009年ドイツ紀行🇩🇪 002
成田空港で、ドイツ人女性が教えてくれた言葉です。「Hallo, lass uns freunde sein!」こんにちは、友達になりましょう!となります。
*1月24日(土)*
午前5時起床、JTB現地係員から渡されたベルリン市内の細かい通名の入った地図と電車の路線図を入念にチェックする。「地球の歩き方」にも地図は載っていますが、現地のものはさらに細かく、判も大きいので役に立ちます。今日の予定は観光バスによる半日観光と街歩きです。6時にホテルの0階(日本では1階、ヨーロッパは0123の順で階数を指します)で朝食。パン、ハム、ソーセージ、ヨーグルトなど種類がたくさん、昼抜きでもすむように、時間をかけてたっぷり食べました。このホテルのレストラン・カフェなどの部屋には「プッチーニ」「ヴェルディ」「ロッシーニ」などと作曲家の名前がつけられていました。
10時、フリードリッヒシュトラッセ駅に行き切符を買い、ホームでスタンプする機械に入れて打刻し、ツオー(Zoo=動物園)駅に向かう。改札口がないのにタダ乗りする人がいないのが不思議です。ツオー駅よりヴィルヘルム教会まで歩く。この教会の鐘塔は戦争の悲惨さを忘れないために、広島の原爆ドームと同様に、爆撃を受け焼爛れた姿を記念碑として残しているのです。ここが観光バスの出発地点となっていました。
観光バスは2階建てでイヤホンで各国語の解説が聴けるようになっています。約2時間ほどで市内の主な名所を廻ります。市内は東京のような超高層の建物は全くなく、建物は6階建て位。道が広く、街の中心はティアガルテンという広大な公園です。電柱もなく電線は地中を這っています。広告看板も見あたらず、全体に落ち着いた雰囲気です。途中、ユダヤ人犠牲者記念館の脇を通りました。ブランデンブルグ門、首相官邸、連邦政府議事堂からも至近距離に巨大なコンクリートブロックが2711も置いてあります。ガス室に送られ殺されたユダヤ人500万人、ユダヤ人以外のガス室の死者200万人。この歴史の事実、そしてナチス(国家社会主義ドイツ労働党)はクーデターで政権についたわけではなく、選挙で多数の支持を得て政権についたという事実…。ベルリンの壁は、中心部を流れるシュプレー川の岸に沿って残されており、バスの乗客はここで記念写真を撮影しました。壁については、戦後処理に密接に関連したことなので、後述のポツダム訪問で詳しく述べたいと思います。
出発地点ヴィルヘルム教会の少し手前で観光バスを降り、エルメス等の高級ブランドショップの並ぶ通りを通って、ツオー駅に戻り、電車を途中下車しながらホテルに帰ることに決め、まずティアガルテン駅でフリーマーケット見学、次いでベルリン中央駅で翌日のドレスデン行きのために出発案内、乗り場の確認をして、フリードリヒ・シュトラッセ着。駅地下のスーパーでヒゲ剃りとイタリア産のオレンジ1キロ、ミネラルウォーター6本を購入。ドイツのスーパーにレジ袋はないようです。食品店でフライドポテト、サンドイッチ、ソーセージなどなど買い込んでホテルの部屋で夕食。今日は昼飯抜きでした。
話は前に戻りますが、帰りにヴィルヘルム教会の広場で、パレスチナ人の学生たちがガザで虐殺された子供たちの写真を掲げ、スローガンを書いた横断幕を張って署名活動をしていました。私たちは日本語で表明しました。第2日目はこれで終わりです。(ベルリンの壁の前に立つ筆者、の写真は省略) (次号に続く)
「改札口がないのにタダ乗りする人がいないのが不思議です。」いえいえ、タダ乗りはすごーく多いですよ。でも検査官が車内を点検して廻っておりまして、見つかると目の玉が飛び出るほどの罰金をその場で取られます。
もちろん罰金に抵抗する不良・ごろつきもいます。それで近年は、オーストリアなどでは独りでチェックするのは危険ということで2人、それも屈強の男たちが見回り、無賃乗車を見つけると金を払わせ次の駅で放り出します。
ただ、ドイツは「自分が損するわけじゃなし、知ったことか」というDB(ドイツ鉄道)従業員が多いので、無賃はますます増えています。チェックするのも、か弱そうな女(私みたいな)や老衰ぎみの爺さんとか、弱者が標的で、髭だらけのイスラム教徒などには「触らぬ神に祟りなし」で迂回していきます。