2月1日(木)
男なら男、女なら女の顔の平均値は美男美女、、と言われているとか昔聞きかじったことがある。まぁそうだろうなと納得する人が多いのではないでしょうか(鼻高からず低からず、鼻の下、長からず短かからず、目の収まりもバランスが良い)。
突然ですが…ビッグデータ(一説にはゴミの山と言われている)をこれになぞらえれば、、いろいろな意見の平均値(むちゃくちゃ乱暴な言い方をしています)…これが何を意味するか…誰でも考え込んでしまうのではないでしょうか。
ビッグデータを分析する手段は僕らにはない。Googleやデータの加工業者には…多分ある。例えば、抽出したいターゲットをビックデータから割り出す。僕らはそれにアクセスできない、、これは大いに面白くありませんね。
マイナンバーカードで僕らは捕捉されていく。サクサクと決済され与信限度も知らない間に設定されていることだろう。そうなっていく世の中に僕らはきちんと対応していけるのだろうか。
何かを選びとっている感覚だけが残りその実、限定された選択肢の中から選ばされているなんて事はないんだろうか?
僕らはまっしぐらに家畜のように飼育されている、、とでも言っておけば…身ぐるみ剥がされることも少なくなるかもしれない…ちょっと甘いかもしれません…あはは🤣
(ほんのちょっとした手がかりから何かを見て取ったり聞き取ったり感じ取ったりするものをもっと大切にしたい。
よちよち歩きの子供が、道端に落ちているものを拾う、それを見ている親御さん達…身の回りのものから感じ取っている…一体何を感じ取っているのだろう、子供と大人…わからないものを分かろうとする気持ち…わからないものをわからないままに保っていこうとする気持ち、無理してわからなくても良いのではないかという投げやりな気持ち…そっとしておいて欲しい気持ち…そんな気持ちもありますね、ビックデータに反映されないビッグデータの忘れ物)
(少し前にLINEの傍観者の微妙な立場に言及しましたが…何の事はない、街の賑わいをラインに求める、と考えればわかりやすいのではないか、つまり僕はLINEの効用はそこにあるのではないかと強弁したいです、覗き見大いに結構…これは論議になりそうですね。
昔、同級生(お互い社会人学生?)で…読書なんて単なる覗き見趣味じゃないの、と吐き捨てた方がいらっしゃいました…何もそこまで言わなくても、、、と、野次馬根性の僕は思ったことでした。
寄り添っていこうぜ…地下室みたいな生活の中でぽっくり死んでも、、何日か後に…亡くなったことが知られて…あーあの人亡くなっちゃったんだって…と、人の噂くらいにはなりたい僕です。)
もう15,6年も前になりますが、「ソーシャルディスタンス」という言葉を初めて知りました。コロナで盛んに使われるようになったとき、それは感染を防ぐための人と人の物理的距離という意味でしたが、私の読んだ本にあったのは「人は自分と他人の社会的な差を求めて上昇しようとする」というものでした。つまり、社会にあって「自分は君らと同じ位置にはいないんだよ、僕はそのずーっと上にいるんだよ」ということを示したくて、そのために頑張る人が多いのだといいます。縦方向の距離なのですね。
でも、自分を仰ぎ見てくれる人が自分と同じレベルに来ちゃったら、差をつけてもっと上に行くためにさらに頑張ることになる。それを繰り返して、平均であることを何としても避ける。それで、結局は多くの人々を見下ろしながらあの世に行くんでしょうか。