2月2日(金)
今日は兄の所へ行って部屋の中を少し整える手伝いをします。兄の希望で洗濯をして乾燥機にかけその後、ちょっと部屋干しして陽に当てたいためです。まぁヘルパーさんに頼んで洗濯をしてもらうのでしょうが陽に当てた方が何となく気持ちが良いですからね。
僕が使っていた自立する組み立て式の洋服掛けをそれに充てることにしました。全部バラバラにすると1メートル以内の鉄の束になる優れものです。
兄は山男なので、所持品の整理もうまいしシンプルに暮らしたい方なので今の暮らし方がぴったりあったようです。
生活は激変したのですが約1ヵ月半の間に急速に環境に合わせたところがすごいなと思います。
施設のスタッフ、看護師さん、、たまに通ってくるリハビリのトレーナーの方たちとも徐々に人間関係を作って、ヘルパーさんには近くの買い物ぐらい付き合っていただいてるようです。ケアマネさんの連絡でその辺の事情はわかります。
会社勤めをしている頃は山歩きのリーダーをしていたぐらいですから面倒見は良いので…面倒を見られることにも慣れているのかもしれません。ちょっとしたハイキングでも事前に自分でそのコースを歩いてみる用意周到さです。そんなことを今思い出しています。
短期記憶がおぼつかなくても全然問題ありませんね。身の回りの世話を焼いてくださるスタッフの皆さんに感謝あるのみです。
この2年間兄の身の回りの雑用をこなしたおかげで僕も本当に勉強になりました。母に教わった事が今に役に立っていると同じように兄に寄り添って学んだことも今落ち着いて考えると本当に多かったと思います。
母に喋り続けたこと。兄に喋り続けたことが、実は自分に向かって喋り続けていたことが今になってようやくわかりました。自分を説得していたのですね、相手に話しかけながらぼく自身を説得していた。
7歳上の兄は7年後の僕です、まぁ生きていればの話ですが。順送りとは本当によく言ったものです。時代はどんどん変わっていっても順々に送られていけば何とかなるのかなと考えた方が気が楽ですね。後の事は残った人がどうとでもすればよい。
超高齢社会の先進国である日本は後に続く世界の最先端を行ってほしいです。
医療の最先端を行く必要はありませんが健康寿命を延ばすための方策は国策にしてほしいです。それが1番安上がりだと思うからです。健康は命より大事という冗談がありますが冗談ではない、よくよく吟味して自分自身と付き合いたいと思います。
それには何といっても現場に学ぶのが1番だと思います。一番苦労している人に尋ねていく、、現場を大事にしなければ人の気持ちがつながっていかない、気持ちがつながっていかなければシステムや技術もおぼつかないと思います。
繋げたい、残したいと思うからこそ切磋琢磨する、それが張り合いになる…現場の気持ちが兄に通じて兄もそれに応えようと環境に馴染もうとしている…兄も技術屋として会社勤めをしてきたことが今の兄を支えている…僕自身も兄がやっと少し見えてきました。
僕は人に見えやすい、わかりやすい僕になれるだろうか、、あはは🤣
とっても説得力がありますね。
ご両親に話しかけ続けたことの実り。本当によかった、と思います。ご両輪もご立派だったのでしょう。これは一方的にできることじゃないから。
私はちょっとダメでした。特に母親には。彼女やその姉妹の口さがない性格、低俗さ、噂話や陰口が本当に不快で(「N家は意地の悪い血統」なんて言う人までいた)、たまに帰省したときも会話を避けていました。結婚してのち、ドイツからわざわざ帰ったのだからと極力話すように努力していたら、母が私の友人に「こんなにあの子とゆっくり話ができるとは思わなかった」と言ったんですって。喜んではくれたのですが、やっぱり内容が詰まらなくてイライラして忍耐が必要で、「修養」とでも自分に言い聞かせるしかなかったですね。
そしてそれが今生きているかどうかは、全く自信がありません。本当は今半病人の義姉の話し相手をしてやるべきなんでしょうが…うーん、やっぱり修養が足りない。住み込みで24時間介護をしてくれているポーランド人女性は偉いなといつも思っています。お金だけでできることじゃないから。
そうそう、今日、ちょっといい句に出会ったんですよ。
『 生くること やうやく楽し 老の春 』
富安風生という人の句です。
これが分かるのは、もう十分に歳取ってはいるけれど、まだ他人さまの世話になる必要はなくて、自力で暮らせて、老いの日々を楽しむ余裕がまだあるからです。介護される立場になったら、生きることが楽しいと言えるかどうか。