2009年ドイツ紀行🇩🇪 004
…旅先でショスタコーヴィッチを思う…
1月25日(日)続き
今日は日曜日、ドイツのデパート・商店はお休み、営業していません。歴史上初めて日曜日を安息日と法律で定めたのは、紀元前321年。ローマ帝国の市民法として成立し、奴隷や家畜を休ませました。キリスト教はユダヤ教の中の新興宗教として成立し、世界に広まっていきましたが、安息日の習慣は紀元前のユダヤ教の中にすでに存在していました。
現在のユダヤ教徒がどのような安息日(金曜日)を過ごしているか、日本経済新聞の記事でご紹介します。…「労働しない。機械にふれない。お金を手に持たない。車に乗らない。電話に出ないし、かけることもない。料理もしない。」…これらは厳格で妥協がないそうです。イスラエル航空は金曜日は飛行していません。旧約聖書では、安息日を破ったものは死刑に処せられると記されています(出エジプト記31 ・14)。
日曜日には高速料金が安くなるからといってマイカーを走らせ、国民の祝日は旅行業界の都合で年中移動して、有給休暇はあっても取得すれば職場のいじめにあい、メーデーさえも連合系の労働組合は別の日に行う、おかしな、おかしな日本。失っているものはまさに「連帯」のための時間なのです。
キリスト教が世界人口の3分の1、20億人以上に広まったのは、ユダヤ教が「汝の隣人を愛せ」としたのに対して、汝の敵を愛せ」と教えたのが人々に受け入れられたからです。宗教を非科学的なものとして排除して考えるのではなく、その中からエッセンスを吸収することが肝要と思います。旅に出て異なった文化にふれ、歴史を学び比較して考えることの重要性をこの歳になって実感しているこの頃です。
ホテルにチェックインした後は、部屋でコーヒーを飲んで一休みしてからエルベ河の岸まで出かけました。ドレスデンはこの河に新しい橋を掛けたために、今年世界遺産を取り消されました。「エルベ河」と言えば、うたごえ喫茶でもよくリクエストされる曲ですが、ソ連映画「エルベの出会い」の主題歌で作曲はショスタコーヴィッチです。私が前から気になっていたのはその歌詞です。ソ連とはいったい何だったのか?崩壊したので明白なことではありますが、この歌詞のあまりにも大政翼賛的な部分は、どうしてなのか。2005年に音楽の友社から出版された「ショスタコーヴィッチ」にそのヒントがありました。
… 1948年9月1日付でショスタコーヴィッチはモスクワとレニングラード両音楽院の教授職を解雇された。彼の未亡人イリーナの回想によると、新しい学期が始まり、いつもと同じように、ショスタコーヴィッチは時間どうりにモスクワ音楽院の自分のクラスに赴いた。そこで自分のクラスに貼りつけられた掲示を見て、初めて解雇の事実を知り、そのまま帰宅したのだと言う。作品の演奏も禁じられ、教職を失った彼に残された生活の糧は、「ミチューリン」「エルベの出会い」「ベルリン陥落」「若き親衛隊」といった質の低いプロパガンダ映画のための作曲であった。これらの作品で彼は何度もスターリン賞を受賞しているが、それは「生活の支えにこそなれ、異常なまでに僕(ショスタコーヴィッチ)を消耗させた。」…
ジダーノフシチナと言われる、1946年から始まった芸術・学術分野を中心にイデオロギー的締め付けを強める動きは、1953年スターリンが死亡するまで続いたのです。
夕食は、ホテル内の日本料理店に出かけました。経営者の男性は、話してみると東京商船大学の出身で、私の高校とすぐ近くだったので、「深川門前仲町の交差点にあったタキヤキはうまかった」とかのローカルな話題になりました。ウェイトレスの2人の若い女性は、中国語で話しかけたら、中国の瀋陽から働きに来ているとのことでしたが、英語・ドイツ語を使いこなして接客していました。私は海鮮丼、妻はおにぎりと味噌汁、それにビールを飲んで10時に就寝しました。
次号に続く
いきなり安息日の話題。これは私にとっても難儀な問題なのです。そのわけはまたの機会にゆずって、旧約聖書の最初の「創世記」でこの安息日の謂れが記されていますが、手元の聖書の文字が余りに小さいので、ここでは、偶然にも(まったくの奇遇!)昨夜書架から取り出した「ユダヤ古代誌」(フラヴィウス・ヨセフス著)に拠ります。
はじめに神は天と地をつくられたわけですが、一日目には何を、二日目には何をと神のなされた業を列記していき、天やら地やら海やら、そこに飛ぶもの・泳ぐものなどを生じさせ、六日目にようやく四足の生き物(雌と雄)を登場させて、最後に「神は人間をもかたちづくられた」とあります。そして翌7日目。
<・・・神は仕事の手をとめて休息をとられた。そのため、わたしたちもこの日は労働を離れて休息をとり、その日をサバタと呼んでいるが、それはヘブル語で「休息」という意味である。>
英語ではSabbathといいますね。ユダヤ教ではこれは土曜日ですが、キリスト教ではもちろん日曜日。(戦後にアメリカで土曜日をいちはやく休日にしたのは、ユダヤ人に考慮してのことではないかと私は思っています。もっともそれをいうならイスラム教徒のために金曜日も休日とすべきで、週休3日というのも間もなく実現するかもしれません。)
サバタには何もしないで過ごす、という掟はかつてはユダヤ教でもキリスト教でも鉄則とされ、ユダヤ教徒の間でも超正統派・正統派その他の宗派により差がある慣習の中で、安息日を守るという点だけはかなり厳格に守られています。しかし現代社会においては100%拘っていられない部分もあるので、観光客にはある程度妥協していますが、それでも例えば「火を使わない」という点は譲らないので、朝食にできたての目玉焼きなどは出ない。エレベーターも止まる(近代化の象徴である機械・自動車・電気などは使ってはいけない)。これは私が30数年前にイスラエルで経験したことです。
ただ、機器や電気を使わないという点など、別にユダヤ教徒のみの特殊な決まりではなく、現在アメリカに一定の割合で住むアーミッシュ(ドイツ起原)やクエーカー(英国系)なども似たような暮らしをしているようです。
これは確かに日本人その他の東洋人には極めて理解がむずかしく、その問題が明確に取り上げられたのが映画「炎のランナー」(1981年)で、主人公の一人である牧師はオリンピックの100メートル走が日曜日に行われるというので出場を拒否する。金メダルの有力候補だっただけに王族まで出てきて出場するよう圧力をかけるけれど、信仰の問題には国王ですら干渉する権利はないと撥ねつける。結果は週日に行われる200メートル走に出ることで収まるのですが。
この映画を見てとてもよかったので「あなたもみていらっしゃい」とある人に勧めたら、感想として「日曜日に走れないなんて、まるで訳が分からん。なんであんなことで大騒ぎするんだ」と言っていました。うーん、そうなんだろうな、と私はむしろそちらの反応に納得、でも大方のメディアはこの映画を「名作」「傑作」と称えていたので、彼らはこの点をどう捉えているのか聞いてみたい気がしました。
欧州のほとんどの国では日曜日には店は閉まるので、スーパーなどは土曜日に行っておく必要があります。ただ、カフェやレストランは開いています。だって客の多い週末に閉めたら商売になりませんから。一部に日曜も小売店を営業してほしいという当然の要求もありますが、教会が大反対です(この21世紀においても教会の力はやたら強い)。別に商売休んだから、買い物に行かないから、教会に行く、というわけでもないのに、あくまでも7日目の安息に拘るのですね。
一方で、農家だけは日曜に働くことが許されていて、これは自然の気象・天候に影響されるので、月曜日に雨が降りそうだとどうしても日曜日までには刈り入れを済ませておく必要がある。また牧畜業が盛んな地域では家畜の糞尿を牧草地に撒いて春に出る草の肥料としますが、これは雨の降る前日に行うのが望ましい。日照りの続くときに撒くといろんな問題がある。
こんな具合に、今のところはダマシダマシ安息日を守っていますが、現代の生活様式には合わなくなっているので、おいおいサバタの名残も消えていくのではないでしょうか。
あと、ショスタコーヴィッチの音楽とかエルベのこととか、いろいろ話があるんだけど、コメントがこんなに長いのは本末転倒なので、この辺でおしまいにします。