きもの:幸田文著: 新潮文庫1993年12月刊
題字に目を奪われる…き、も、の、、の、ひらがな。キくもの(聴くもの)、、とも読める。この人の字だなぁと思いました。装丁に使われている着物の柄もいい。ん?ここにたどり着けて幸運だと今思いましたが、、そもそもこのイモヅル、どの蔓?もしかしたらびすこさん?なら、先にお礼言っておきますね、ありがとうございます!解説文、あとがき、は読まないことが多いのですがこの本に限り何故か、本文読む前に、いわれ、みて、幸田文の最後の作、と知り、あ、いわば遺言ね、と、読む前に意気込む、さて、、
この人の小説を読むのは、おとうと、と、この本だけですが、、おとうと、の書き出し…確か…太い川が流れている…だったような気がする(違ったかも、、本を返却してしまったので確かめられません、まぁいいや)。この一言で作者がこれから始まる物語をどう読んで欲しいかがわかる、とにかく太い川が流れているんだ、にこめられた詮索無用、の無言のメッセージ、川は舞台装置の書き割りと同じ、それ以上でも以下でもない、、。この本の書き出しでも、まずため息が出る。その書き出し…
引き千切られた片袖がまんなかに置かれ、祖母と母とるつ子が三角形にすわっていた。つる子が叱られているのだった。
(期待が高まる、既に舞台の全景が見える…読書はこうでなきゃ!舞台の幕は上がったよ、わかったかい…僕のためにいま開かれた、そうなんだよ、これが読書だ!)
最初の1ページ目から目が離せない…るつ子が綿入れの筒袖胴着の肩のところがはばったくて嫌なので、左袖を力任せにちぎって屑かごに捨てちゃった、ってんだから怒られて当たり前。はばったい、、なんとなく自由がきかない、ちょっと気になるから…すごく気になる、、ってあたりの意味だろうと適当に考えておく、次のページをめくる、、なんて分析してたらキリがないのでここでストップ。と、、、そういうわけにはいかない…次のページも気になることだらけ。おばあさんの説得が良い。雪国育ちのるつ子の母親が綿入れに寒くないように余分に綿を詰めたその心根をるつ子に噛んで含めるように簡潔に言い渡す。悪かったと泣くるつ子。るつ子の輪郭も見えてくる段取り、なんちゅう手回しの良さ❣️一気に読むしかないだろ、、。
56ページまで読んだとき…「世間とるつ子が書けている」と思いました、偉そう^_^。(偉そうにしなくちゃいけない事情は後でバラします)
中学校に通いだしたるつ子は子爵の家柄の友達(朝霞ゆう子)の家へ、今で言う母子家庭の友達(和子)と自転車を教わりに行く、後に和子の家に行って一緒に練習する場面102ページ、、
「びっくりしたでしょ、あんまり貧乏で。朝霞さんのうちといい釣り合いよね。だから私、羨ましいという気が起きなくて、ああいい気持ちだ、と思っちゃうのね。私ね、あなたの家は、あたしね、あなたのうちは、私のとこと朝霞さんとこの中間じゃないかと想像しているの。ちがう?」
微笑したのが精一杯のところで、るつ子は出口のない袋へ落ちこんだに等しい。なにをいっても相手を傷つけそうで、おそれているのだった。
「あら、遠慮しないでよ。あたし達、わりに平気なの。だって、貧乏なのはほんとなのだから、いいじゃないかって気になってるの。あたし達たちが気にしないんだから、あなたも気がねしないでよ。」引用以上
(家庭状況の説明に無駄がない、その上登場人物の性格が明らかで掴みやすい…どう展開していくのか期待が持てる…つまり話について行ける、ポンポンポンと好いテンポここポイント、、一体何の指摘これ?)
るつ子が女学生とは言え年頃になり、電車の中で体を押し付けてくる男がいた話をおばあさんにするくだり、、それを聞いたおばあさんの返事
207ページ
でもあたしはね、るつ子の逢ったのが、その薄汚れのした下司な男でよかったと思ってるんだがね。そういうことをするて(て、は傍点付き)の男で、ちょっといい男ぶりのがあるんだよ。身なり小綺麗で、顔が利口そうで、口前がうまいし、そういうのに寄ってこられると、要心しいしい、悪い気持ちはしないんだねえ。」
「そんなの馬鹿よ。」
「そうさ、それで落とされちまっちゃ馬鹿さ。だが落とされないまでも、悪い気持ちじゃないんだね。こんな男があたしに付いて来るのかしら、と思うといい機嫌にうぬぼれちゃうんでねえ。るつ子だって案外、どんな気になるかわかりはしない。」
「いくらなんだってそんな下らないこと。」以下略…引用以上
着物の色合いや柄とからだとの相性について言及している場面がこの本の中によく出てくる、なんたって「きもの」と、わざとひらがながきして、なよっとした感じを出す位の人ですから幸田文、、で、人物画を描く人ならすぐ気がつくことですが、腰が決まっていれば太っていよう痩せていようとどんな服を着てもある程度決まる、つまり描く気になる、スポーツと同じだ、どんないい服を着ていても全く決まらない人はそのせいだと思う、今で言う体幹でしょう、もっと言ってしまえば肝(きも)だ、肝が座っていれば着物に「着られる」心配は無い、たぶん(今日はこの調子で全て偉そうに行きます)
251ページ
女の襟足についておばあさんとるつ子が語っている、襟足の美しさについてだ、ここで僕はオネーギンが女の足について書いていたと言う又聞きを思い出した。部分は全体を語る、か。僕は母の襟足を剃ってあげたことがある、その時言われた…坊主襟にしないでね、、説明を聞いてもわかったようなわからないような…要するに微妙な凹みを残せと言うことだった…僕はそれ以上聞かずにいたがこの本に出てくる三本襟足がそのことだろうとこの本を読んで見当をつけた(深く追求しない、襟足を見てきれいだなと思ったらそれが三本えりだと思えばいいや)
短い娘時分から異性への胸騒ぎ、結婚に至る心の揺れ動きが「どうしようもない日常」へなだれ込んで行くいきさつを一息入れる暇もなく最後まで読まされてしまった。ちょっと重い読後感。今に続く世間の圧倒的な同調圧力、家制度、人間の内なる衝動が理性的な周囲の判断を超えていく力、今も全く変わらないと思います。あー、るつ子は、幸田文か、ふー。
この小説を吐き出せて彼女はほっとしたのだろうか…中ぶらりん。
(読み進めるうちに兄と姉のことをしきりに思い出した。姉は僕のことを細かいことに気がつくわりに鈍いと言ったことがある。今ならその意味はよくわかる。言い当てられたと思った。兄が繊細な人だと分かったのも最近のことだ。要するに僕は都合よく鈍いのだ。誰かに感謝したい気持ち。
法事の席で、母が僕に言った、あの人お前のいとこだよ…初めて見る顔だった。言われてみるとそんな気がしてくるから不思議…やっぱり他人と思えない、すっきりした、おとなしめの女の人だった。今でもうっすら顔を覚えているが一度も口を聞いたことがない。興味がない?!貧しい下町の親戚も暮らし向きの良い親戚もめんどくさいと子供の頃から思っていた。おばあちゃんが母によく言っていたそうだ…親戚付き合いするんじゃないよ…お金がかかるから。めんどくさい人間関係が絡むともうだめだ。薄くて浅い付き合いが良い。親戚でも友達でも薄くて、浅くて、たまに深い付き合いぐらいがちょうど良い。向こうも多分めんどくさいことだろうが知らんふり。仙台に1年ばかり住んでいた時…僕自身の親兄弟親戚との付き合いのそういう関係を説明すると…そういう親戚同士の浅い付き合いに憧れるなーとしみじみと言っていた仙台出身の人がいた。それを聞いたときちょっと驚いた、まさかそう言うとは思わなかったので(味気ない関係と言われるのかと思ったから)…)
この本の着物に関するうんちくを聞いているうちにつらつら思った…公害のない江戸の澄んだ空気の中で着物の色も今とは多少違って見えたろうし着物の柄も素材の違いを吟味してそれぞれの人の肌色にも対応し得るほどの茶色にしても灰色にしても微妙な色の差の選択の幅の広さ(四十八茶百鼠)着映えを自慢しあったり貶したりして江戸の文化は作られていったのだと思いました。
微妙な色の差を楽しむ肌との相性、同じ柄でも着る人によって柄が人を選ぶ、色が人を選ぶみたいな楽しみ方、季節に合わせた素材の選び方、特に、使い勝手が良い時々の気分と状況に選ばれる木綿の記述が目に付きました(木綿への思い入れがにじんでました、もめんみたいな人になりたかったのかな、文さん)、また気を引き立てたり落ち着かせたり柄を見せ合い批評し合うことによって個性まで引き立たせる役目も請け負っていたろうと思う。それが毎日着るものだけに、素材の違い、仕立ての違い、経年変化による違い、おばあちゃんの口を通して関東大震災後の着物払底の状況でも原初、本来の着物の役割に言及していたりしてとても興味深い。布きれに首の穴だけ開けてかぶってアッパッパーをつくり、いずこも同じ焼け出された人たちの中に笑いを取り戻す、るつ子のおばあさん、ゆかい。
そしてこれを書いた幸田文は、、意識していたかどうかは別として、江戸文化は、、だんだん遠のいていく感覚だったのではないかと勘ぐってみました、着付け方で自分が主張できた時代が終わって今は洋服が全盛の時代これからどうなっていくんだか。髪型も服もあえて和装と言わなければ区別ができない時代になって和服が非日常となり洋服が日常となっていく時代の変化。女の体に託して時代背景を小説の形で残してくれたこと、次世代に対する、まさに遺言。本当に貴重な本だと思いました。着るものが人間の生活を変えていく。自分が住んだ文化が遠のいていく感覚の寂しさはどんなもんだったでしょうか。最後まで偉そう。
今日はずっと偉そうにしてたわけ…偉そうにしておかないととてもじゃないけど、小説なんか書く気が起きないから🤣ちょっとその予行演習をしてみました。
で何を書くか
男も女も役割は与えられるのではなくそれぞれが思い思いに自分のやりたいように羽を伸ばす世の中、そうすることができる世の中をイメージしてみたいのだ、世に言われているようなガラスの天井のようなものではないそもそもそれぞれが持っている力、世間の力と役割をいっぺん僕の華奢な頭で考えてみて、洗いざらい見直して、(頭の中は意外とスカスカでカラカラだったとしても)次に来る世の中の何か予行演習みたいなものをしてみたいと思うのです、小説なんてそんな偉そうなもんじゃない、書きたい人は誰でも書けるし誰でも書くべき、どんどん発表すべき、だって読みたいもん、他人の心、、、5歳の幼児でもわけのわからない、抑えようもない衝動があり、小学生でも小説が書ける、小学生でも愛について語れる?!ま、中学生としておきましょうか、そんなきたるべき時代の話もしてみたい。
あー長い遺言?だけに読んでいるだけで疲れた、文さん、、。
今日もお付き合い下さいましてありがとうございました。
(昨日は日ごろの静寂を破るバザーが狭い1階の部屋で行われていて2階までその熱気が伝わってきました。友人にお昼をご馳走になって、帰ってきたら…5歳前後の女の子が二人、ニ階の部屋をそこそこ荒らしていってくれました、押し入れは開けっ放し、机の引き出しから指ゴムを全部の指につけて遊んでました、非日常は面白い、日常だったらちょっと考える、あはは)
最初のページでいきなり出てきた「はばったい」という言葉、これは西日本でいう「ぐつが悪い」に相当するのだろうと察せられます。因みに(参考にはなりませんが)土佐では「ノウが悪い」って言います。ノウは脳ではなく能でしょう。
文さんは江戸の言葉をよく使いますが、前にも言ったとうり、最初関東独特かあるいは明治の名残かと思った言葉に結構馴染みのあるものがあって、子供がなかなか寝ないときにいう「目が堅い」と言う表現もその一つです。
貧乏な家庭と言えば、露伴は娘に「お前は赤貧洗うがごときの家に嫁るつもりだ」と言っていたそうです。実際はかなり大きな酒屋さんに嫁いだのですが、そこは倒産してしまって、赤貧ではないもののかなり苦労させられるんですね。
縁談が決まって嫁入り支度をする段で、露伴に呼ばれ、人に頼るな、(リウマチの継母は病気のためだけでなく世間知らずで何もできないので)介添えを頼めば母の手前角が立つ、一人でやれ、と言われたそうな。嫁入り衣装など何も分からないというと、呉服屋に助けを求めるよう指示されて、高島屋のご婚礼衣装承り所というところに出かけたそうです。番頭さんがいくつかのサンプルを持参すると、露伴は婚礼衣装などそっちのけで古い裂や新しい機の話に夢中だったとか。
その露伴が自ら選び代金を払ってくれた着物はどうやらぴったりだったようで、その時の父親の台詞がすごい。「どんな高慢な女でも一生一度はきっとどこかで我を折らずにはいられないような男にも逢うだろうし、どんな醜い女でもよく似合ったと云われる着物にめぐりあいもしようじゃないか」…これには私、無言。でも「馬子にも衣裳」なんてありきたりの台詞を口にしないところが、さすが文豪です。
また鴎外に話が飛びますが、こちらも娘さんの着物を自ら選ぶことがあって、悪妻で知られた志げ夫人が「パッパの選ぶものは反物としてはどうということがないが、仕立てて着せてみるとよく似合うんだよ」と言ったという話が伝わっています。
いちまるさん、「公害のない江戸の澄んだ空気の中で着物も今とは多少違って見えたろう」と書いておられますが、公害の有無もさることながら、やはり時代の空気、さらに地方の空気もあって、大正時代の東京での着物の色は今日とは異なる味わいだったことでしょう。そういえば、映画「おとうと」で継母役の香山美子さんの来ていたのが紺や薄茶の絣でしたが、これらがよく似合っていて、私も欲しい、と思ったほどです。昔の家は庇が長くてそれだけでも内部は暗いのに、廊下との仕切りになっている障子などでますます暗い。そんな中での雰囲気によく合う着物が選ばれていたように思います。
いつも思うことですが、日本語の色の表現はきれいですね。鈍色、海松色、利休鼠、茄子紺などなど。そういえば、最近「雀色時」という新語(?)に出くわしました。夕暮れの、空が雀色になる頃をいうんだそうですが、雀色の空という表現は思い浮かばなかった。
あ、そうそう、襟足の話。日本女性が全部そうというわけではなく、近年はますます襟足の毛の長い人は少なくなっていると思いますが、私はこれが長くて多いのです。それから「揉み上げ」も。いつもショートにしているのでこちらの美容院で襟足を剃るとき、「まあ、たくさん」と言われるのが恥ずかしい。揉み上げの方も襟足の毛も、日本髪を結うときはとてもいいいんですって。ところが私は日本髪にはできない縮れ毛なので、どっちの毛も役に立たない。美容院でめんどうがられるだけです。日本髪といえば、富士額などももてはやされましたね。
女性の和装もですが、男性の和装もいいものだと思うけれど、今ではほとんど見かけなくなりました。仲のいい友人が、お父さんの残した上等の着物を義理のお姉さんが二束三文でリサイクルに回した、とすご~く怒っていました。私たちの世代でさえ、男の和装を見ることは稀になっているので仕方ないのでしょうけれど。
高浜虚子の句に
・虫干しや父の結城のわが似合う
というのがありましたっけ。男性のものは圧倒的に結城紬が多かった。夏は白絣。明治も大正も、私たちの昭和も、遠くなりにけりです。
一昨日から泊りがけで遊びに行った友人が、近くに一風変わった衣類やアクセサリーを売っているFundgrubeというお店があるから今度一緒に行きましょうと誘ってくれました。Fundgrubeの元の意味は「豊かな鉱脈」というのですが、一般には収集物の宝庫という意味で使われます。写真を拝見して、あら、さっそくフントグルーベだわ、と思いました。
今日は三度目のワクチン接種でその前にお昼を作っておかねばならないので、感想文はまたあとでゆっくり書きますね。うんざりするほど長く書くぞ。