4月19日(金)
独習独学者のありがちな特徴として、、思い込みの強さを挙げる人がいる。うまくいく時といかない時が極端らしい。
でもたとえ失敗したとしても自分が選んで自分で失敗したのですからどこからも文句は出ない。
先生に払うお金がかかったわけではないし、、ここ、ポイントですね、、失敗したときのショックが少ない。
この気楽さがいい。
だいぶ前に、、いちまるさん、大学はどちら?って聞かれた…高卒です…てっきり大卒かと思っていた、、と言われた、、そうか、そんな風を吹かせていたのね、、ちょっと反省…有名大卒のネームバリュー健在というところでしょうか?
思えば高校の学歴でずいぶん得をした、、出身大学で差別される事も派閥も無関係だったからです。相手は僕を自分の派閥に入れたつもり…こちらは所詮腰掛け気分、仕事をする上でそんな人間関係、邪魔なだけ。
つまりキャリアだけは参考にされるものの、それにかけた時間ではなく、仕事では、実務ができれば即合格ということ、、
物事を単純に考えたい当時の僕でした。
独習して間に合わせる、そのほうが早いから。
間に合わせで、つとまる、、所詮はその程度の仕事であった、ということもできますが。
職務分掌があればそこで要求されるところだけを職場の先輩に学ぶ
(思えば企業にもそんなことを許す余裕があった、見守ってくれる家族的雰囲気。
その一方できれいごとだけでは語り切れない職場の人間関係は大学あたりのテキストでは学べない、、
…やっかみ、妬み、足の引っ張り合い…など)
専門職の職人はそれで良い。OJT/オンザジョブトレーニングまっしぐら。
当時…職場のひそひそ話から漏れ伝わってきた事は…いちまるさんは高卒なのにすごい、、と職場の仲間から思われていたらしいこと、、面と向かって友人からも言われた、、、あ、これ自慢話?…あはは🤣)
前にも言いましたけど…ある職場では…なんで、いちまるさんは、こんな(大事な)仕事を任されてるんですか…やりこなせるんですか?と言外にぼくに揺さぶりをかけてくる人までいた。
いえいえこんな仕事、実はすごく簡単なんですよ…と答えてみると…相手は二の句が告げなくなっていました。
簡単な仕事を難しいと考えるあなたはそのレベル…と返答しているようなものですから、、言われた当人は相当むっとしたと思います。
冷やかしの連中はこうやって黙らせるに限ります。
こんな仕事、つまり…帳簿組織の電算化に先行する標準化のための単なる事務分析ではありましたが結果的に現状帳簿システムの見直しも要求されていて、事務作業全体の無駄を省くような仕事ですから、仕事を進めるに従ってどんどん敵が増えていくような仕事、この辺が僕の数少ないハイライトといえる仕事でした。
だからそんなことまた書いている、ネタ不足、、あ、今回のコメントに関係がありそうなもう一つの前にも取り上げたネタ語ります。
二部の、つまり夜間大学にちょっと顔出したときに志望理由を聞かれた…首をかしげていると…知的好奇心?と答えを待てない講師(つまり、歳を食った学生に、おざなりにアンケートをとってみたただけかなと思います)が僕を見た、、気の弱い僕は、、まぁそんなところです、みたいな顔をしてスルー。
実のところちょっと雰囲気を味わってみたかっただけ、経営学科、、あ、独習するからいいです…みたいにすぐ飽きてしまって休学届けを出したのまでは覚えている。
仕事なら何でも首を突っ込みたい僕は世渡り上手に見えたかもしれない。
首を突っ込まれただけの方とすればとても迷惑…でもそれほど高度な仕事ではないので代わりはいくらでもいる、、と辞める僕は自分を合理化していた。
それでも迷惑をかけたなぁとこの年になるとしみじみわかる、世の中が売り手市場でもあったからこそそんなわがままできた)
世の中は当時人手不足の真っ最中。仕事はたくさんあった。
話が脱線してしまった…言いたい事は、、独学もなかなか良いところもありますよ、、というだけのことなのに。
オンザジョブトレーニングを自らに課して、短期間で仕事をものにする…
相手にすれば食い物にされた?
もちろん難しい知識、素養がなければ務まらない仕事はだめでしょうけどそんな仕事は先方から外れる。
(それにつけても即戦力が求められる最近の社会状況は辛いですね)
何が言いたいんだっけ?
独習は効率的、、無理にこじつける事は無いのですが僕には合っている。
習い事の最近の独習実践例。
60年以上も前に発行された歳時記の春の部から1ページずつ読んでいる。600ページ以上ありますので読み終わるのに楽々2年はかかる。
のどかな風景、凍てつく風景、荘厳な風景が甦る。もうなくなってしまったり、見たこともない風景も勝手に想像して楽しむ。
中学生向けに解説した平家物語の総ふりがな付きの本文も少しずつ音読している。
もうそれだけで楽しい、文章そのものが口調がよく、すごくリズミカル。
声に出して読むってこんなに楽しかったんだな。
ジャズの名曲をテキストにして音読したり歌唱できるCD付きの本も取り寄せた、、誰に聞かせるわけでもない自己満足の1人カラオケ…面白そうだ。発音指導付き!
耳の聞こえが悪いので発音すると骨伝導で自分の声が聞こえる、、最初煩わしくてしょうがなかったのですが今はこれが普通と思っているので何とも思いません。
試しにパソコンでCD再生してみたところ音量maxでも聞き取れない…やっと安物の補聴器で聞き取れました。
独習の良いところ、、自分のペースで学べる通信教育みたいなもの。
ちょっと興味がある事なら多分ものすごく興味がある事に発展する可能性が強いと思います(すごく興味のある事はほっといてもいつかやっている)。
興味が持てた時点で何かを感じた証拠。忙しいとそんな大事なチャンスをみすみす逃してしまう。暇な時こそ逃げ出しそうなその仕事?の尻尾を掴んでおく。つかみさえすれば後は手繰っていく作業、つまり独習は興味を深めていく作業、まぁ言ってみればそれだけの事なのですが。
歳をとっても自分のそーゆーしっぽをつかむセンスを信じて暮らしていきます。
昨日はヨーカドーの地下食品売り場で松花堂弁当を買ってきてそれをネタにお酒を飲みました。
9つに区切られた升目の中に鯖だの鶏肉だの小さながんもどきのお煮しめだのえびの天ぷらが入ってる。所々にいろいろな味付けのおこわも入っている。
もちろんどこから手をつけても良い。買ってしまえばこちらのものどう食べようとこちらの勝手。迷い箸オーケー。そこが気にいっています。大人向けのお子様ランチ。
数百円の弁当🍱と一合の日本酒で料亭の料理が味わえて(ほんのすこしですがだし巻き卵… だけでも一流、がんもどきは言うに及ばず、、という状況ですから、お気に入りの菊正で30分で極楽気分になれます。
昔、いっぱしの呑平気取りでいた頃母に言われました…浴びるほど飲むと言うけれど…お前のは、、(まさに)浴びている…アルコールシャワー?
うまいことを言うものだなぁと思いました。
今は人間関係のストレスが少ないので、最近やっと覚えたお酒を飲む楽しみ、、飲みながら松花堂弁当のおかずを肴にしているうちにすぐお腹がくちくなってしまいます、、自分で言うのもなんですが手間のかからない、とても上品な呑平だと思います。
馬力が有り余ってる人はそれなりに、そうでもない僕みたいな人間はそれなりに人生を楽しめば良い。
栄華を極めたとて、所詮、盛者必衰のことわり、、その一方で平凡な人生が平凡に終わったからと言って、それは幸せの一種であるとは断言できるものの、それに対して何か文句を言うとなどということは人としてあるまじきことだと思います(こんな文章を書いてみたかっただけです😁)。
文句を言うべき相手がいません、、いるわけがないし、そもそも文句がない、、僕は今のところそう思っています(何言ってるんだか自分でもよく解りません)。
(ところで…栄華を極めた(本人がそう思っているかどうかは別として)ビルゲイツの憂鬱、、そんな小説を誰か描いて書いてくれないものだろうか。想像してみるだけで頭の体操になりますね)
失礼ですけど、というとそれで逆に失礼を重ねることになりますが、私も最初「かちねっと」でいちまるさんとの知己を得たとき、どこの大卒かしらと思い、高卒という話にこれまた逆に「さもありなん」という感想でした。今時の、と言ってもちょっと古い時代ですが、大卒にしては個性があり過ぎるから。
おっしゃる通り、どんな大学に何年通っても、何一つ身につかない人も多いし、一方で学歴とは関係なく好奇心や「やる気」や、時には勢いによって一人で何かを成し遂げる人もいます。往々にして学歴のある人が「学歴など重要じゃない」と言うと偽善っぽいことがありますが、というのも、実際にその例を知っている人は少ないから。そして自分の言っていることの意味が実は分かってなくて、内容が空虚であることが多い。
私もドイツ語はほとんど独学で、そのことから周囲にAutodidaktなんだね、と言われ、あ、ドイツ語でそういうのか、と知ったのでした。Autoは自・自動、Didaktikは教授法という意味なので、まさに自分が自分に教えた、ということです。
ところで、昨日古い本を読んでいたら、とても含蓄のある「歌」に出会いました。
・うら若き君がさかりを見つるわれ わが若き日の果てをみし君
切ないと言えば切ない。時というものの残酷さ。輝くばかり若い日に出会った美男美女の数十年後を描いたモームの短編「赤毛」を思いました。
もうひとつ、ところで。
昨日の写真で拝見した野草・雑草についてです。よく見ると真ん中にすっと伸びた赤茶の茎の先に咲いている黄色い花がありますね。これノゲシ(野芥子)じゃないかな。これはもう生命力にあふれて至るところで蔓延っている草なのですが、名に反して芥子とは無縁で、タンポポや春紫苑と同じく菊の仲間です。だいたい菊の仲間というのは生命力が強く、しかもありがたいことにキンポウゲ科の植物(クリスマスロースとかアネモネとかトリカブト)などと違って毒は無く、ノゲシも新芽・若葉は食べられるそうです。そしてこのノゲシは実はヨーロッパ原産でそれが今や世界中に蔓延っており、「日本には〈史前帰化植物〉として入ってきたものと思われる」とあります。(どうも私は「分類」が好きみたい。範疇学とか-そんな学問があるかどうか知らないけど、いろいろゴチャゴチャあると、まとめたくなる性格なんですね。)
私ね、以前このノゲシの俳句を作ったことがあるの。だから写真の花が目に留まったのですが、それを聞いていただきたくて、こんな長いコメントになったというわけ。
・農夫積む堆肥の片へに野芥子咲く
都会っ子は牛馬の堆肥なんか知りませんよね。今も昔も何とも散文的な女ですみません。でも私、史前帰化植物というのが大いに気に入りました。そんじょそこらの雑草と思っていたら大間違いですぞ、って言われたような気がします。
追加:上に挙げた短歌、調べると与謝野鉄幹の作でした。この人、女たらしで晶子をしょっちゅう泣かせていたのですが、この歌は同じ「明星」の歌人だった山川登美子に捧げられたものだそうです。彼女は26歳で亡くなっているので、「君がさかりの果て」は見せずに済んだのですね。それにしても、与謝野鉄幹て写真で見ても大した男には見えず、才能なら晶子の方がよほど豊かだったのに(森鴎外もそれは認めていた)、あの才媛がなんでこんな男にすがり続けたのか不思議です。