたします、、やっぱり怖いくらいに人間になじみが良いのですね、この言葉、本当に意味深です…そして若いときの1年間の貴重なご体験…つらつら思っただけですっかり目が覚めました、ありがとうございます😀曲解だったらごめんなさい😌