2009年ドイツ紀行🇩🇪 008(最終回)
…最終見学日 あっちこっち…
ベルリン最後の夕食は、JTB駐在員お勧めのホテル前のガード下にある「レストランN O L L E」に行きました。ウェイトレスが「オンナジ?」と聞いてきたので、「オンナジ」と答え、次いで「イングリッシュ?」ときたので「イングリッシュ」と答えました。「オウム返し会話術」と称するのですが、間違いなく効率的に話が進んで便利です。早速、席に案内されて英語のメニューが用意されました。数年前にパリのプチホテルに連泊していた時、ルームメイクの女性が、会って2日目から「シバラーク」と挨拶してきたので、私も「ボンジュウル、シバラーク」と答えたのです。その時の彼女の満面の笑顔は、女神のように輝いて見えました。そして毎日「シバラーク」と挨拶しあったのでした。
メニューの中から知っている単語を見つけ出して、スパゲッティーとソーセージの盛り合わせ、ワインとなりました。BGMはジャズで、時々頭上を通る電車の音とミックスします。照明はテーブルの上だけが明るく、周囲の人を気にすることなく食事を楽しむことができました
ホテルの1階の靴屋さんに入り、妻はブーツを購入、「日本の半額なんだから」との説明に納得した次第です。9時就寝。
1月28日(水曜日)
朝食の後荷物をまとめて、チェックアウト手続きをして、JTB駐在員と共にタクシーでデーゲル空港に向かう途中、「今日は、空港従業員のストライキがあるので遅れが出ています」との説明がありました。空港に入ると30人位の労働者が組合旗を掲げて静かに行進していました。搭乗手続きを済ませてミュンヘン行きのルフトハンザ国内便が出発したのは2時間遅れで、ミュンヘンに到着すると成田駅は出発した後。フランクフルト経由で全日空のジャンボ機に乗り換えで成田に戻ることができました。
帰国してから新聞を見ると、フランスでは雇用の継続と国民の購買力の向上を求めて、政府の経済政策の見直しを要求する統一行動が行われ、交通機関、教育などの公共分野の労働者を中心にストライクに入り、全国各地で集会やデモ行進が行われたと報道されていました。ベルリンテーゲル空港のストライキも、その連帯行動だったのかも知れません。ストライキなどの権利を堂々と行使し、前進するヨーロッパの労働者と、それを支える社会的基盤は、単に労働運動の歴史の違いといった数世紀前のことに起因するのではない思います。安息日の過ごし方にしても、エジプトのファラオの時代に奴隷状態から脱出したユダヤの人々の人間解放の哲学が、親から子。子から孫へと三千年の歴史を経て、くりかえし教えられてきたからだと思います。
大きな問題として、有給休暇に対する私たちの考えは、根本的なところで意識を変えなければなりません。法文上、かつ裁判例でもはっきり確定した権利があるにもかかわらず、病気あるいは冠婚葬祭の時以外有給を使用できないことが、職場の末端の人たちから告発されています。私は、東京公共一般と言う個人加盟労働組合に加盟して、団体交渉権をバックに長期旅行の件了解車に認めさせましたが、JRの3連休パスに慣らされている普通の労働者がこのことに気づくのは、いったいいつになるだろうか、労働者側としては年間を通して闘える材料だと思うのですが、皆さんはどうお考えですか?
ドイツの戦後処理として実施された分割が、超大国の対立の中でベルリンの壁を生み出し、ソ連の崩壊と共に壁は崩壊しました。ソ連とはいったい何だったのか?一例として「リヤザン事件」を考えてみましょう。1959年、フルシチョフの食肉増産のキャンペーンに応じて、リヤザン州では食肉生産を3倍に増やすと宣言し、計画は達成されましたが、繁殖用の家畜までを強制的買いあさって食肉としたため、同州の畜産は壊滅的打撃を受けたのですが、フルシチョフはこの成果を大々的に賞賛し、他の州の指導者にも同じ手法を取らせたのです。
ものを考える時、できるだけ多くの資料を人類史的立場で、かつ地球的規模で研究することは、今を「生きる」私たちに大きなヒントを与えてくれると思います。(おわり)
今調べたところ、下記のような本が出ていますね。1992年の版でISBNがあって入手可能かもしれません。
クラウス・コルドン、那須田淳,木本栄訳 『ケストナー―ナチスに抵抗し続けた作家』 偕成社、1999年。ISBN 4038142000。
高橋健二 『ケストナーの生涯―ドレースデンの抵抗作家』 福武書店〈福武文庫〉、1992年。ISBN 4828832394
最近、中東・アフリカの現状を知る人たちからの話を聞いてちょっと考え込んでいますが、そのあとで、こんなに人間の価値観や生き方が違うのは教育の有無とその質の差ではないかと思う一方で、これらの国には子供が楽しめる児童文学やいわゆる「お話」があるのだろうか、という疑問に行き着きました。
なるほどなるほど…これはもうイモヅルシキ、、高橋健二訳の同名の本と他の訳者による「ケストナーの生涯」の最新のものを読んでみましょう、ありがとうございました😊
ホテル前のガード下のレストラン、へええ、日本みたい。有楽町界隈の雰囲気を思わせますが、当ってないかな。靴を買ったのはよかったですね。ドイツ人にはフットケアはとても大切で、靴にも凝るから。
フルシチョフの「リヤサン事件」知らなかった。繁殖用の家畜まで食用、というのは、穀物栽培の国で種籾まで食べてしまって苗代に撒く種がなくなるようなものではないのでしょうか。
私のソ連嫌いは小学校高学年から。当時教室でラジオのニュース番組を聞いて先生がそれにコメントを加えるという授業があったのですが、ソ連のこととなると先生がやたら褒める。フルシチョフなんか絶賛。私が級友に「先生、ソ連びいきなのね」と言ったらそれが先生に伝わって、1年間陰湿な虐めに会いました。わりと鈍かったので乗り切れたけど。
だから岡田嘉子の逃避行をやたら大きく取り上げる新聞雑誌にも、相当な不快感を催していました。一方で宮本百合子などは、なんで宮本顕治なんかと結婚?と冷淡に思っていましたが、後日彼女の書いた物(主にエッセイ)をいくつか読んで共感を覚えました。鴎外の女性観などもあり、共産主義の臭みが全然なくて暖かい筆遣いですよね。
彼女の書いた物に本格的に接したのは、東プロイセンの職人の家に生まれたドイツの女流画家について調べていて「ケーテ・コルヴィッツの画業」という文に出くわしたときで、短いもので青空文庫でも読めますので、是非ご覧になって下さい。画・彫刻ともにインパクトが強く、こういう芸術家を紹介している宮本百合子に感服しました。(写真は「彼の手の中で静かに憩う」とかいう題のブロンズ作品です。)
感服ついでに、ハルさんにもいちまるさんにも目を通していただきたい本があります。エーリッヒ・ケストナーという作家はご存じでしょう。「飛ぶ教室」が一番有名みたいですが、「二人のロッテ」とか「エミールと探偵たち」とか、「点子ちゃんとアントン」とか。
いずれも、こちらに来て間もなくドイツ語の勉強に使いました。それで、あれは2005年ですが夫に付いて仕事でほんの一泊で初めてドレスデンに行ったとき(まだフラウエン教会の再建に着手したばかりだった)、本屋のショーウィンドウにやたらとケストナーの名前がある。聞けばケストナーはドレスデン出身というではありませんか。
さて今年の夏、東独出身の社員の奥さんと話していてケストナーのことが話題になり、ついでにドレスデンの話を出したら、その翌日にケストナーの「わたしが子どもだったころ」という自伝(第一次戦争勃発の年まで)を貸してくれました。
これがもう、とてもいいのです。他の作品ほど有名ではないけど、高橋健二の古い翻訳があるようで、もう入手が難しいようですが、探せばあると思います。もちろんドレスデンでの14,5年なので、ザクセンの最後の王様すら出てくる。そしてハルさんが紹介しておられた宮殿や教会などの建物も。ケストナーは小柄で、そのためドイツ人が一般に苦手な体操(鞍馬とか鉄棒など)を6歳から始めたという話も面白い。一番心を打たれるのは、お母さんの深い愛情です。
東西ドイツ分裂で母子はバラバラになり、ケストナーはミュンヘンで亡くなるけれど、東に残ったお母さんは「反戦のケストナー」の親ということで、結構大事にしてもらったみたいですよ。
掘り出し物を見つけるのが上手ないちまるさん、ここで一肌脱いでください。
絵はがきで見る写真を眺めているのとは全く違う風景がいくつものシーンで目に浮かんで参りました、、例えば今回の最終回の旅行記の中に入れ子構造のように挟まれたこんなエピソード…ルームメイクの女性が発した、たった1つの単語「シバラーク」に対して熊谷さんが彼女の気持ちをおもんぱかって「ボンジュウル、シバラーク」と当意即妙に返す言葉で交わされる笑顔の交歓、女神のような輝く笑顔に出会えた熊谷さんもまた、ジャパニーズジェントルマンとして彼女に小さな旅をプレゼント🎁して差し上げたのではないでしょうか、熊谷さん、8回にわたり素敵な旅行記をありがとうございました。