2月5日(月)
AIが脳を模倣し、その英知が人間を越えていったり、人間の形をしたロボットが人間の家政婦になる世界はまぁ楽しいけれども遊びの分野かなと、いろいろな資料を見ていくとそんな感じがして来ています。
おびただしいデータをAIに処理してもらう…もうとっくのとうに人間の脳を超えている。
僕が小説で取り扱ってみたいと思っていた人間の気持ちや心の方がAIに寄り添う世界になっていくのかなとふと考えます。
ここのところはよほど気を確かに持って僕らは自分の気持ちや心と向き合わなければ先人に対して申し訳ないような気がします
気持ちや心が何かわからないままにAIというかコンピュータ処理結果を参照していく未来社会にもう僕らは生きている
臨床的に学んできた人間の心理学なるものが置いてきぼりを食ってAIによって人間が進化を迫られるような時代にすでになっていると思った方があたふたしなくて済むような気もしてきました。
レイ・ブラッドベリの火星年代記の先見性に震えます。つまり環境が人間に及ぼす影響についてです。
ふと気がつけば、というか気がつかないうちに変化していた、、皆さんは変化している自分をどのように感じているんだろうか、自分だけは気を確かに持って変わらないという気持ちもあるんだろうか?そんな風な気持ちを持てる根拠は何?
進化の途上にあった人類を今から見ればなんか変な感じがするように将来僕らも奇異な目で見られるようになるのでしょうね。
そう思って考えたら100年以上前に建てられたエンパイアステートビルが古代の遺跡のように見えてきました。
墓石のように見えてこないように過去から現在への人間の歴史のつながり、現在を生きる人間同士のつながり、を考えていかないと人間は糸が切れた凧のように飛んでいってしまいそうです…あはは。
汝の隣人を愛せよ、、ハーイ🙋♂️あはは🤣
昨日何かを読んでいたら、ナチというかヒットラーはベルリンの建物を設計したとき(させた時というべき?でも彼自身も建築を勉強したんですよね)、ピラミッドなんかのように数百年・数千年先に「遺跡」として残るような建築物を望んだそうです。でも連合軍に見事にやられて彼の構想の産物は全部破壊されてしまった。歴史が今の延長線上を辿って進むことはまずあり得ないから、数百年先のことなど考えない方がいいのでしょう。Future-oriented、未来志向ったって知れたもの。