2月20日(木)
昨日は午後から押上の「よりみち自由室」に顔を出した。M先生が早速缶ビールを手渡してくださって…昼抜きだった僕はおにぎりを頬張り、腹を満たし…居場所についてひとくさり持論開陳。
いわく、4メートル道路幅を確保して、奥に2軒、両側に4軒ずつ家が立ちならぶコの字型に囲まれた通路は、10軒の共同使用空間、、てなことをもっともらしく、ビールを飲みながらPさんや自分の孫くらいなQさんに向かって話しかける。
しゃべるだけ喋って、来客が入れ替わり、僕のほうもネタ切れで夜さらに寒くなる前に失礼して、帰ってきた。
家に帰ってきて、今回の小さな居場所のつくり方講座の卒論?めいたものをまとめたくなったので、ここにメモします。
そもそも居場所ってなんだ。
居場所とは、心の休憩所、気持ちの置き所、と仮定してみる。
①メイン道路から奥まった路地は居場所である。
昔よくあった飲み屋さんのこの字型テーブルの配置によく似たものがある。たとえば、路地を囲んだ約10軒の家の配置を思い浮かべると
メイン道路からその路地に入ると、そこは安全な居住空間の軒先のようなところ。たまに自動車が出入りする事はあっても、一応そこに住む住人の共同私有地であることが多いために、子供たちもそこで遊べる。だから、そこは小さな居場所である。縄跳びも石蹴りもできるし、フリーマーケットやバザーもできるかもしれない。
②自分が住む家の1部を開放すれば、そこは自分だけではなく、他の人の居場所にもなる。
開かれた家はこれからもっと増えていく予感がある。家を開くことでその家を貸し出す方にも
好都合なことがある。家の1部を利用してもらうためには、とりあえず日常のメンテナンスはその家の住人がする。結果、家が片付く。
また、家を開放することによって、その家に世間が出張してくる。家にいながらにして世間の
風を感じられる。
③ LINEのトークルームやグループLINEはバーチャルの居場所である。
墨田区のよりみち自由室のトークルームは200名近い人が参加している。体を移動しなくても思ったことを発言できるし、その発言について他の人の意見も聞けたりする。トークルームの中に、さらに親密な別のグループを派生させることも、そこの運営の仕方も自由自在だ。
そこは自分の気持ちの置き所…つまり体の移動が伴わない分① ②よりももっと自由度が高い居場所である、、なんてことを23日の「小さな居場所のつくりかた」の最終回の講座で発表してみたい。
区民提案による今回の墨田区の講座はぼくの視界を広げてくれました。もっと言ってしまえば、上記① ② ③の考え方は今回のタイムリーな講座で、毎回、ご自身の実践例を発表して下さった講師陣の皆さんのパクリであることを白状いたします。
ひるがえって、微助っ人クラブのことを考えた時、ここも「居場所」のひとつと強弁したくなる。僕はここで自分の思いつきを発表したり、意見が欲しいときに意見を求めたり、イベントのお知らせとか、なにか相談したいときに使わせてもらいたいと思い始めています。つまりは葛飾名物、なにげない路上の立話や独り言が聞ける場所にもなっていって欲しい。
独り言を漏らせば、、少なくともそれは宙に浮かぶことなく、もしかしたらだれかに回収してもらえるかもしれない…そんな楽しみもある…なんちゃって😅
これからは、自分の身の回りの様々なお集まりについて、一つ一つじっくり観察させていただいて、またパクリのネタがないか目を光らせることにします❗️情報もお寄せください。お待ちしています。
居場所と言えばですね、今住んでいる家に私の居場所はたくさんあるんです。自分専用の部屋が二つ、いずれも8畳くらい。え、大邸宅なんだね、と言われるかもしれませんが、ここは以前倉庫だったのを住まいにしているので、スペースだけは十分にある。そりゃ、貸倉庫にでも住めば誰でも広い空間を使えます。
以前には自室はパソコンを置いてある部屋のみで、机の上はデスクトップのコンピュータと辞書その他で満員なので、読書には居間を使っていました。ところが亭主の耳が遠くなり、ラジオやテレビがやかましくておちおち新聞も読んでいられないので、読書はベッドでということになりました。もともとベッドで本を読むのは好きなので、苦にはならなかったのですが。
それを知った管理人のMさんが、昔亭主の娘が使っていて今は物置みたいになっている部屋を片付けて、私の読書室にしてくれました。机も大きいので辞書類もたくさん並べて、そこに書見台(丸善で買ったもの)を置き、厚い本や大判の書物はそこで読むようにしていました。
ところが辞書では間に合わないことが多くなり、パソコンか携帯を使うことが増えたのですが、私の部屋②はWi-Fiがないので、携帯も古くからの自室①で見るしかない。広いことが災いして自室①から②までは電波が届かないのです。普通はどこにでも飛んでいる電波を拾えばいいはずですが、我が家は深山の奥(でもないか)なので通常の電波は来てくれず(「電波の穴」などと呼ばれる地域)、従ってパソコンのみならず携帯で調べる場合も自室①に行くほかない。
その部屋の前の廊下には24時間のヒートパネルがあって暖かいので、夜中など私はその前に立って携帯の画面を叩いたり撫でたり。ある時夜中に目が覚めてたまたまその様子を見た亭主がぎょっとして何をしているのかと聞くので、かくかくしかじかと説明してその時はそれで終わったのですが、それを聞いたMさんがご親切にもWi-Fiを自室②に取り付けてくれ、さらには寝室にまで。
これで家中どこにいても携帯が見られますね、と彼の方が満足の体で、それはそうなんですけれども。
実は私は読書をしていて面白そうな関連事項に出くわしたり分からない言葉に遭遇したりすると、自室①に行ってそこで調べるか、携帯を持ってヒートパネルの前に立つか、というのが習慣になり、これが面倒なんですが、私はこの面倒さを愛していたんです。二つの部屋、ときには寝室と自室①との間を、それも夜の夜中に何度も往復することで、結構体を動かしており、そうまでして調べた内容は灰色の脳細胞にいくらかは居残ってくれそうな気がする。
不便を凌ぐってなかなかいいものだなあ、人間マメになるなあ、などと負け惜しみでなしに考えていたので、Mさんの厚意は本当にありがたいのだけれど、「大きな親切、小さな迷惑」ってところ。老人はやっぱりちょこちょこ動かないとダメですからね。Mさんもあと10年ちょっとしたらそれが分かるじゃろう。
今日のフォーラム、長めでしたので、それに乗じて私も長々書いちゃいました。