2月5日(水)僕の古いノートパソコンがウィンドウズ11を搭載した新品になった。Qさんがそうしてくださった。なんとお礼を申し上げて良いやら。まっさらなノートを開いたと思えば気分は悪くない。手持ちの「駒」でまた何か道筋がついていったら楽しいなぁ。空き領域が多いパソコン、何も置いてない部屋、空っぽな気持ち、、何をどうして詰め込んでいくかなぁ、、ぼちぼちのんきにやっていく方法しか知らない。
伽藍洞、なるほどね。そういう空間で祈るのはイスラム教徒にとってどんなものなのでしょうね。「心をまっさらにして」などという表現も、彼らには恐怖なのかもしれません。
ホロ・ヴァキュイという言葉からもう一つ「自然は真空を嫌う」という格言を思い出しました。英語ではNature abhors a vacuum. 嫌うはdislikeではなくabhor、これ憎悪するってことですね。このキャッチフレーズ、日本語でいう惹句の考案者はアリストテレスですって。意味は「自然界では、まったく何もない空間ができそうになると、そこを何かが埋めようとする」ということなんだそうです。
でもこれ、アリストテレスの自然観と当時(もう弥生時代になってた?)の日本人のそれは既に相当違っていたんじゃないかしら。地理的条件や気候風土も異なるし。だからもちろん、神の概念も。
このフォーラムでこんな古代の哲学を考えるっていうのも、ちょっとした醍醐味。
Horror Vacuiという言葉を思い出しました。訳すと「空白の恐怖」。これ美術で使われる言葉らしくて、イスラムの文様について調べているときに知りました。建物などとにかく全面を色の付いた模様で埋めないと気が済まない。だからモスクの外壁も内壁もびっしり幾何学模様が描かれ、あるいは彩色タイルが張り巡らされている。日本語でいう「余白」なんていうのは、恐怖の対象なんでしょう。
まっさらなノートなんか、とにかく一時も早く何かを書き殴らなきゃって思うのでしょうね。