笑いの力:筒井康隆、養老孟司、河合隼雄:岩波書店2005年3月刊
図書館のオススメ本です。北海道で行われたあるシンポジウムでの対談が主な内容です。とても真面目に笑いについて語り合っています。ぼくはこの本は笑える本だと思っていたのですがすぐに勘違いだとわかりました。
32ページから引用します、、話しているのは養老孟司です、、、
笑いというのは、われわれがもっている世界の論理のどこかが外れるときに起こります。私が好きだった落語家は桂 枝雀なんですが、私みたいな理科系の常識をもつと、あの人のマクラは非常に面白かったんですね。
例えばどんなマクラがあるかというと、きのう私は大阪の伊丹から飛行機で千歳までまいりましたけど、飛行機というのはどうも墜ちそうな気がします。ただ私は、宝籤を買いませんので、まあ大丈夫だろうと思っているんです。どういう意味かといいますと、よく世間の方は宝籤を買って、飛行機に乗ってますけども、自分の飛行機が墜ちるというのは、非常に運のいいことでありまして、おそらく宝籤にあたる以下の確率ではないか、という気がするんです。ですから私は宝籤を買わないんです。そこの理屈はおわかりになりましたでしょうか(笑)。桂 枝雀が飛行機はどうして堕ちるかという話をしていまして、「だいたいあんな重たい金属の塊が飛ぶはずがない」と言う。そら当たり前。で、「飛行機がそれに気がつくと墜ちるんですよ」と言ってます(笑)引用以上
結局本を読んでもよくわからなかったのでぼくの話をします。ぼくがこのところ愉快なのは…多分養老孟司が言っている世間の論理の一部を外して、もうすでに笑いの中に入っているからだと思います。
ぼくは最近テレビを全然見ません。面白くないからです。笑いたいときは自分で何かをする。何かをするとすぐ笑えます。今住んでいる家そのものが笑えます。少しずつ住まいやすいように作り替えているのですがそれが面白いのです。すべての窓ガラスに断熱シートを貼り付けてあります。お風呂場をつぶしてお酒を並べたらもうそれだけで愉快です。1階の壁にエチオピアのアーティストが壁画を描いたのが愉快です。今日これからやる事は…拾ってきた戸棚の扉がいらなくなった(扉の開閉が無駄な動作)ので取り外しました。取り外した後は壁に取り付けます。何のために取り付けるかというと壁に扉があっても無意味だからです。無意味なものに囲まれていると結構愉快な気分になれます。どうせ陽がささないので友人の助言もあり昼間からカーテンは全部閉めてます。これが地下室にいるようで愉快です。足元が、寒いのでリュックサックを下に置き中に電気湯たんぽを仕込んであります。あと帽子をかぶって襟を立てて本を読んでいると結構あったかいです。エアコンは22度ぐらいに設定しておいてエアコンの直下にぼくはいますのですぐ暖かくなります。暖かいと気分が悪いのでスイッチを切ります。それの繰り返しです。こんな生活が今のところ面白いので特に笑いは必要ありません。いつも笑ってます。きっとこういう生活がしたかったんだと思いました。今年1年は簡単な仕事でみんなが稼げるようになるための準備がぼくの仕事です。できるとかできないではなくてやるのです。ぼくは長年の経験でこれは仕事だと思うと長続きするのです。水泳をするのもリハビリの仕事。あちこち歩き回るのは情報収集の仕事。いろいろなグループを作るのはお金のかからないネットワークを理解するための一人ワークショップ。
暗い階段にLED照明を年がら年中つけっぱなしにしてあります。地下室のイメージは何か秘密めいていて小説の中の主人公になったような気分になれます。無頼漢にも、絵描きにも、小説家にもなれなかったぼくはこの家にいる限り何にでもなれます。ちょっと努力がいることといえば世間とのつじつま合わせです。これも年の功で何とかかっこつけてやってます。ぼくは今が一番幸せかもしれません。こう思っているので今日読んだ本を真面目に読む気がしなかったんだと今わかりました。いつも笑っているからです。自分自身を笑えるので笑わせていただかなくても間に合っているといったところです。笑いについて西洋人のように理屈はいらない。だって毎日面白いんだもん。小説を地でいっているので今のところ小説は棚上げです。ちょっと飽きてきたら構想は練ってあるので100年の物語、フォーラムにアップしたいとは思います。先程言った小説家になれなかったというのは謙遜です。正しくは…自分が小説家になれるとは思ってもいませんでした、です。本当は小説家とか詩人が1番簡単になれる商売だったんですね。自分で宣言した途端になれる商売があるとは思ってもいませんでした。また、まさか少し酔っているとは言えこんな文章を書くとも思いもよりませんでした😊。以上を書いてきたことを…ジョークですといっても…真面目ですといってもそもそもこのフォーラムを見てる方を存じてますのでぼくが嘘をついてもバレます、ぼくは正月といえどもハメを外せないタチです😊結局今日のこの文章は何…まぁいいじゃありませんか正月です(詭弁)
明日から通常モードに戻ります、たぶん。
うまいなぁ安心して笑えます、面白がり方に年季が入ってるって感じ…恐れ入りましたのでもう寝ます、おやすみなさい、こんなわたくしめに付き合っていただきまして、何度でも言わしていただきますありがとうございます
おっしゃる通り笑いに理屈や理論は要りませんね。ただ、ブラックユーモアといって意地の悪い、あるいはひねった、ユーモアがあるように、笑いにもスカッとして楽しいもの、どうもモヤモヤしてしまうもの、さらには「嘲笑」なんてのもあるわけで。
私は結構笑い上戸なんです。というか、余り真面目で堅苦しいと不愉快なので、本来は真剣に取り上げるべき事柄も笑うべき側面を見つけて堅苦しさを薄めてしまう。子供の頃も社会人になってからも、それで随分「不真面目」と叱られました。
そうそう「荘厳と滑稽は紙一重」という諺がありますね。ナポレオンの言葉ですって。それが分かっていてあんな仰々しく重々しい、従って喜劇的な、戴冠式なんかしたのかしらん。これ、フランス語でなんというか正確には知りませんが、荘厳は確かsublimeでした。この諺と関連して日本人が「だから寄席では羽織袴なんだよ」と言っていましたっけ。西欧人の掛け合い漫才・独り漫才なんかも燕尾服など正装でやることが多いですね。
私が最近笑ったこと、年末に例年と変わらぬ賑わいのフライブルクへ買い物に行ったのですが、もうどの店も「接種証明を見せて下さい」と大変な騒ぎなんです。ホテル付属のちょっと洒落たカフェに入ろうとするとウェイトレスが「そこは出口ですから入口に回って下さい」と怖い顔で言う。「接種証明書を」というので、まず最初二回分はデジタルカードがあるのでそれを見せ、12月20日の接種は「デジタルがまだ届いていません」と言って紙の「接種パス」というのを見せると、これだけでは不十分、そのパスに記入してもらったとき何かもう一つの証明書があったはずだからそれを見せて、という。え~、そんなのあったっけ、と言って困っていたら、近くの薬局で何やらもらってくればOKとのこと、それも「ここをまっすぐ行って左側の薬局、右側のはダメですよ」・・・左の薬局から袖の下でももらっているんかいな。
亭主と「そこまでしてコーヒーを飲まんでも」と諦め、次にはカレンダーその他を買いに本屋に行くとまた接種証明、今度はパスにプラスして何かの書類をという要請はなく、OKの印に紙のバンドを手頸に巻いてくれて「これは他の店でも有効です」と言われ、やれ嬉しや。そこで買い物を済ませたあと、駐車場に歩いて戻る途中で庶民的カフェがあって結構賑わっていたので、入ってその手首の紙の輪を見せると、いや、これは当店では使えません、という。しょうがないので、前のカフェでやったのと同じくカードと紙のパスを見せ、なんかもう一つ要るみたいだけど、もってないのよね、とウェイトレスに言うとちょっと唸ってから「まあ、座って下さい。」この女性は明らかに非ドイツ人(多分ポルトガル人かバルカン人)で、だから適当に融通を利かせてくれたんだと思う。
腰を下ろして注文してから、「まったく、こんな騒ぎいつまでやるんだろう」と夫と話した。普通の接種証明ではダメな理由は、こちらフランスやドイツで偽のパスを作る商売が繁盛して、2,3千円でそれが買えるようになったためで、フランスでは「接種反対」の介護施設の長(女性)がこの偽証明書を使って逮捕されました。また偽造パスを使った場合の罰金は1万円ちょっとだったのがその10倍くらいになった。
接種に効き目がないとか無意味とか有害とかいう説はどの国でも結構強いので驚きませんが、そういう人が偽の証明書を使うっていうの、卑怯で姑息じゃない?どうどうと「不要!」と主張していればいいのに。
とまあ、機転のきく(ドイツ人に言わせるといい加減な)ウェイトレスのおかげでコーヒー飲んでケーキ食べられたんですけど、私はこの異常な状況を5年後・10年後とにかくコロナが終焉してから振り返って、みんなが「あの頃は気違いじみてたね」「何だったんだろう、あの騒ぎ」と自嘲する時が来るだろうと思って1人でクツクツ笑ってしまいました。
ドイツ人ばかりでなくフランス人、ベルギー人、オランダ人なども今や接種証明・接種証明って大騒ぎで、反対派はそれをナチズムとかファシズムに譬えていますが、確かにそういう側面はありますね。でも規則となるとドイツ人が一番余裕(斟酌の余地)がないんです。
20年ほど前にドイツに来たとき、禁煙運動は全然盛んでなくて、イタリアなどの方がレストラン等での喫煙に厳しかった。その点ではドイツ/オーストリアが一番遅れていた。普通には、これらの国が一番厳しいんじゃないか、というイメージがありますよね。
政府が禁煙を推奨しない理由は、国庫のためにたばこ税(すごく高い)が欲しいから、というのが正直なところだったけど、そのうち喫煙で肺がん患者が急増し「たばこ税では医療費を賄えない」と主張するグループが力を得て、他の欧州国なみに厳しくなりました。その当時私が聞いて呆れたのは、ドイツ人が禁煙に及び腰なのは、ヒトラーが禁煙派だったから、というもの。だから喫煙を弾劾する連中はヒトラーを想起させるというのです。
それで私は周囲の人達に、「ヒトラーは犬が大好きだったけど、ということは愛犬家はヒトラーのお友達なの」という疑問を投げかけました。(ついでにヒトラーは、バストの形がよくて脚のきれいな金髪女性が好みだったそうで、今の世でそういう女たちに鼻の下を伸ばしている男って、ヒトラーの手下なんですね。マリリン・モンローが好きな男はみんな「ナチ!」)
ね、ドイツ人って詭弁を弄するのはうまいけど、自説を客観的に判断する冷静な能力は欠いているんですよ。だから世界で一番薄いのは「ドイツのユーモア集」って言われるんだわ。