ホームレス中学生:田村裕著:ワニブックス2007年10月刊
図書館のオススメ本の棚にありました。たくさんの人の手を渡り歩いてきた痕跡は明らかで、それがこの本の誇りだ、と思いました。
11歳で母親を癌でなくし、13歳の時に家財を差し押さえられて父親の家族解散宣言で公園に放り出される。兄と姉には友達の家に泊まるからと安心させておいて…。小学生たちに襲われたり…自動販売機のお金漁りにうまく巡り会わなかった時は空腹に堪え兼ねて段ボールまでかじる羽目になる。死と隣り合わせのドキドキする展開なのだが、、友達との巡り合わせで家族親類地域の人たちに助けられて兄弟3人何とか歩み出す。高校1年生の時に女性教師(工藤さん)の手紙で…誰かのためになって早く死にたい…と言う思いを翻す転機となる。
133〜134ページ…
工藤さんからもらった一通の手紙。
僕の人生の価値観を根底から覆し、生きる希望を与えてくれた手紙。僕の人生の宝物のとなったその1通の手紙が、工藤さんとの出会いが、僕を救ってくれた。遡れば高校受験のときのお兄ちゃんのあの決断がこの出会いを生み、僕を救ってくれた。全ての事は繋ながりがあって、思いやりの行動はいつか必ず良い結果を生み出すのだろう。
僕はこの日スーパーでかっぱ巻を買って食べた。自分の望みをほとんど言わなかったお母さんが、僕のワガママを全部聞いてくれたお母さんが入院中にポツリともらした、たったひとつのささやかな願い。「かっぱ巻が食べたい…」
お母さんが食べたいと言っていて、食べることができなかったかっぱ巻を、お母さんの代わりに食べて僕はひたすらに泣いた。新しいスタートを切るために…。
次の日早めに学校に行って工藤さんにお礼を言った。
「僕は生きたいです」と伝えると、工藤さんはとても喜んでくれた。
教室に行き自分の席に座る。あんなにやる気のなかった僕にも、ちゃんと机と椅子があることを無性に嬉しく感じた。学校に行く気もなく、生きていく気すらなかった僕の存在を守ってくれていた机と椅子。僕が休んでいる時も僕の存在を守ってくれていたことが、いつもそこに僕の居場所があったことが、生きていることを実感させてくれて嬉しくなった。
周りの同級生や先生方が僕の変化に気付いていたかはわからないけれど、きっとこの日の僕は昨日までの僕とは別人な顔していたと思う。引用以上
食べ物が好きなように買えない経済状態で発見もある、2月に1度ぐらいお兄ちゃんが買ってきてくれる卵… 151ページ
…卵の凄いところは、いろいろな調理法があるということ。
ひとつの卵でいろんな食感を楽しむ方法を編み出し、いつもその調理法で卵レッツクッキング。
まず、ひとつの卵を割って溶き卵を作る。熱したフライパンに3分の1ほどを流し込み、スクランブルエッグを作る。また3分の1ほどをフライパンに流し込み、小さな卵焼きを作る。そして残った3分の1はご飯に直接かけて、卵かけご飯にする。これで田村家の3色卵定食のできあがり。
調味料は何も無かったので、味はあんまり変わらないけど、食感にだいぶ変化が出る。それだけでも、いつもよりは何倍も美味しくご飯を食べることができた。引用以上
著者も言っているが…低いレベルで幸せを感じると言うのは獲得能力だと思います。だってそのほうが幸せなんだもん、ないものねだりしてもしょうがない、もっと2枚目だったらもっと美人だったらもっとお金があったらもっと能力があったら…そんなもん羨ましがったってしょうがない、もっと言ったら美しさなんて人によって異なるしお金があったって使い方知らなきゃしょうがないし能力のある人がその能力のおかげで策に溺れてダメになることも僕なりに見てきた、容色が良いおかげでそれが能力と勘違いした人も知っている…ご苦労様です(それと真逆に、容色の良さを隠すため!?にわざとたぬきみたいな化粧をしていた人までいた)。何を美しく感じるかなんて人それぞれ。美人コンテスト、まだやってんだろうか。
僕はどんなお酒を飲んでも大体おいしいと思うしうまいのまずいのと言ってる人がちゃんちゃらおかしい。贅沢がダメだと言っているのではなく贅沢なんて人によって違う、何を贅沢かと思うなんてのも人によってまちまちだし、ということ。いろいろなレベルの贅沢を知っていた方が人生は楽しいだろう、贅沢したことあまりないので知りませんけど…でもそれはまた別の話、その話はまた別の機会に。
(13歳の彼と僕とダブる。小学生の時朝登校する前に家の中に他人が入り込んで家財道具に差し押さえの紙を貼りに来ていた…不安な気持ちのまま登校した。帰宅すると家はまだあった、当たり前、その後の事は記憶が薄れている。おじいちゃんが連帯保証人になって被保証人が返済不能になったのだろう、今考えれば…おじいちゃんの金繰りの一環だったかもしれない、父の奔走で家は半分になったけれど(残った半分が今の自由の庭)母は、この家はお父さんが頑張って残したと言い残した)
(思春期とはよく言ったものだ…ややこしい年代だ…どう過ごしたかが一生関わってくるのかもしれない、というか生まれてから思春期までと言い直した方がいいかもしれない。母のこと姉のこと兄のこと、甥っ子。姪っ子の事みんなその時代について僕なりに思い当たることがある、その頃の人間関係が人間形成に良いにつけ悪いにつけ色濃く反映される、ひいては地域が健全であって欲しいとやっとこの年になるとわかる…なんちゃって)
いちまるさんのブログって不思議、私が考えていたことを翌朝どんぴしゃ話題にしてくれる。まず卵料理。このところお客さんと食事せざるを得ない亭主のおかげで、料理しなくていい。そういうときの出番が卵。卵かけご飯でもいい、卵焼きでも。今日はもう、やる気ゼロもしくはマイナスなので、まずいメイドインヨーロッパのカップヌードルにポーチドエッグを載せて食べようかな、と思ってたところです。野菜❓チンゲンサイのおひたしでどう?
それで思い出した。先日話題になったエーリッヒ・ケストナーの作品に「点子ちゃんとアントン」というのがあるんですが、母子家庭のアントンが病気のお母さんのためにお昼を作る様子を金持ちの娘の点子(小さな点という意味の名前)が見ていると、アントンがスクランブルエッグを作ろうと掻き混ぜた卵に小麦粉を入れるの。卵の量を増やすために。
「生きたいです」って言えるの、羨ましい。私はまだ死にたくはないけど「生きたい」ってはっきり言えるかどうか。私の不在を悲しむ人がいるうちは、何とか生きなくちゃ、とは思いますが。思春期といえば、10代で一度、20代でも一度、本気で自殺しようとは思わなかったけど、ここで首吊ったらどうなるのかな、とは思ったことがある。昨夜それを思い出して、あのとき死んでいたら、こんなバアサンになっていやな記憶に悩むこともなかったのに、生きてて良かったんだろうか、としばらく考えました。あれからなんだかんだでとにかく生きてきたものの、その行き着く先がこれだったか、なんてね。
暗い話だなあって?だって欧州では最低の11月だもの。その11月も今日でお終いですが、外は一面の雪です。これから三月までどうやって元気出すべか。スペインから出稼ぎに来た働き者のPさんの4歳の息子は、一日中雪の中で遊んでいるとパパが笑ってた。彼に息を吹きかけてもらったら「生気」をもらえるかなあ。