3月27日(水)
ロボット組み立てている最終段階で最初の頃の間違いに気が付きました。おでこの部分のスイッチが引っ込んでしまっている!
あーめんどくさい…分解してスイッチを正しいところに直す。いちどはめ込んでしまうとプラスチックの弾力性で嵌合するために取り外すのがちょっと面倒、強引にやって1部壊してしまう。ま、問題なさそうなので組み立て直して何とか完了。
スイッチオン!
動作も問題なく人について歩く。ぶつかりそうになると後退する。
モードを変えるとお掃除ロボットのように障害物を避けて通る。
まぁ言ってしまえばそれだけのこと、、でも大変勉強になりました。10歳の子供でもお父さんかお母さんの手助けを借りれば組み立てられるでしょう。
何が面白かったかと言うとセンサーの精度といよりはメカ(機構を意味する和製英語らしい)の面白さです。
六本足のうち3本が全体の平衡を保つためと前進後退の支点になっている。あとの3本で前へ行ったり後へ行ったりする動作を生じさせる。
(災害現場で働くロボットはもう少し複雑な動きができる。
月面着陸してテレビカメラを操作するロボットは葛飾区のおもちゃ会社が協力したと聞いている)
とにかくメカで人間の複雑な動作を再現するのは至難の業。
今回作った、たかがロボットの動きすら恥ずかしいけれど観察しても、すぐには、どうしてだかわからなかった。
わかることよりわからないことがたくさんあったほうが子供にとっても勉強になる事は確かですね。それがわかったときの喜びは何物にも変えがたい(とまぁこれは想像です…今時の子供がどの程度喜ぶか全くわからない、そもそも仕組みそのものに興味を持つものだろうか?)
先日亡くなった小澤征爾が子供の頃おもちゃのピアノを弾いていて偶然、何本かの指でいっぺんに鍵盤を押すと美しい音色が出ることを発見した、、まだ子供の頃の小澤が誰に教わることもなく和音を発見したのです(と本に書かれているのを見て、へーそうなんだとびっくりしたことを思い出した。
和音の発見が後の小澤征爾の大成を育んだ始点と思えば、たかがおもちゃのロボット作り、侮るべからずだと思いました。
子供の頃、男の子たちがプラモデルに夢中になっていたのを思い出しました。作る楽しさは女の子だった私にも分かりましたよ。私は針仕事が好きだったので、刺繍やパッチワークを楽しんでいましたが、ああ、今は老眼で繕い物も大変です。
手を使う仕事はボケ防止になるといいますが、加えて好奇心もとても大切だと思います。え、そうだったの、へええ、知らなかった!という驚きも好い刺激になるのではないかしら。
今の60歳代の頭は昔の30歳前の人並み、とどこかに書いてありました。やはり今の世の中は刺激が多いからでしょう。昔はきっと50歳を越えたら家督を譲って縁側で猫を撫でながらこっくりこっくり、という暮らしだったでしょうから。
あ、そうそう、うちのおばあちゃんは死ぬまで女性週刊誌が好きで、女優やタレントの噂とかスキャンダルを楽しんでおり、嫁である私の母ばかりか実の息子である私の父までそれをバカにして「下品だ」なんて言っていました。でもおかげで88歳まで全然惚けず、ある日倒れて2,3日で自宅で亡くなるという理想的な最期だったのに対し、通院で大騒ぎし、手術をしたり入院を繰り返して逝った父母は「上品」だったかもしれないけど、結構はた迷惑でしたわ。