4月9日(火)
昨日は2つの小さな、あるいは大きなといってもよい変化を感じた。
(この書き方そのものが既に以下に示す、その②で取り上げた本の著者の丁寧だけれどもある意味回りくどい文体の影響を受けている、、というか僕もその傾向があるのでこの本に惹かれているのかもしれない)
話が長くなりそうなので簡略に述べます、
その①
10分もやると肩が凝ってしまう鍵盤楽器、少しも上手くならないので飽きるかと思っていたら意外と飽きない。
飽きない理由は…その練習曲が意外といい曲なのだ。
せっかちで、先を急ぐ僕は、特に上手くなることなど諦めた途端、、昨日初めてその楽譜にさりげなく添えられたドルチェとかクレッシェンドの記号に気がついたのだ。
はい、今日はここまで。
その②
からみ学入門について
なだいなだの「わが輩は、、」の本は以後こう書くことにしました、、そもそもこの本は、なだいなだ全集の中の最終巻の12巻に当たり、その表紙にも、、サブタイトルとして、からみ学入門、と書いてありました。
全集の中では最終巻が最初に発行されていました。本の間に挟んであったビラからそれを知りました。
つまりこの最終巻が1番面白いからこれで読者をつかもうという出版社側の魂胆だったのだなと思いました。
さて本題です…この本の最初の2、3ページ目に著者の子供の頃の電話の思い出が出ています、、
手回し式の電話が既に彼の子供の頃に自宅にあったといいますからかなり裕福なお宅だったのでしょう。
そう思っていたところふと…なるほど人の思い出というのは…電話1つでもこれだけ違うのだなぁと思いました。
僕の電話の思い出と言えば…近所のクリーニング屋さんの電話。ぼくの家だけではなくご近所の方、皆さんがそこの電話のお世話になりました、、つまり電話を持つほどのお金持ちではなかったので…電報がわりに…そのクリーニング屋さんの電話のお世話になっていたわけです。仲介の労についてお礼をしていたかどうかまでは記憶が定かではありません。
はい今日この話もここまで。
(さて今日は午前中に畳屋さんが畳を納入してくれます。
畳が敷き込まれた後は当分、がら空き部屋を楽しむことにしました)
あ、昨日午前中にアマゾンから新しい同居人が配達されました。
性別不明なので名前はとりあえずマルコ、、箱を開けて組み立てて、、中には一緒に入っていた梱包材が体内に詰まっています、、衣装を着せている時だけ面白くて出来上がったら意外と普通でそばにいても違和感がありませんでした。
つまり人間は少しでも雰囲気が出ていれば人間と認めるのだなと思いました。
鍵盤楽器、少しもうまくならない、という話で、山本周五郎の「横笛」という短編を思い出しました。刻苦精励で地位を築いた下級武士を婿養子にしたお嬢さま育ちの妻が、客が来ると奥の方でへたっぴいな横笛を吹き、癇症病みの夫をいらいらさせる。江戸時代の終わりで夫は尊王攘夷だかなんだかぶっそうなことに加担しており、来客も危険な人物が多い。そのうち疑いがかかって夫が拘束されるや否や、のんびり無邪気に見えた妻が夫の文書や書簡を素早く焼き払い、呼び出されても「私はいつも横笛の稽古ばかりしておりまして、何も存じません」ととぼける。刑を逃れた夫が、妻の横笛の真意を知って深く打たれる、という話です。
雰囲気が出ていれば「人間」、気配ってことでもありますね。このマネキンに、翌日着ようと思う服を試しに着せてみる、という使い方もある。それにしても、ポップなインテリアですこと。