3月10日(日)
少し前から朝昼晩の食事時にテレビを音を消して見るようにしています。
画面に放送内容が字幕のように表示されるので内容もつかめます(気がつけば、僕がぼーっとしている間に、いつの間にかこんなに進歩していたのだ。僕自身が遅れているからこそ進歩に気がつける!と自分を慰める)。
さらに、部屋のあちらこちらに縦長、横長の鏡が設置してあり、自分自身が食事している有り様を見ながらの賑やかさを演出しています。
鏡に映り込む自分の姿を見ながら、テレビを見ながら、たまにテレビにツッコミを入れながら、の状態です。
一人ぼっちで食事をしていても大勢で食事をしているような好い気分です。
朝食後はちょっと休憩を取った後、まっすぐ近くのプールへ行きます。
プールでの雑談もこちらの話題の振り方によっては話が弾むので面白くなってきました。
昨日は他の地区の町会の活動状況まで聞くことができました。
泳ぎ方のチェックも気安く言葉を交わすようになった方に頼めば快く引き受けてくれます。いい気になって泳いでいるとたちまちフォームが崩れ出てしまうのでたまにチェックを受けると新鮮です。
今こんな文字入力していたら… ふと突然、半径500メートル以内(なぜ500メートル以内かというと、それくらいなら歩いて行ける距離だからです)の理想郷が思い浮かびました、、、(多分コミュニティーについてこのところまた考え始めたからだと思います。
コミュニティーの持つ力、組織力、団結力こそ日本人の親和力の遺産であり誇り、これを絶やしてなるものか)
その区画(小さな理想郷)には、農園があって公園があって娯楽施設があちこちにあり、ネットワークでつながった教育システムがあり、もちろん小さな議会もある。「食う寝るところに住むところ」が確保されている。
自給自足を是とする基本的な考えを共有している人々が集まっている。
武者小路実篤が昔、試みた理想郷みたいなもの、と考えると時間の経過が、その当時よりも、その成立をたやすくしていることがわかるような気がする。つまり…
既に存在する、自然光に左右されない工場農園や発電設備、AIを搭載したロボットと共生する社会は考えられる理想郷を昔よりもずっと計画しやすくなっている、というわけだ。
いま、休耕地、休耕田は農業政策の失敗であちらこちらにいくらでもあり、その担い手もいないし荒れ放題。
共生する動物たちにお構いなく彼らの生息地を縦横に分断し日本国中に張り巡らされた道路網はまさに血管の役目。これが不十分では以下の話は成り立ちにくい。世界一の交通網を誇る日本であるからこそ成り立つ。
その交通網があればこそ、散らばった理想郷の1つが破綻すれば直ちに修復に向かい、継続か再生か決定できる。破綻してもコミュニティーごと場所を移動できる。
もちろんこれは災害大国日本に適している、どこを切っても金太郎飴の組織は再生が簡単なのだ。
…とまぁ寝床の中で、スマホロボット(スマホはロボットであると言う人がいて僕も全く納得しています)に頼り音声入力をして、夢の続きを語って、数少ない誰かさんに向かって発信してしまいました、、これこそ、まさに僕にとっての未来社会です、あはは🤣
今日は日曜日、天気も良さそうだ。僕に残された未来社会を生きてみよう😙
そう、テレビ画面の字幕は有用だと思うのですが、耳が遠くなってやたらボリュームを大きくする夫はこの字幕が邪魔だと言います。目が白内障であまりちゃんと見えないのもその理由。体は丈夫なのですが、耳と目が不自由気味だと周りは何かと迷惑します。問題は周囲の助言を受け入れて手術するとか補聴器を買うとか、ということを嫌がること。彼の耳が遠くなり始めてからは居間で一緒にテレビということは無くなり(その音に耐えられない)、私は専らパソコンでニュースを見ています。目の方は、運転に支障があるのでできるだけ私がそばにいるようにしています。これも、ナビをちゃんと見られないんです。全く二人で一人前とはこのこと、しかしいずれは二人で0.3人前くらいになる時期が来るんでしょうね。
工場農園の件、これは少し前に海水温の上昇だか中国漁民の乱獲だかで日本近海での漁がむずかしくなっているので、漁業工場のようなものを開発しなければ、とあったので、それをいうなら農業工場も必要だと思いました。「うさぎおいしかのやま」の田園風景が消える、なんて長閑なことは言っていられません。食物・食品というのはれっきとした「戦略物資」なので、自給率がこんなに低いと日本はいずれどこかの属国になりますよ。
でもそうすると、虫たちはどこで食糧を確保するんでしょう。先日読んだ養老孟司さんのインタビューに、昆虫が減るとそれを食する動物にも影響があって生物界全体がドウノコウノとあったのですが、この昆虫博士(副業みたいですけど)にまず考えていただきたいのは、虫のためには豊かな青々とした植生が必要という点で、その証拠に北欧には虫なんかロクにいない。だから現在の田圃や休閑地に工場農園を造ったら、草を失くした可哀想な虫たちのために、昆虫用植物園を作る必要がありますね。
そんなことを考えていて、一句浮かびました。
・虫籠の茄子気に入らぬ飛蝗かな
子供の時の思い出です。捕まえたバッタのためにせっかく茄子を虫籠に入れてやったのに、「おれはとにかく自由になりてえんだよ。胡瓜も茄子もいらねえ、ここ出してくれ」って感じで、バッタさんにプイと横を向かれてしまいました。