4月25日(木)
橋の上川の流れを眺むれば夢恥ずかしき我が身なるかな
これは僕の同じ高校の先輩の歌です…工務部というとても地味な職場でしたが、治具(それを使えば誰でも正確に穴を穿てるような工具)を設計する仕事に携わっていました。
僕が最初勤めた会社を辞める時この歌を僕に送ってくれました。
もう1人の先輩は…いちまる君が辞めた日、その日は春一番が吹く日だったことを僕は絶対忘れない、、なるほど僕は2月20日にやめたのですがその日ははっきり覚えています、、
会社の仕事よりも岩登りに夢中だった同じ技術課だった先輩のことば、、俺はお前がダメ(通用しない)という世間なんか認めない、、そう言ってくれました、、この言葉で僕は支えられました。
後輩たちはがっくりしてくれました。面白くもない会社で先輩は太陽でした、とまで言われた、ハハハさすが我が後輩、世辞は心得ている。
設計部にいた2人は、新婚家庭と恋人のことで多分、頭がいっぱいでした、それでいい。
僕が辞めると言った送別会に外から来ていた学校の先輩は僕を自分の会社にとり込もうと画策していましたが僕はそんなこととはつゆ知らず失礼の数々思い出しても赤面の至りです。
思えば、たっぷり遊んだ夢のような四年間でした。
ラッキーだったと言うしかない。3000人の工場が僕の世間でした。
今にして思えば大学に行かなくて本当に良かったと思います。
そう思えるのは…今の結果から振り返っての感想です。
団塊世代の皆さんは自分が若かった頃のことを覚えているのかな……自分が歩み出した世間のあの頃のことを。
夢のような高度成長期に、どんな世間に身を置いていたのか?
団塊世代の人ならば、若かったあの頃、精一杯背伸びしていた(僕はしっかり大人ぶろうとしていました、、そしてそれが子供っぽく見えるのは…今と変わらない!)あの頃を懐かしく思い出されるのではないでしょうか?
後退はありえない、前進のみ(これらの記述、もちろん僕だけの当時の狭い範囲の感想です)
今、社会人になる人たちがどんな思いを描いて働きだすのかとふと考えます。
選択肢は増えたのだろうか?たくさんの選択肢がある事は、とりあえず僕は単純に良い世の中だと思っています。
(これから世間に出ていく人たちの気持ちは当時の僕と何も変わっちゃいないと思って思考停止。
既に変わっていて、その変化に目を向けていないから、こんなことが言える)
4月にスタートして早くも幻滅を感じている人たちも多いだろうと思う。心配することは無い。
若い時の姿をそのまま引きずっていくだけだ。
(「あ」たらしき年度の始まり
「か」わゆき後進200人がやってくるという
「さ」るの歳とて真似せよと誘うわけではあらねども
「た」のしかるべき有給休暇、よもや病気なんぞでつぶすなよ
「な」かよくしてねと手に手を取って、光学の栄え我らがかいなにて。
これは僕が会社に入って1年後?会社の厚生部から新しく入社してくる人たちに一言歓迎の言葉を書いてくださいと頼まれて社内報に載せた文章です。
今思い出しながら上の文章を書いたら他のことも思い出した、、この文章のタイトルは「達者が何より」…人間達者であれば背伸びができる無理がきく、、人生は短いようで意外と長い、と私の父も申しています、、待てば海路の日和あり、という言葉がありますが、期待されない人には来ない、期待されてこその日和、、期待される人になってください…などといっぱしなことを言ってました、、既にいっぱしの人間だと思っていた証拠ですね…ハハハ(回想法が若返りに有効かもしれないと…書き出すうちに思い出していく過程を、今しみじみ体験しました!)。
この文章が掲載されるや社内の僕を見る目が一瞬にして変わりました。良いにつけ悪いにつけ「浮いた」。
会社執行部が見たら喜びそうな文章でもあるし組合執行部からすればなんとなく近しい感じもする…このバランス感覚、自画自賛。以後この文章を読んだ人の印象が僕について回る。これまた良いにつけ悪いにつけぼくの耳に入ってくる。
いわく、、〇〇さんが君のことを一目置いているよ、、いちまるくんは何を言い出すかわからない、爆弾を抱えているようなものだ、、前にも書いたかもしれませんが組合の代議員をしている時…組合の総会で変なことを言い出さないかと事前に組合に熱心だった代議員の1人が僕のところにやってきて、懸案に対する賛否を確認しにきたこともありました、、たかが青二才の僕に対する世間の動き…世間は恐ろしい(当時はそうは思いませんでしたけど)。
本社や海外支店を含めたって当時3千数百人しかいない会社(こういう言い方するのにも訳がある…重役の1人が入社式で…わが社は中小企業です、、と言ったのです。その含むところはこの先こんな中小企業はどうなるかわからないという意味で、、新入社員全員が直感したと思います)は僕にとっては全世間。
そこで見た世間は、、今にして思えば…面白かった、の一言です。
それをずっと引きずって歩いてきたと大げさに言っても良い。
いいとか悪いとかではないと思います。
僕らは自分を引きずって歩いて行けばいい。
だから、いい年をしてこんな青っちょろいことをいまだに言っています。
こんなもんだと思い切れば気楽なもんです。
自分が考えているほど他人は人のことを考えていない、、自分のことで精一杯。
だから自分を大事にしていく。これって結構難しい。
1合ちょっとの酒🍶と適当に作ったつまみで、ぼーっとする…適当に食べてさっさと寝る。
体も結構よく動かしているので睡眠も充分だ。
昨日プールで僕のことを聞かれ適当に答えると…自分ひとりの心配だけしてればいいのねと言われた。
そうそうこれも結構難しい。
あぁだこうだ選択してきた結果だ。自分で責任を持って暮らしていけば良い。
一昨日隣の人がいきなり引っ越していった。1年ちょっと隣同士でいながら総会話量は5分に満たないだろう。
僕は都会の真空地帯に暮らしているんだろうか。
考えてみればミステリアス。
考えることも山ほどある。
続・陋屋記もその意味ではダラダラと続いてゆく。
ダラダラと続いて行くのが平和なのだ。平和を楽しんで行けば良い。自分だけの平和が続く限り…そんなわがままな!
僕って結構わがまま、、というかわがまましたくて努力してきたと無理してかっこつけることもできる。
人生ってさぁ子供の時から相似形で来てると思わない?
いちまるを信じる、と言ってくれた先輩が僕の顔をまじまじ見ながら言った言葉を今また思い出した。
え、「流るる水を眺むれば 夢恥ずかしき涙かな」って小林旭が例の甲高い声で歌った「惜別の歌」の歌詞やったんとちがう?その前の詞は「別れといえば昔より この人の世の常なるを」でしたよね。
「あかさたな」パチパチ(拍手です)。後輩が200人も入って来る大企業にお勤めだったんですか。有給休暇を病気でつぶす、なんて欧州ではありえない。そんな殊勝なこと、誰がするもんですか。3週間の休暇の最後の日にサイクリングで転んで骨折して、以降さらに3週間治療が必要となり、それも社員の権利で雇用主は全額給料を払う義務があって…という土地柄です。
人生は子供の頃からの相似形、はい、そう思います。この頃、小さいときに貧乏(社会と家庭の)や不公平(親と教師の)に慣れておいたのは、良かったか悪かったか、と疑問に思うことしきりです。