火の鳥(黎明編/未来編) : 手塚治虫 作 : 秋田書店2015年4月初版
黙って分厚い本を渡された、それがこの本だった、漫画だ、手塚治虫。昔の電話帳位の厚さたっぷり6センチはある、軽い、読み始めたら軽くなかった、面白い。渡してくれたご本人はこのマンガが描かれた頃生まれてなかったんじゃないか? 読みつがれていることにちょっと感動する。
(あとがきを読むと…この漫画を描くにあたって手塚治虫は、物語の結末がまた次の話の始まりになるようなそんな構成にしたかったようだ。手塚治虫の火の鳥の物語の未来編は…こんな風に始まる
340〜341ページ
西暦3404年…地球は急速に死にかかっていた
かつてそこには強大な帝国があった 青く満ち満ちた海原があった 幸福と安らぎと愛の讃歌とがあふれていた
だが いまでは
わずかに点在する沼と
その岸に力なくうろつきまわる小動物と
あとは…はえてはすぐ枯れていくはてしない下草の荒地だけであった
人類はいっさいを地下へもちこんだ 地下だけが残された最後のとりでだった
人々はここに「永遠の都」をつくった 「永遠」とつけたのは襲ってくるさみしさを 忘れようとするためだった
引用以上。
人間は自分の仕組みを検証するために意識を作り出したと考えてみる(ちょっと強引承知)。漫画の中の火の鳥の発言(385〜386ページで…火の鳥は…自分自身が地球の分身であり…地球は生きているのですよ 生き物なのですよ…と言っている)は手塚治虫自身の発言と考えてみると…「地球は一個の生命体」ととらえていることがわかる。
ぼくらに与えられているのは地球という一個の○。ぼくら自身もまた1個の○
そういう同定(アイデンティファイ)で○の中を検証すると言う事はどういうことか
孫悟空が自由自在に世界を駆け巡り、戻ってきてお釈迦様にさとされる…お前が動いていたのは私の手のひらの上…なんて話を思い出しました。
○は1つ(地球から生まれたということで人間と地球を=で結ぶ、他の動物も同じ…地球から生まれたと言う意味では1つの○)なのに人間の中には意識というもう一つの○、つまり○は2つ。1つは地球から生まれた生命(めぐりめぐってという意味)もう一つは、人間だけが持つと言われている「意識」。
人間だけが持つ? これもおかしな話だ。猫や犬に意識がないとなぜ言える! (これは、ぼくの勘違いで、もしかしたら誰も言ってないのかもしれません。アダムとイブが楽園追放になるずっと以前からぼくらは矛盾を抱えて、矛盾とともに生きてきたのかも)
何をどう合理化して考えてみても…ぼくらは、、、2つの○を抱えて…〇〇と行く🏃♀️🏃🏻♂️…しかない、、、あはは、おあとがよろしいようで、、。
この本を読み終えてどっと疲れが出ました。堂々巡りの疲れです。○を2つも持つぼくらは矛盾の塊、いささか強引でもそう覚悟すれば少しは疲れ方が違いますね、こんなことを考えさせてくれる手塚治虫よりも十数年も長生きしている事実に感謝あるのみです。
下町名物おまけ…
未来編からもう少し引用しておきます
人工頭脳にお伺いを立てるようになった未来の世界の中で猿田博士は自分の巨大なドームの中に人工子宮を作りその中でブラッドベリイが成長していくのを見ている(ブラッドベリイ青年は羊水筒の中で読書をしている)場面… 吹き出しごとに固めて書きます
373〜375ページ
おお ブラッドベリイよ きょうはまたなにを読んどるんじゃ?
ゲーテの「若きウェルテルの悩み」です
もうそんなものが読めるのかね?
猿田博士?
うん?
世の中ってすばらしいでしょうね
僕はもうこの筒の中はあきあきしました外へ出てみたいんです
だめじゃ その人工羊水の中から出たとたん おまえは死んでしまうぞっ
いろいろな本を読むにつけ…ぼくはもっともっと知識がほしくなります!
明けても暮れても見るものは研究室の壁ばかりだ
ぼくは緑の木や草や 青い空や小鳥たちの歌を…自分で感じたいのです
いいかブラッドベリイ それらの本に書かれていることはみんなもう何千年も昔の話なのじゃ いまの世界はそんなに楽しいところではないぞ
なんどもいうように地球は滅びかかっておる 本を読む いろいろ美しい想像をする そのほうがずっとしあわせなのだよ
ここからだしてください博士!! ぼくはもう外へ出ても平気で暮らせます
猿田博士はぼくをここからだすまいと思ってそんなことをおっしゃるのでしょう?
お前は人造生物なんだ 人造細胞から進化させた つくられた人間なんだぞ
なんども わしは人造生物を…外へだしてみた だがその人造子宮筒をでたとたん みんな死んだ…外では生きていけないのじゃ!
ぼくはちがいます ぼくは人間だ!!
ほかの動物ならともかく…ぼくはほかのとはちがうんだ!!
引用以上
(この後人工羊水から出た途端ブラッドベリは死ぬ)
いかがでしょうか、文字だけを追っていても場面が見えてくるような気がいたしませんか、何十年ぶりかで見た本格漫画恐るべし
私、小学校の4年ぐらいのときは「少女クラブ」を読んでましたが、リボンの騎士ってなかったような気がする。当時「少女クラブ」のライバルが「りぼん」でしたね。前者の表紙は鰐淵晴子、りぼんは松島とも子じゃなかったっけ。オーストリア人とのハーフの鰐淵晴子の美貌にはいつもうっとりしていました。どちらの美少女も歳とるとどうってことなくなったけど。あ、「なかよし」っていうのもあって、これは小鳩くるみが表紙を飾っていたように記憶している。
小鳩くるみは本名で音楽の先生(教授?)になっていたようですが、同時に歌も続けていて、彼女が歌う日本唱歌はやっぱり本格的で好きです。でも何たって好きなのは彼女の「青葉の笛」。これ、私は高校時代にみんなで歌って覚えたんですよ。クレマチスさんもそうじゃない?
火の鳥からえらく話が逸れて、ご勘弁。手塚治虫ってやっぱり「おとこのこ」の世界の人だから。
そ、そうなんですか!ぼくは、火の鳥と言う漫画がある事は知ってましたが(チラ見ぐらいはしたことはある記憶があります)、、この間、本を渡された時…あ、リサイクルに回せと言うことだなと勝手に思ってました。僕の家のリサイクル棚に少しの間置いておいた位です。いや、待てよ…読んでくださいと言うメッセージだったのかなあと思い手に取って読み始めたのです、ラッキーでした。手塚治虫に初めて出会った気分です。何事にもオクテな僕らしいと思いました😅
「火の鳥」が数ある手塚作品の傑作の中でも代表作であることは誰しも異論がないと思います。この作品を初めて目にしたのは小学校の低学年で、5歳上の姉が読んでいた少女漫画誌で、「りぼん」だとばかり思っていたのですが、念のためWikiを見てみると、「少女クラブ」だったようです。通して読んだのは成人してからで、虫プロの出していた大判の「COM」の分厚いペーパーバックの分冊版で「黎明編」はその時が初めてでした。ここで引用されている「地球は一個の生命体」という概念は今も私の意識を形成する基本概念になっているように思えます。