2月7日(水)
本の背表紙は縦書きになっているので縦に並べるとお目当ての本が取り出しやすくなる。
横文字の英語の本なら横に積み重ねた方がお目当ての本が取り出しやすくなりますね、ま、翻訳があれば翻訳を探しますので僕にはほとんど関係ありませんが、、。
1階の4畳半の押し入れの奥にコの字形に本を並べていくと3メートル位になる。5メートルでは多すぎる。1メートルでは寂しい。3メートルの本に囲まれて多分幸せな気分になれるだろうと思う。
AIを参照するように、3メートルの本に立ち戻り、参照しつつ僕が選び取った本に恥ずかしくない生活をしていこうと思いました、なんちゃって…白状しますと…おそらくは「積ん読」つまり風景として置いておきたい、格好つける目的です、すいません嘘つきました。
それでも、とにかく次から次へと読みたくなる本が多すぎるので「締め切り」を考えてこんな自衛手段を考えた事は確か。
知らない世界を知って(あまりに多すぎる!)啓蒙されるのは必要でもあるし刺激的なのですが残り時間を考えると、もう欲張れない、それなら残り時間は自分が安心して楽しめる面白いことをしたい。
本の書評、白書、様々な分野の辞書類は「アンテナ」や「おかず」としてたまに見ていきたいです。食欲を出して、生きる元気をもらうためです。
やりたいことの優先順位をつけざるを得ない歳になりました。
高齢者は余命宣告を受けたのと全く同じだと思います、というか考えようによっては赤ん坊に至るまで人間は生まれたとたん、余命宣告は受けているようなものですが、高齢になればその締め切りが具体的に迫ってくる、というだけのこと。
それを悲観的に捉えるのではなく人生の「おまけ」/プレゼントと捉え積極的に向かい合いたいです。
歳をとったから新しい発想が少なくなる、発見も少なくなると思うのはまったくの偏見だと思います。人間の英知にも若い人と同じように最後まで接していたい。
身の回りでも面白いことや面白いものを探していこうと意欲するだけで僕ら高齢者は協力してゆけるのではないかと思います♪
たまには優等生気分を味わいたかったのでこんな文章を書きました…あはは🤣
すごく分かります。この年で新しいことなんか??いや、アイデアは逆に湧いて来るのですよ。行く末はあまりない。先のことは見えている。そうなると、過去に経験したことにもある種の洞察が生まれて、違う評価をすることになります。そして、今ならできる、ということが見つかる。
それと、この点はいちまるさんも同じでしょうが、子供が無いことの自由さというのがありますよね。いえ、子供を生み育てることは素晴らしい業績だと思うのですが、自分の育てられ方から「跡継ぎ」とか「家の継承」とか「家督」に物凄い反発があり、そしてそういう教育を親に施された人間(ほぼ全員が男性で、それに協力して養ってもらっている女たちが加わる)が詰まらなさそうな人生を送っているを見ると、私の親の世代はその点で完全に失敗したなと思います。彼らのほとんどが、今はもうこの世から消えた1920年代生まれですが、その失策を繰り返してはいけません。
子供に何か残そうなんて思わない。子供の未来なんか思い煩わない。自分が五里霧中でここまで来たように、若い世代も手探りで歩んでいけばいい。第一、親の遺したもので暮らす人生なんて、まったく面白くないでしょうが。でも人間って、期待とか既得権とかいうものに骨抜きにされてしまうんですよね、それと気づかず。
・この星のすべて懐かし旅の果て びすこ