思春期ブック:コンフォート夫妻著:池上千寿子・根岸悦子訳:富士見書房1982年3月初版
(図書館のリサイクル棚にどなたかが置いていった本です(図書館のリサイクル棚には図書館の処分本もありますが一般の方がリサイクル用にと置いていった本も時々あります。昨日もそのような本でルーブル博物館所蔵の名画の解説集…幸い、フランス語ではなく英語だったのでもらってきました。1965の文字が見えますのでえらく古いものですが、名画は古びない、解説もまた😌)
A4版を少し小さくした位のハードカバーのしっかりした本で127ページは結構な分量です。子供を育てる資力がなく、子育て、仕事、家事の両立に興味がないなら安易に子供を作るな…と手厳しいですが、豊かなセクシュアリティー(性)を生きよう、、と表表紙にもうたっている通り看板に偽りなしのテキストだと思いました。あ、ついでなので裏表紙の注意書きも引用しておきます
望まれない子供を不用意に作ってはいけません
避妊がすべてに優先します
精通と初潮、体が大人になりつつある"しるし"です
性をたのしむには、責任ある行動が必要です
相手を思いやり、傷つけないことがエチケット
手当たり次第性交してまわるのは、自分に自信がない証拠です
初めての性交は男も女も少し恥ずかしいもの
結婚をあまりに早く決めるのは問題です
急がないこと
性交を楽しむには大人にならなければなりません
引用以上
40年後の今も少しも古びないどころか後期高齢者になんなんとする僕が読んでも、ベストパートナーを見つけるために労を惜しむな、などの語りかけに、関係ないと思いつつ、そうは思わず、思わず、ハイ、と、返事をしたくなるような編集です♪この本を読んで育った40年後の大人たちに会ってみたいものです、例えば僕。結婚歴0、もちろん離婚がどういうものか知る由もありません。それでもこの本の示唆するところはこの年になってようやくわかります…こういう奥手の大人もいるということを知って、安心して大人になってほしいと思いました…あはは🤣
昔若い人たちに性に関する質問を結構受けました…親に相談するよりは兄貴と呼ぶにはちょっと歳を食いすぎていましたがそれでも相談しやすかったんだろうと思います…案外、周りにそういう両親以外に相談しやすい大人がいるかどうかが「成熟社会」には求められているのではないでしょうか、あ、中学生の時も周りの友達から相談を受けたことを思い出しました、大人びて見られていたのかもしれません、自意識過剰?😅
1カ所だけ子供が生まれた時について言及している箇所を引用いたします
61ページ
子どもが生まれたとき、あなたは赤ん坊をつくったにすぎません。人をつくり終えたわけはありません。子ブタは生まれるとすぐ歩くことができます。しかし人間の子どもは、「育て終わった」という状態に近づくだけでも、少なくとも15年間両親の世話を必要とします。両親は第 2の子宮のような役目をします。ですから、もし両親が正しく自分の役目を果たさなければ、生まれてきた人間は傷つくことになります。ひとりの親でも子供を育てることができますし、立派に育てている人はたくさんいます。しかし、私たちは本来、ふたりの親を必要とするようにできています。ひとりでは子づくりははじまらないのですが、かといって、幸福で成熟した人間をひとりで育てあげられないわけではありません。引用以上
性の悩み・疑問というのは、たいていは相談する相手がなくて独りで抱え込んでいるものなのでしょうね。そして男女の悩みは異なっていて、こればかりはなかなか異性の立場を理解できない。そういう意味では、昔流行った歌じゃないけど「男と女の間には深くて暗い河がある」というのは本当だと思う。
おお、「避妊が全てに優先します」って? これ、カトリックの神父様が聞いたら目を剥くでしょうね。(昨夜たまたま、極めて庶民的なイタリア料理店で丸々した可愛い子豚みたいな神父さんと出くわし、2時間余り歓談しました。)この宗派では、受胎もまた神の意思なので、妊娠は自然にまかせて子供はどんどん生みなさい、と言う。何千年も昔の「産めよ増やせよ地に満ちよ」が今も正しく、その結果が食糧不足でも環境汚染でも知ったこっちゃない。
人口問題の議論はさておき、今特にアメリカで騒いでいる妊娠中絶の可否、これは実に厄介で複雑で、そしてできれば誰もが関わりたくない問題だと思いますが、私にとって腑に落ちないのは、妊娠というのは一人でできるものではないのに(アメリカでは女が精子バンクに行ってスペックに合う精子を買うやり方も許されているけど)、男の当事者意識が全くないという点です。
常々「アッタマ来て」いることとして、社会の木鐸をもって任じる評論家や教育家が出産を望まぬ女を糾弾・譴責して、「胎内に宿った生命の源泉を何と心得る、中絶は殺人じゃぞ、神の意に背く行為じゃぞ、地獄に落ちるぞ」などと説教することで、神の意など持ちだすこともキリスト教に反するが(「みだりに神の名を口にすべからず」と聖書にもあるではないか)、それよりも、男の体と女の体が合わさって出来る命の芽に関しそれへの対処を女一人に任せることは甚だアンフェアである上に、生まないと決めた場合の女の罪ばかり一方的に責め立てるのって、残酷じゃありません?
中絶が罪なら、それは関係者である男女がともにその罪を背負うべきで、女を地獄に落として済むことではないでしょう。フェミニストとか女性解放運動家たちがどうしてその点を問題にしないのか不思議です。