3月25日(月)
小さい子供は小さい子供のことが好き。赤ちゃんだってもしかしたら赤ちゃんが好き。
大人だって変わりはない、というか見境がない、赤ん坊から老人にまで目が行き届いている…多分。
ぶすっとした大人も本当は人間に興味がある。
新しくできた公園はどっかで見たような作りなのできれいに仕上がったなぁとは思うけれどやっぱり集まってくる人たちが面白い。
昨日ロボットに装着する単四の電池4個を買いにヨーカドーに行きました(そのうちロボットそのものを家電売り場に買いに行くようになるだろう)。
3階に大型電器店が新装開店していました。
お店の人に乾電池売り場まで案内してもらってアルカリ乾電池を無事ゲットしました。
3階のフロアに広がるその電器店の名前はキジマ電気、、コジマ電気?でないことを確認ましたがどう見てもコジマ電気風です。
昔、Mさんが、、いちまるさん、日本国中、東京と同じような家が建ってるよとおっしゃっていたことを思い出した。
製品から公園づくり、お店作りに至るまでモジュラー化されているのだなと思います(モジュラー化、をスマホに聞いたら下記のように出てきました↓)
「モジュラー化とは、製品やシステムを交換可能なモジュールに分割する活動と表現されます。 モジュラー化の目標は、要求されたさまざまな構成に対して、その要求に対応するために必要な固有のビルディングブロック(モジュールバリエーション)の数を減らしつつ、要求に柔軟に対応できるシステムを作ることです」
あ、何を書こうとしていたんでしたっけ…
周りがどんなにモジュラー化されて目新しさがなくなっても…人が興味を示すのはやっぱり人…ということが言いたいのでした。
公園では僕が進入した途端にたむろしていた高齢者たちにジロジロ見られた。
小さな子供たちが放し飼いになっている。
新しく引っ越してきた新婚さんとおぼしきユニットの男の方が年甲斐もなくうれしそうにちょっと、恥ずかしそうに鉄棒にぶら下がりました(もちろん僕も公園が空いているときにぶら下がるつもりです)。
大型電器店では老人の僕を、、
新しく配属されたスタッフが、スタッフ同士仕事の打ち合わせらしきことをしていたのにもかかわらず、頼めば、中断して僕を乾電池売り場まで案内してくれる。
ピカピカの新製品よりもおろおろ動き回る老人の方が目立つ、目障りだからだ。
考えてみたら不規則に動き回るものは目立つに決まってる。
身を守るときは身を固める。
陋屋にこもって身を固めて、時々緩めて近所を動き回る。
野良猫は雨露をしのぐ場所が確保されているのだろうか?僕は野良猫よりマシだ。身の安全が図られている分だらけている。
気を引き締めねばならぬ。
(駄文も積み重ねていけば日記風になっていく、、
この日記もちょっとだらけていますが本人は仕事の気でいるので飽きるまで続行いたします!起床!)
私はつねづね、子供におカネを残すことも、家屋敷を残すことも、不要だと思っていて、欲しければ自分で稼げ、自分で建てろ、という主義ですが、近年の少子化で親も子供に遺すような住まいを建てる必要はないと感じているようです。それは子供の自立心を育むためというより、自分の代のことでせいいっぱい、そっちはそっちで自分の面倒見てくれ、という主義らしい。日本でうちに出入りしている工務店さんに「あそこの角に新しい家ができましたね」というと、「一見洒落ていますが、あれじゃ30年経たずに立て直しが必要ですよ」とのこと。
40代の夫婦だから30年経ったら老人ホームに行けばいい、と思っているのかしら。でも多分、30年ローン払って、それが終わったら家も消えて。ある意味合理的ではあるけれど、だから家も等しく安普請の見掛け倒しになってしまう。
少子化やDINKSの席捲は、町や村の景色も台無しにしている。それはドイツやフランスでも似たようなものです。