生きて死ぬ私:茂木健一郎著:ちくま文庫: 2006年5月刊
(確か、クレマチスさんが、話の流れの中で…宮尾登美子の「櫂」がちょっと話題に上り、、すぐさま図書館にリクエストしたら…下巻が来た、下巻から読むのも面白いなとちょっと思いましたが、さすがにそれを諦めて1冊で読める文庫本を今リクエストし直しました…と言うわけで3日ほど前に例によって岡島書店から買った100円本のこの本を取り上げます、ちなみに岡島書店からは、長い間にかれこれ300冊ぐらいは買ってると思いますつまり30,000円は使ったと、、なぜかまとめにはいる僕…こんなところまで父にそっくり、父は亡くなる少し前自分が飲んだ酒の量、一生のうちに飲んだ酒…、〇〇石:コクとはじき出し、、こんなもんか…と独りごちていました、ハハハ)
33〜31ページ
中略…今日、人間の文化は言語を通したゲームのようなものだと言う考え方は、高校生でもそのテーマでエッセイを書けるくらいのありふれたものだろう。だが、それを最初に世に出したのは、ヴィットゲンシュタインの独創であった。
このように、哲学者が必死になって切り開いた知のフロンティアの恩恵を、何年か経って、普段は哲学など考えもしないような一般の人々も受ける。逆に、今日普通の人が何気なく考えていることの多くは、何年か前には哲学の最先端の問題であった。哲学者が、ときには発狂の危険まで犯して(!?)獲得してきた「恥」の最先端が、何年か経って、一般の人が「そんなの当たり前でしょう」と欠伸をしながら言うような一般常識に変貌するのである。
(昨日ごーぎゃんさんと四つ木の蕎麦屋に入りビールを飲みそばを食った。お金はごーぎゃんさんが払いお礼は僕が言った。ものをくれたりご馳走してくれる友人はいい人だ。すべからく2枚目は軽薄で金払いが良い…というのは僕の若い時からの持論で、男女を通じて反対意見はほとんどない…当たっているからだと思う。若い時あるニ枚目は僕に言った、次の女探すのにまたお金かかっちゃいますよ…そうだろうなぁと僕。そんなことで男の見栄が張れた時代、懐かしい。いつもマクラが長くてすいません…、蕎麦屋で別れて僕はヨーカドーへ行きました。冬用の下着の買い増しをして、店内の本屋を一巡しました。本をゆっくり見ていくと…こんな本はいかがですかあんな本はオススメですよと表紙が語りかけてくる、生きることから死ぬこと、まで痒いところが手に届くような読みたい本がこれでもかというくらい平積みされている。30代前半まで…本といえば、仕事関連のすべて実務書実用書ハウツー本ばかりだったような気がします。ですから今回、芋づる式に100冊読めたのは(あと1冊残ってますが)ご縁のつながりなわけで、だからこそ嬉しいのです。回りくどくてすいませんでした、この括弧内でお伝えしたかったことを声を大にして申し上げます…イモヅルシキの駄文を今までお読み下さった皆さんありがとうございました😊あと1回残っていますが…お礼は早めに、は僕のモットーなので…さて、、本題に…)
41ページ
中略…人間の幸福のために必要なファクターは、案外とはっきりしたものだ。では、人間が幸福になるためには、どのような条件を整えれば良いかと問えば、多分こんな答えが返ってくる。
たとえば、大きな広々とした空間のある家(かつて、ある政治家は、日本人の一人当たりの居住面積を2倍にすると言う計画を発表したが、なかなかの慧眼といえるだろう)。
家族や、心の通い合う友人たちや、あるいは恋人と過ごすゆったりとした時間。好きなときに、好きな場所に行ける手段と余裕があること。
将来の目標についてある程度の展望があり、その目標に向かって、少しずつでも進んでいるという感覚のあること。引用以上。
、、、この条件に呼応する形で、、42〜44ページ
たとえ物質的に満たされていても、必ずしも幸せとは言えないのではないか?
私はどこから来て、どこへ行こうとしているのか?
人間は、死ぬとどこへ行くのか?
人生の究極の目的は何なのか?
人間の行動規範を決定する、価値基準の究極の根拠は何なのか?
中略…ところで、このような質問をしてしまうのも、私たち人間が「心」を持っているからだ。
なぜ、私たちは、人間の心だけ、特別なものだと思ってしまうのだろうか?
宇宙の広大な広がりの中で、私たちは、自分の頭蓋骨の中の重さ1キログラムの塊が表現する内部世界である「私」が、特別なものだと思っている。だからこそ、「私」を取り囲む環境、「私」の社会における位置づけ、「私」の心の状態について悩む。
私のユダヤ人の友人は、かつて、幸福とは、心の平和(peace of mind)を持つことだと言った。
中略…このような、「私」、「私の心」に対するこだわりが、人間が幸福になるための条件を、とてつもなく難しいものにしている。
引用以上。
さぁ始まりました…引用が続きますが我慢してお読み下さいませ
62〜64ページ
清少納言の「枕草子」の中には、次のような一説がある。
職の御曹司にいらっしゃる頃、ハ月十日過ぎの月の明るい夜、中宮は、内侍に琵琶を弾かせて、端近な、所にいらっしゃる。女房たちの誰彼は話をしたり笑っているのに、私はひさしの間の柱に寄り掛かって、ものも言わずにはべっていたところ、(宮)「どうして、そうひっそりとしているのか。何か言ったらどう。座がさびしいではないか」とおっしゃるので、(清少)「ただ秋の月の風情をながめているのでございます」と申し上げると、(宮)「なるほど、この場にはふさわしいせりふね」と、おっしゃる。
(「新版 枕草子上巻」石田穣ニ訳注、角川文庫)
この文章は、日本文学の歴史の中でも、さらには世界文学の歴史の中でも、一種独特な雰囲気を持っている。ここには、清少納言という一人の人間が、今まさに月を見上げているという、その雰囲気がとらえられているのだ。私たちは、もはや清少納言その人自身を目の前にすることができない。だが、右の文章からは、清少納言のリアル・タイムの息づかいが聞こえてくる。その、時間の流れの中に澱となって沈む自意識のゆらめきが伝わってくる。
その清少納言が生きた平安時代から、気の遠くなるほど長い間、その時々に生きた人にとって特別な「今」という時間が積み重ねられてきたのだ。
私たちの心の中には常に「今」しかない。十年前も、一週間前も、昨日も、今朝も、私の心はその時々の時間の流れを「今」という形の中にとらえていた。夏の暑さも、冬の水の冷たさも、そよ風の胸をわくわくさせるような感触も、私の心は「今」の中にとらえる。一分先の未来は、今だ到来していないが、もしその時になれば、私はその瞬間の時間の流れを「今」としてとらえるだろう。
すでに過ぎ去った時間の流れを、私たちは1つの直線のように考えがちだ。だが、実際には、時間の流れには、いつも「今」しかない。数限りない「今」の積み重ねが1分、1日、1週間、1年と言う時間の経過につながっていく。
中略…私は、いつかは、このような「今」を積み重ねた時間の流れを、その本質を理解したいと考えている。時間の流れを理解することで、その中で生まれ、生き、死んでいく私たち人間という存在の本質を理解したいのだ。そう考えて、研究を続けている。
著者らしいコメントが出てきました(といっても1962年生まれの著者が30歳だった頃のコメントという事)70ページ
どんなに大きな苦痛を感じていたとしても、生きてさえいればいつかは苦痛がやわらぐ時が来るし、楽しいこともある。だが、死んでしまって、この世に存在しなくなってしまったら、もうそれで、絶対におしまいだ。自分が存在しないことの恐怖の方が、苦痛を感じても、とりあえずは生きている状態にある恐怖よりも救いようがないと思うのだが、そのように考えない人も多いという。これは、私にとっては、とても意外なことだった。生と死の間にそれほどの絶対的境界を見ない、日本人の伝統的世界観が後にも顔をのぞかせているのだろうか?
74ページ
祖父が死んだときのことを思い出す。焼き場で、焼却炉から出てきた台の上には、いくつかの骨と、あとは白い灰しかなかった。それを見て、おばさんが、
ねえ、あっという間にこんなになっちゃうんだもんねえ
と言った。小学生の私は、その灰が、庭で落ち葉を燃やしたときの灰と何にも変わらないことに強い印象を受けていた。
そう、人間の肉体は、あっという間にこんなになってしまうものなのだ。
人間の肉体は、頼りない。自分自身の心を見つめる時、私たちはそれを確かに存在しているものだと信じている。夏の海辺で跳ね回っている時、私たちは、自分は確かに存在していると感じている。だが、そうした時間は、肉体という頼りない器の中にかろうじて生起しているにすぎない。私たちの肉体のほうが、私たちの心より頼りない。私たちの心を入れる器である肉体は、河川敷の草の上から眺める空の雲のように、はかなくもいつかはいつかは消えてしまうもののように思われる。
人間の存在の根底にそのような不安がある。
著者がウサギから試験片を取るためにウサギを殺す場面が出てきてその一連の行為とその当時の思い起から…ベトナム戦争の時に捕えられたベトコンの青年の頭に銃が突きつけられまさに処刑されようとしている写真から著者はこんなことを語っている… 86ページ…もしその点を越えたら1人の人間の命を奪ってしまう、その点を越えるのに十分な理由など、本当にこの世の中にあるのだろうか?
そのような理由を思いつくだけの強靭な論理と、想像力を、現場の感覚を経験したうえで持ちうるというのであれば、私はその結論を信頼するかもしれない。死刑制度に賛成するかもしれない。だが、そのような、現場の、「この一点を越える」時の重苦しさ、やりきれなさの洗礼に耐えるような理由がもしないというのならば、死刑制度は廃止すべきだ。少なくとも、判を押しているだけの人間に、死刑制度をどうこう言う資格はない。私はそう信じている。
科学の考え方の1つの提案としてこんなことも言っています… 138ページ
もし、臨死体験の真実が、私たち人類が理解した世界のあり方から、遠くジャンプしたところにあるとしたら、私たちがその真実に「理解」を積み重ねる形で到達するには、気の遠くなるほどの努力を積み重なっければならない。中世の人々にとって、稲妻は、超越的な現象だったことだろう。稲妻が放電現象であることを理解するには、電気の発見を始めとする、科学の理解の積み重ねが必要であった。中世の人々にとって、稲妻が理解を超えた超越的な現象であったと同じような意味で、現代人にとって臨死体験が理解を超えた超越的な現象である可能性はある。もしそうだとすると、私たちが臨死体験を理解するためには、たとえ一歩一歩小さくとも、地道で着実なより深い理解への努力を積み重ねていかなければならないだろう。
エックルズのような、何かをつかんでしまった人は、現時点での科学の到達点と、超越的に見えるものの間のギャップに悩む。臨死体験を含む「意識の変性状態」(オルタード・ステイツ)に興味を持つすべての科学者は、やはり、そのようなギャップに悩むざるをえない。どんなにそのギャップが大きくても、意識の変性状態が確かに存在する以上、その本質を追求する試みはやめてはならないだろう。私たちの「心」という不思議な存在を理解するためには、それ以外の道はないのだから。
142ページ
中略…私たちの意識は、一度に一つのものしか選択できないし、一度に一つのものしか認識できない。だが、私たちの無意識は、ひょっとしたら生まれることなく死んでいく夥しい可能性たちに、どこかでかすかにつながっているかもしれない。だから、人は、ときには癒されるために無意識へと降りていかなければならない。人格の全体性を取り戻すためには、意識の明るみを離れて、無意識の暗闇の中に降りていかなければならない。
無意識は、生まれてこなかったものたちの住まう世界なのである。
著者は学生の時「箱庭療法」をしていたことがあるそうだ
、、、あるセッションの時、私は祭りの様子を人形で表現した…中略…その村からやや離れた山の上に、私は猿を1匹置いた。その猿は、村の祭りの様子を山の上からのぞいているのだ。村人たちは、猿の存在に気がついていない。だが、猿からは、村人たちの祭りのすべてが見える。喧騒も、風向きによってはある時は強く、あるときはかろうじて聞こえるくらいかすかに響いてくる。そのような村の様子を見ながら、猿は、天狗でも住んでいそうな清澄な山の空気に囲まれている。猿には、下界の喧騒が見えると同時に、山の上の静寂も感じられる。そんな様子を描いた。
カウンセラーに、この猿はどのような気持ちなのかと聞かれたので、私はこの猿は、人々が祭りを楽しんでいるところを、自らも楽しみを胸に抱いて眺めているのだと説明した。でも、その喧騒の中に自分が入っていこうとは思わない。もし、村人たちが楽しい思いをするならば、その条件の実現のために協力したり、部分的に参加したりするかもしれないけれど、その喧騒の中に身も心も浸してしまおうとは思わない。そう答えた。
そのような姿勢は、その頃の私の姿そのものだった。自分が勝手に「普通の人々」と決めつけた集団の中に、完全に溶け込むこともできず、また離れることもできず、そんなどっちつかずの悩みの中に私はいた。
(そしてこんな感想を漏らす) 146ページ
今でも、ときには箱庭をつくってみたいと思うことがある。あのようなことを気軽にできる機会が、私たちのまわりにないことは残念なことだ。引用以上。
(ある人の一言が何気なく見たその風景が道端に落ちていたなんだかわからないものが…僕らの気持ちに何かを働きかけていることは間違いないだろうと僕は思います)
もの言わぬものへの思い… 151〜152ページ
ある年の春、私は渡嘉敷島にいた…中略…浜辺を歩く人間にとっては、奇妙な模様のついた、一時的な収集の興味を満足させるものにすぎない貝殻は、実はマルオミナエシの一つ一つの個体の「生」の歴史の痕跡である。私たちは、マルオミナエシという貝がその成長の過程で貝殻の独特の模様を描き上げていく様子を想像することはできても、それをはっきりとつかむことはできない。珊瑚礁の中で幼生として生まれ、懸命に餌を食べ、仲間の多くを失い、波に揺られ、太陽の光を感じ、砂に潜り、異性を求め、やがて何らかの理由で力つき、貝殻のみを残して自らは屍となり、そしてその貝殻が砂浜に打ち上げられ、人間によって発見されるまでのマルオミナエシの生は、決して誰にも知られずに、密やかに送られる。私たちの手元にあるのは、そのようなマルオミナエシの生の痕跡としての貝殻だけである。
島の美しい珊瑚の海の周辺には、さまざまな「もの言わぬもの」の生が満ちあふれていた。…後略
153ページ
人間にとって、「言葉」とはマルオミナエシの貝殻のようなものだ。「言葉」は、私たちの生の痕跡の、ほんの一部分の、不十分かつ誤謬に満ちた証人にすぎないのである。それにもかかわらず、人間は「言葉」にすがって生きていかざるをえない。「言葉」という貝殻に、必死になって自分の人生の模様を描いていくしかないのである。
(この後著者は渡嘉敷島を離れ那覇に向かう、その様子…)
154ページ
それから30分くらいの航海の様子を、忘れることができない。船の前方には次第に那覇の港が近づいてきていた。大型船、小型船が行き交い、灯台が見え、浮標が点在し、海面にはオイルが浮き、飛行機が上空を飛び、そしてビル群はますます大きく見えてきた。これらのものが、「文明」を構成する「言葉」であることが、その時、痛切に私の胸に迫ってきた。好きであれ、嫌いであれ、私たちの文明は、これらの「言葉」、私たちがつくり出し、流通させ、操作する「言葉や」から成り立っているのである… (そして第4章もの言わぬものへの思い、の最後でこうつぶやく)…
155ページ
私の心は、「ものいわぬものたち」とともにある。
第5章 救済と癒し は宗教の目的が取り上げられています(略)
第6章 素晴らしすぎるからといって
脳科学者の発言としては謙虚だなぁと思った「クオリア」に言及したところを引用いたします
216ページ
雨上がりの野原に出てみると、様々な生き生きとした質感が感じられる。雲の切れ間から差す太陽の光。雨で洗われ色鮮やかになった木の葉。頬をなでるさわやかな風。青草の臭い。私たちの感覚は、このような質感からできている。私たちは、このような質感を通して世界をとらえているのだから、私たちにとっては、世界がこのような質感からできていると言ってもよい。
このような質感を、哲学者は「クオリア」と呼んできた。
クオリアこそが、現代において超越的なものを表す、私はそう考えている。
私たちの心は、すべて、物質としては脳の中のニューロンの活動によって支えられている。その私たちの心の中には、さまざまなクオリアがあふれている。クオリアは、この世界が電子や陽子や電磁波や重力といったものからできているという物質的世界観から見て、とてつもなく奇妙なものだ。そのことは、現代の多くの神経科学者や哲学者が認めている。どう考えても、従来の自然法則でクオリアを説明することは絶望的に不可能なように思われるのだ。ということは、現時点で私たちが知っている自然法則にとって、クオリアは、超越的なものであるということになる。
クオリアはその存在を否定しようのないありふれたものだ。臨死体験が幻想にすぎないとする人も、クオリアの存在は否定することができないだろう。何しろ、私たちの感覚は、クオリアなしでは成立しないのだから。科学者は、すべてが科学で説明できると思いたいかもしれないが、実際には世界には、日常的なレベルで、現在の科学では説明できない超越的なものがあふれている。それがクオリアだ。
重要なことは、現時点で、ある現象が超越的に思えたとしても、それが永遠に科学的理解の範疇に入らないということを意味するわけではないということだ。
私はクオリアは将来必ず科学により解明できると信じている。
大切なことは、現時点では超越的に見える現象の存在を否定しないことだ。そのようなオープンな態度こそが、科学を…より広く言えば、世界に対する人間の理解を…より深いものにすると言える。
世の中には、まだまだ不思議なものがたくさんあふれている。引用以上。
(第6章の、「素晴らしすぎるからといって」…は電磁気学に関する数々の先駆的実験を行ったマイケル・ファラデーの言葉です、、、素晴らしすぎるからといって、それが本当でないということはない。ただしそれが自然法則に反しない限り。221ページ)
お疲れ様でした、お読みいただきありがとうございます😊次回は最終回です。
恐れ多くてコメントのしようがありません😝