第4の産業革命:藤原洋著:朝日新聞出版2010年7月第1刷発行)
3日ほど前に図書館のリサイクルコーナーにあった本です。いきなりの引用で恐縮ですが… 206ページ あとがき冒頭より
2010年、日本は世界第 2位の経済大国の地位を失い、五里霧中の停滞の中にいます。
その根本原因は、地球規模の産業構造変化と環境エネルギー問題にあります。化石燃料、ウランなど有限なエネルギー資源の枯渇問題が迫りつつある今日、日本の置かれている経済危機の本質は、化石燃料依存型工業製品の輸出産業の衰退、首都圏一極集中経済、およびエネルギー資源と食料資源の外国依存度の高さにあります。一刻も早く、地域経済の再生によって首都圏一極集中を解消し、エネルギーと食料の外国依存度を引き下げることが求められているのです。その問題を同時に解決できるのが、「環境エネルギー革命」です。引用以上。
と著者が述べているように並々ならぬ決意表明ですね。
99〜101ページにGENESIS計画について述べられていますので少し引用します、桑野幸徳博士の提言です。
電力についても、長い間、電力会社という巨大な発電所に集中していました。それが、太陽光発電の時代に入り、各家庭やオフィスや工場などで発電する分散化の道をたどり始めました。
そして、最終的には、次のようなカタチになると予想されます。それは、太陽電池開発のパイオニアの1人であった桑野幸徳博士(元三洋電機社長)が20年ほど前に提唱した「GENESIS計画」で、一言で言えば「地球電力ネットワーク」です。
「GENESIS」とは”Global Energy Network Equipped with Solar cells and International Superconductor grids “の頭文字をとったもので、旧約聖書の”創世記”を意味する言葉です。
桑野氏の計算によると"世界のエネルギー消費と太陽電池の必要面積"の検討をした結果、「800Km× 800Kmの正方形相当」の太陽パネルで、全人類が必要とするエネルギーを賄えることとなります。太陽電池による太陽エネルギーの変換効率がわずか10%だとしても、この大きさのパネルで事足りるのです。太陽電池を敷き詰めるための必要総面積は、現存する世界の砂漠の「わずか4%相当(当時)」に過ぎません。
具体的には、砂漠のように莫大な土地がある場所に、新エネルギー電力の集中型発電所をつくります。新エネルギーは、主として太陽電池ファーム、副として風力発電ファームになりそうです。各発電所と世界の都市や街を超長距離の高温超伝導ケーブルで結び、全世界的な地球電力ネットワークに拡大するというものです。1つの国で太陽光発電を行えば、どうしても夜間は電力が足りなくなりますが、地球全体で行えば、必ずどこかの国で太陽が降り注いでいます。つまり地球電力ネットワークを構築すれば、24時間太陽光発電を利用できるわけです。もちろん、太陽の光は無限大にあるので、資源の枯渇を心配する必要はありません。CO2も発生しません。電力料金は別として、資源的観点からは、省エネを全く気にする必要もなくなるわけです。
115ページ
エネルギーの収支のバランスが保たれた状態では、地球に到達する全エネルギーと地球から放出される全エネルギーは同量で± 0になります。
最新の研究によれば、地球上で人類が、利用可能な太陽エネルギーの総量は、約PWですが、これは現在の人類が消費している全エネルギー総量の約50倍にのぼります。従って、地球上の砂漠の一部(約7%程度=ゴビ砂漠の50%)にごく一般的な太陽電池を敷設することで、全人類のエネルギー需要を満たすことができるとされています。引用以上。
こうして発生させた電力を蓄電池にチャージして電気自動車に利用する。送電網もネットワーク化する。話は非常に簡単明瞭なのですが…戦争すら克服できない人間が人類の理想に向けて着々と動き出すのはいつのことか。技術屋連中は着々と進めている、とこの本では述べています。技術屋は昔から説明が下手。説明を補いバックアップしてサポートするのは僕らの役目。それをこの本は教えてくれます。この素敵な本は図書館のリサイクル本であまり読まれた形跡がない。
(パソコンやスマートフォンに内蔵されているリチウム電池が電気自動車の蓄電池に応用できるなんてちょっと前まで誰が考えたでしょう…進歩は思わぬところからやってくる…と部外者は思いました。
技術者ではない僕らができる事は技術者をサポートすること…具体的には…地球環境を守れというメッセージを一人一人が出すこと、太陽光発電を充実させ、環境負荷の少ない電気自動車に乗り、さらに言えば
…家庭から出すゴミを少なくし家庭からの排水の汚れを少なくすることでそれが1番地球環境改善に貢献する。工場における化学プラントやオイルの流出事故などの汚染原因とは比較にならない位の総量の汚染排水は各家庭から今も垂れ流されている。ちょっと待ってどうすれば1番水を汚さないか、つい忘れてしまうのは汚れた水は自分から離れてしまうから。臭い物には蓋、捨ててしまえば証拠が残らない、見たくないものは目の前から排除する、または見ないことにする…深く反省)
問題は複雑多岐にわたりますが、この中で最も実感があるのは、農村育ちのせいで「食料資源の外国依存」です。田舎では休耕地がうんざりするほどの広がりを見せ、土地はあるのに、自国の農産品は高すぎる、グローバル化で海外産を買わなければならない、という理由で稲作を止め、米の自給率さえ下げなければならない。
結果としてどこかの大国の、人口肥料と殺虫剤・除草剤をたっぷり使ったトウモロコシだの大豆だのを買わねばならない。そんなの健康上の理由からも輸入させられないと頑張ると、非関税障壁とやらで「ならばお宅の自動車は買いません、電気製品も要りません」となる。
一つには日本の農業は手間がかかりすぎて競争力が無いからというのですが、ならば思い切って、農業を工業品のように生産してみてはどうでしょうか。休耕地にでっかい高層ビル(小型台風でぶっ飛ぶようなビニールハウスでなく)を建てて、一階では茄子を、二階は胡瓜、三階はトマト、オクラやレタスも、という風に「立体栽培」し、水やりも自動化し・・・そうすれば2、3年で初期投資のもとはとれるでしょうよ。
米や麦もそうやって作れば、自動車なみに国際競争力がつくでしょう。ウクライナ紛争による穀物不足に見る通り、農産品は立派な戦略物資ですよ、いつ何時輸出・輸入禁止をなるか分かりません。葦原の瑞穂の国で、米を工業的に生産するなど許せない?じゃあ、お金を与えて農夫と耕作地を遊ばせておくのは、仁徳天皇も満足される、大和の国にふさわしい政策なんですか。
なんて一人でいきまいてもしょうがないけど、高級官僚や政治家が考える策のチャチなことといったら、もう。私でもその程度の案なら出せるわ。ふん、何が持続可能だ。持続可能な政治なんかやってる国が世界に一つでもあったら教えてほしい。俺の代がなんとかなればそれでいい、あとは野となれ山と成れ、が本音でしょ。