4月20日(土)
少し前に立石図書館のリサイクル本の中に武蔵野美術短期大学部の通信教育用の教科書が置いてあった。
概説日本美術史、、写真図版が豊富、、パラパラめくっていてたちまち魅了される。本の喉を開いたら背糊が劣化していて本がバラバラになってしまった。
中古品を探したら同じ題名の著者の本が200円以下で出品されていましたので発注しました。
概説日本美術史 町田甲一著
吉川弘文館1,965年、、の記載が出品の写真から読み取れました。
手元の本は1987年出版とあります。つまりこちらの方が最新版で学生向けに多分写真も図版も豊富でしょうから、このまま保管します。
埋葬品かも、と思われている人形/ひとがたの埴輪の、のどかで優しい、それでいて、作者が意識していたかどうかとは別に、、竹篦/たけべらでくりぬいただけの空洞な目の微妙な深みのある表現に大陸からの流れとは違う、アートの兆しを感じている著者の本にじっくり付き合いたいと思います。
1000年たっても思いは伝わると考えたら、、ちょっと熱くなれますね。
瞳がなくて、モディリアーニの描く人物の眼のような無限の深さがある。なるほど、それが埴輪の一つの特徴なのですね。瞳がないから、それを悲しみとも笑いとも解釈できる。そういえば古代ギリシアの彫刻などには原則として瞳がないので、見る人に解釈の自由があります。「無い」ことが無限に繋がる、というのは日本的だと思っていましたが、ギリシア美術からモディリアーニまで、西洋美術と東洋のそれとには意外な共通点もあるらしい。
筑紫国造磐井という、これまで聞いたことのない言葉に出くわして、ちょっと調べてみました。ヤマト長堤と朝鮮の間に立った磐井の反乱(これが反乱かどうかという議論もあるようですが)、6世紀前半の話で、日本書記と古事記とで記述に齟齬があるとか。6世紀と言えば、欧州ではまだ「民族の大移動」が落着していなかった時期です。その移動もユーラシア大陸の東から西まで、人口爆発や気候変動などによって人々がある地域に定住できなくなったため、とのことで、現在の地球温暖化や人口増、移民問題、まったく人間って同じことを繰り返しているのだなと痛感させられます。旧約聖書にもあるように「天の下に新しきものなし」です。とはいえ、地球上では人間の出入りが激しく、そこに生きる人たちもどんどん交代していく中、各個人はやっぱり自分の「ひとよ」をむげにすることはできません。