2月15日(土)
起きて半畳寝て一畳、所詮この世は仮住まい…なんて仙人みたいなことを言ってみたい。
1日の大半を4畳半で暮らす。
窓口は手のひらサイズのスマホのLINE。細い糸でつながる人間関係。
細い糸でも複数の糸が交差していれば絡めとられて、そうはやすやす流されてはいかない?
井の中の蛙は意外と居心地が良い。そうしていられることの小市民的幸福、、どっかで聞いたような台詞。
河童の川流れ…うまく立ち回っているつもりでもただ流されているだけかも。今年1年そうするつもり?…そうするつもりです。
図書館でリサイクル本をもらってきてそれが積み重なっていってそれを少しずつ崩していって読む楽しみ、とても贅沢。
昨日はそうしていた。
本はまとまった意見…とても貴重で、流れの中に打ち込まれた杭のようだ。
そうですね、歴史の史は文、文書という意味ですからね。だから歴史において文のなかった時代は「先史」時代、文字が生まれて後に「有史」となる。
15年ほど前に癌で余命1,2年という英国の親戚を訪ねて行ったら、案外元気で地方の文明史博物館に案内してくれました。そこにアンケートの紙があって「人類史で最も偉大な発明は何だと思いますか」という質問があり、私は迷わず「文字」と書きました。
ただ、文字と言語は異なっていて、文字が読めない視覚障碍の場合は言語の発達には何の支障もないそうですが、生まれつきの聴覚障碍者は文字は見える(読めるのではない)けれど言語能力の発達は極めてむずかしい。そういえば子供は親たちとの会話を通じて耳から言語を学びますものね。
日本で両方の障碍者を支援するプロジェクトに係っている友人の話では、視覚障碍者とのコミュニケーションには何の問題もないそうですが、聴覚障碍者の場合は、自分が笑われているのでないか、冗談の種になっているのではないか、故意に話題に入れないようにしているのではないか、という猜疑心が強い人が多く、すぐに腹を立てるのでやりにくいそうです。
一方で、途中で目が見えなくなった人と耳が聞こえなくなった人を比べると、後者の場合には既に言語能力が確立されているので読み書きにも意志の伝達にも問題がなく、ある日暗闇の世界に追いやられた盲人よりも生きやすいとのことでした。
「ひとり、燈(ともしび)のもとに文(ふみ)をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる」
私にとって、読書の楽しみは吉田兼好のこの言葉に尽きます。いえ、見ぬ世の人でなくて同時代の作家でもいいのですが、読書によって見出す友は人間の歴史に比例して無数に存在する。
方丈記の世界を再現しながら、徒然草の精神を具現、なんて素晴らしい日々ではありませんか。