3月9日(土)
朝寝朝酒朝湯が大好きで♪、、財産を失いすってんてんになったのは小原庄助さん。
今の時期布団の中に潜り込んで朝寝を楽しむ幸せを感じます。
寒いので早いとこ寝て朝も遅くまでぐずぐず寝床で布団にくるまっている。
毎日ジムのプールで泳いで、風呂につかっていると…それだけでいいご身分だなぁと思う。
100年前のお大尽の暮らし、200年前の王様の暮らし…と考えてみると愉快な気分にもなれる。
その一方で、、能登半島の地震で地元の産業も人々の暮らしもぺしゃんこになった状況が写し出されれば、そのみじめさがやり切れない気分、、。
コミュニティーの再編にまた多くの時間がかかる。
残された時間が少ない高齢者は明日の我が身。
穴倉生活(寝床を穴蔵にたとえたのは僕の母です、うまい比喩だなぁと思います)を気取っていますがコミュニティーに支えられている事は間違いない。
災害は避けられない。潰されたコミュニティーをどうやって再編するか、災害に会う前に、その災害を越えてまた立ち上がることを計画していくまちづくりに力を入れていく事を念頭に置いてコミュニティーを考えるという新しい考え方が浸透しつつあるような期待を持っています。
(一昨日再開発事務所のスタッフの方と話す機会がありました。
新しい高層ビルが立ち上がるという事は新しいコミュニティーも発足するわけで、建物のメンテナンスはもとより運命共同体になるわけでそろそろ入居者は立ち上がったことを想定してコミュニティーのことを考えていく時期、そういった資料もそろそろリリースしてくださいとお願いしておきました。
7世代先のことを考えて暮らしていた先住民の話がありますが…我らの祖先でさえ300年後くらいは具体性を持った現実として視界に入っていた建物作りをしていたことを思えば現代人もやっとそこに気がつき始めた、と思いたいです。
温い布団の中で書く文章は甘いですね…あはは🤣)
私たちの子供時代にはまともな暖房設備を整えた家など無かったし、冬はもう布団の中だけが天国で。そこから出たくなくて大変でしたわ。学校のない日曜日でも追い立てられるのは理不尽と感じたものです。
炊事洗濯に終われる主婦が、週一度でも楽ちんのわが子に嫉妬していたとしか思えない。彼女らも「家事休業日」を設ければよかったのに、そういう知恵もなかったのですね。ただ「稼ぎがない」という理由で給料運び屋の夫に従うほかなかった。でも女が稼げないシステムを作ったのは男だから、堂々と世話になる権利があったのですけどね。
それにしても当時の綿の布団は重かったなあ。今の化学繊維や高級羽毛の布団とは大違い、でもその重さだけ暖かいような気がして、後に軽い布団になったときは物足りない気分でした。