009年ドイツ紀行🇩🇪 003
…列車でドレスデンへ…
今回のドイツ旅行は、一部西ベルリン地区を除き、旧東ドイツ地区です。旧東ドイツの外国語教育は、ロシア語でした。東西ドイツが再統一したのは、1990年10月3日ですから、英語が通じるのは、それ以降に教育を受けた世代ということになります。一抹の不安を感じてはいたのですが…。
1月25日(日)
午前5時起床、ドレスデンへの一泊旅行のため、ショルダーバッグに最低限の荷物だけを詰め、ミネラルウォーターニ本も用意しました。飲み物の自動販売機は、まず見当たらない国なのです。
6時に0階で朝食、マッシュルームの炒めたものが美味、満腹状態になる。
7時半、ホテルを出て、電車で一駅のベルリン中央駅に着き、地下の長距離列車用のホームに降りる。先に発車する列車を見ていると、自転車の人がそのまま列車に乗り入れているので驚きました。
8時35分、ハンブルグ発、ドレスデン、プラハ経由ウィーン行きに乗車、進行方向の右側は通路で、左側は6人部屋の個室です。10分位で地上に出たのですが、近郊の風景が続いたかと思うと、牧草地や防風林のような森が連なり、野生の鹿や狐も見つけました。風力発電の鉄塔も多く、環境先進国と感じられました。
車掌の検札との後しばらくして、マレーシアの男子学生3人組と相席になりました。彼らはモスクワまでは空路で、その後列車を乗り継いで各地を廻りながらウィーンまで行くとのことでした。その中の1人は祖父が中国出身で、中国語も話せました。例によって歌集を取り出して歌うことになったのですが、マレーシアの歌は知らないのでインドネシアの「ブンガワン・ソロ」「私を叱らないでママ」、それから「草原情歌」と「海は故郷」を中国語で歌いました。「スキヤキ」のリクエストがあって「上を向いて歩こう」を歌いました。コーヒーを飲みに食堂車に行くので、荷物を見ていてほしいと彼らに頼まれたのですが、彼らはなかなか戻らず、10時53分ドレスデン中央駅に到着してしまいました。
駅を出たところで方向を間違えてしまい、通行人に道を聞いたのですが、英語通じず、また駅に戻り、再度地図を見なおして、観光バスに乗り、1時間半の市内観光。イヤホンで日本語の説明を聞くと、イギリス軍によるドレスデン空爆は、1945年2月13日で3万5千人が死亡、市内の建物はほとんどが破壊され、5日間にわたって燃え続けたという。その2ヶ月半後の5月2日、ドイツは降伏しました。早乙女勝元さんの著書によれば非戦闘員に対する無差別大量爆撃の元祖は、ドイツがスペインのフランコ反乱軍支援の目的でゲルニカを爆破爆撃したのが最初で、これにならい4ヶ月後に日本が重慶他の都市を5年にわたって攻撃しています。東京大空襲で使われた焼夷弾も、最初に使われたのはゲルニカでした。現在のドレスデンの歴史的建造物は、東ドイツ時代に再建されたものもありますが、フラウエン教会は最近になって瓦礫の一つ一つをコンピューター処理して、再生したものです。ドレスデンの街も大きな公園があり、公園の中には巨大な温水プールがあって、水着姿がバスの中から見えました。オリンピックの時に、旧東ドイツが水泳でメダル数が多かったのは、このような施設があったからとのことです。旧東ドイツ地域の特徴はトラム(路面電車)が大活躍していることです。またひときわ目立つのは最近完成したというフォルクスワーゲンの総ガラス張りの工場です。昔、ネズミ捕りの薬を発明して財を成した人の別荘や、ソ連軍の駐屯地などをまわり、エルベ川近くのヒルトンヒルトンホテルにチェックインしました。このホテルは、東ドイツ時代はスウェーデン資本による経営だったそうで、0階は高級磁器マイセンのお店になっていました。
ハルさんの旅行記に、ろれさんの推奨コメントから、びすこさんへと手渡され、優しいツッコミのコメントが付けられて僕はこの旅行記に実体験のような錯覚を覚える、楽しいなぁ、ちょっと前の過去から現在へ、時間旅行をありがとうございます♪