兄が気にしている引き戸の木目の傷を…同じような木目シートで適当に直したら…気に入ったようだ。ついでに天気が良かったので庭の雑草も45リッターのゴミ袋で5袋位鎌で切り集めた。後は株式市況について意見交換。男と女の話。男同士で馬鹿っぱなしが1番面白い。お昼過ぎにヘルパーさんが来たのと入れ替わりに帰ってきた…帰る時兄が大きな声で…「忘れ物はないか!」と玄関先まで聞こえるように怒鳴っていた…これでよし。電車に乗って空いていても座席に座る事はほとんどないのですが何やら疲れたので座って帰ってきました。
…雑草を荒っぽく刈り取っていると…揚羽蝶がひらひら…あぁ、母が来たなと適当に空想した途端、思いついて、、庭の雑草のカタバミのピンクの花とか白い野菊とか適当につまんで、すんの短いペットボトルに挿してテーブルに置いた。兄がとってつけたように…こんな雑草でも… (いいもんだな)と独り言。母が兄弟をつないでいる。
合間に読んだ「ドガ ダンス デッサン」ポール・ヴァレリー著:清水徹訳:筑摩書房2006年12月初版…という本が面白かった。詩人のポール・ヴァレリーが、若い時、画家のドガの手伝いをしてた(ルーブルでドガのためにある作品の模写したり、下働きをしていた)ところから書かれたものらしい
、、ウィキをちょっと調べてみたら、ヴァレリーとドガの関わりに言及している記載なし。ま、別にそんな事どうでもいいのでざっと読んだところ…ドガの言いたい放題のエピソードが実に愉快で、ドガをわざと怒らせて楽しんでるヴァレリーも愉快。ヴァレリーの独白みたいな箇所引用します。
93ページ…身振りを真似て見せる…
ドガのなかには身振りの真似をする(傍点付き)ことへの奇妙な感受性があった。それだけではなく、踊り手やアイロンをかけているクリーニング店の女たちを題材に、彼はこれらの女たちを、その特有の職業的な姿態において捉えたが、それは彼に人体の視覚像を更新させたばかりか、彼以前の画家たちがかつてかかわったことがないほど多くの姿勢を彼に分析させた。柔らかく横たわる美しい女たち、悦楽のヴィーナスやオダリスクには、彼は目もくれなかった。ベッドのうえに、どこか猥褻でしかも凛としたオランピアのような、まぎれもなく事実として荒々しい女を横たえるなことなど、彼は求めなかった。肉体は、金色に輝くこうと、真っ白だろうと、桃色であろうと、描こうという気持ちを彼に起こさせなかったようだ。そのかわり彼の熱中したのは、ダンスやクリーニング店での糊つけの奴隷、また舗道の奴隷ともいえる、それぞれに特殊化された女という動物を再構築することであった。それらの女たちの、職業柄それぞれに多少とも変形していた身体に、彼は、関節をもつ身体構造のきわめて不安定なあり方(たとえば上履きを履こうとするとか、両方の拳をにぎりしめてアイロンを布地に圧しあてるとか)を取らせるのだが、そういうときの彼女たちの身体を見ていると、あるひとりの生きた人間の力学的な機構の全体が、まるで顔をしかめる(傍点付き)ような姿を見せることがありうるのだと、思わずにはいられない。引用以上。
148ページ…時代の問題…
ドガはみずから(思想家)と呼ぶ人びとを嘲弄していた。
改革者、合理主義者、(正義と真実の)人びと、抽象家、美術評論家…といった人たちである。これらのいかにも真面目な人びとは、彼の生気、優雅、口車に乗りたくないという欲求、つまりみずから行う芸術の困難と厳密についてのほとんど悲劇的な感覚と、ある種の子供っぽさ、他者の理想の滑稽や愚劣を捉えようとするひねくれた傾向とを結びつけている彼の本性そのものを、苛立たせるのであった。
…中略…
150ページ
人物(傍点付き、※ヴァレリーはドガのような人物を言っているのだと思う)が稀になっていく。風変わりで特異な者たちが消えていく。それに、そういう者たちがかりに眼にとまったとしても、いまではたちまち「精神病院」に収容されて、精神医たちが彼らについて立派な書物を書くことになる。
たしかに、何人かのアメリカの百万長者たちがメディチ家を演じようと試みたが、しかしそれは手探りのことを、つまり権威への忠告に従った(傍点付き)ものにすぎない。
それに彼らの行動は、効果を求めてのもの、新聞や美術館や公共の福祉を目指してのものだった。
快楽のためではなかったのだ。(傍点付き)。
ここに重要な点がある。官能の楽しみは、いま、死にたえつつある。人びとはもはや楽しむすべを知らない。現代は、強度、巨大、速度、最小経路による神経中枢への直接的働きかけの時代なのだ。
芸術は、いや恋愛までもが、自由な時間と活き活きとした過剰の新しい消散方式に席を譲らねばならぬ、そしてそれらの形式は何であれ、なるようになるだろう。
引用以上。
(僕は上の文章をきちんと理解できたわけではないのですが、、こう考えました…これは文章によるヴァレリーのデッサンなのだと、、デッサンだと思えば…強調と勢いがあるので言わんとする事は感じられます…偉そう、おやすみなさい)
写真は同書94ページより引用
マネの描いたこの女性の内面の空虚にその後何が詰まっていったのかと思うと…これまた複雑な気持ちになりますね、マスターピースぞろいの展覧会は時代の橋渡しに心を遊ばせる貴重な体験でしたでしょうね…いつもさりげなくお誘いいただくのですが…前景の鑑賞者の人だかりを想像して腰が引けてしまいます。こうやっていろいろなチャンスを逃し続けている果てで、遠くの方から興奮の余韻をせいぜい増幅させて想像するスタイルが…身に付いてしまいました、情報摂食障害?なんだと思います😉🤔
ヴァレリーのお父さんが気にいっていた所蔵のドガの絵をドガは直させてほしいと頼み…結果作品を台無しにしてしまったとか、しばらくしてその代わりの絵が届いた(鉄棒によって練習をしている踊り子たち、1872年)、、さらにしばらくしてドガはその絵をまた直させてほしいと言ったそうです…ヴァレリーのお父さんは絶対に渡さなかったそうです、そうですかドガお好きでしたか。この本は読んで良かったなぁと思っています。
わあ、ドガを取り上げて下さって嬉しい!しかもそれがかのヴァレリーの本。
ヴァレリーについては若い頃吉田健一の本で知って、評論を二つほど読んだけど高尚過ぎて理解できなかった。でも知性の塊ってことは分かりました。
ドガの絵、「座って髪を整える女性」というのですが、今打っている私のパソコンの前に掛けてあります。確か1987年にCourtauld Institute Gallaeriesで買ったもの。今は単にCourtauld Galleryと呼ばれるようですが、ロンドン大学に属することは同じらしい。
もう35年ほども昔ロンドンに何かで行ったとき、あまり知られていない美術館を幾つか廻った中にこのコートールド・ギャラリーがありました。一目ぼれで買ったこのポスターを持ち帰って巻いたままにしてあったのをドイツに持ってきて、町の写真館で額に入れてもらい、目の前に飾っています。
ポスターを買ってほどなく、日本でちょっと面白いことがありました。さる商社のテキスタイル部門の人と話していたとき、このコートールドという美術収集家はレーヨンだか何かの合成繊維の開発で知られる企業家であると教わりました。あとで調べるとコートールド一家は17世紀にフランスから英国に移民として渡ったとのこと。
ドガ、ヴァレリー、コートールドとフランスの系列で繋がっているんですね。
揚羽蝶にふとお母さまの魂を見る。分かります。蝶や蜻蛉や、それから小鳥などの飛ぶ姿は人の霊の化身のように見えることがある(だからジョットはいつも聖アッシジを小鳥たちとともに描いた)。
わが日本では和泉式部が「物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づるたまかとぞ見る」って言っています。
「現代は、強度、巨大、速度、最小経路による神経中枢への直接的働きかけの時代なのだ。
芸術は、いや恋愛までもが、自由な時間と活き活きとした過剰の新しい消散方式に席を譲らねばならぬ」
そういう風潮から自由な時代に生きた女の魂を蛍が象徴しているようです。