さかさま博物誌青蛾館:寺山修司著:角川文庫1980年3月刊
73歳にして寺山修司と出会ったこれもまた図書館のリクエストコーナーに置いてあった本だ。どうしてこんなにリサイクルコーナーで出会うかと言うと図書館は僕の散歩コースの1つだからだ。たまにリクエストコーナーに先客があることがあるそういう時はその方が選んで残ったものを調べる、ほとんどの場合残り物に福がある。いちどわきからさっと本をとっていった人がある。懐かしい星新一の本だった。残ったものに興味があるのは…なぜ残ったかを考えるのが楽しいからだ。中古の家具でもなぜ前の持ち主が捨てたのかを考える。薄くて邪魔にならない隙間家具さえたくさんリサイクルに出てくる。やっぱり隙間は必要だと分かったのだろうか?
寺山修司は隙間が好きだったのではないかと飛躍して考えてみる、会って間もないというのに…。そういう偏見の目で人を見てみると面白い。あえて自分の目にバイアスをかける。そうするとうまく説明がつくことがある。だからといって安心すると危ない。わざとやっている場合があるからだ。こういうやつだと思わせて…遊ばれているのはこっち。それもまた面白いけど。だまされたふりしてこっちも遊ぶ…暇なときには。忙しい人時はほかを優先する、それだけのことだ人生と同じ。
なんて思いながら読みだして32ページに出くわしてこの人の面白さが少しわかった。この年でこの人に会って良かった忙しい時だったら多分目に止まらなかったと思う単なる面白い人で終わっていたろう、読みだして間もないのにこんだけのこと言う僕もどうかしてる、あはは。
彼のところに変な葉書が舞い込み続けてきて、ちょっとこわくなったと言う話の最後で… 33ページ
演劇にも戸別訪問演劇が出てきはじめたように、美術でも配達美術(メール・アート)というのが流行りだしたとしても、何の不思議もない筈なのだが。引用以上
(グッドアイディアだと思いました、ロボットに訪問させ、いろいろなサービスをする。というのはすぐ実用化できると思いました🤪)
次のページに首吊りの本と言う項目が出てくる。著者がロンドンの古本屋で買ったボブ・ニルソンという画家の描いたブラックユーモアの本がそれだ。35ページから引用します…中略…とてつもない大木の枝から首を吊ろうとしている中年男のカリカチュアがある…中略…シャツ、ズボン、バンドなどあらゆる衣類をむすんで縄がわりにしても、やっぱり首吊りの縄は首までとどかず思案に暮れている、というボーヨーとしたものだが、これほど高い枝からどうして縄を吊ることができたのだろうか、と思わせるところがユカイなのである。
もしサルか木のぼり男爵のようによじのぼって縄をかけたのなら、そのまま飛び下りるだけで、簡単に自殺できたは筈なのである。それなのに、また地上へおりてきて、縄と首との距離をはかっているところに、初志貫徹主義者の誇りが感ぜられて、ばかばかしくもおもしろい、ということになるのであった。引用以上
という具合にどの話も面白そうなので引用しているとこのコーナーがいつまでも続くことになりそうなのでこの辺にします。僕の暇つぶしのために書いてくれたのだと思いました。
と思ってまた読み始めたら見逃せない箇所が38ページにありましたので引用します、びすこさんの人物評について補完の意味もあるのかなと思い、、38ページから引用します
「不思議の国のアリス」の作者のルイス・キャロルは、本名をドジソンと言い、生真面目な数学の先生だったということは知られているが、来た手紙に全て番号を打って保存してあったという話はそんなに有名ではない。しかし、子供時代から、死ぬまで配達された全ての手鎌に手紙に番号を打って保存しておくどれぐらいになるのか数えようと思い立って、それを実行することには怖しい執念のようなものが、感じられてくるのであった。
(39ページの括弧書きの言葉も引用せずにはいられない、、、「かくして過ぎ去った歴史は、数学的法則の中にしか存在していない」と語った革命詩人も暗殺されて、物語の主人公の一人になってしまったのである。引用以上
本当にこれぐらいにしますキリがないということでこの本の紹介も終わります。この本の発売時の定価が390円だそうです。本て安いなと思いました。寺山修司はもちろんこんな紹介の仕方をされても文句の言いようがありません、いらっしゃらないので。
ルイス・キャロルはやっぱりエキセントリック、ex+centricでだいぶ円を外れていたのですね。それと、偏執狂的要素を持つ作家も多いですよね。
寺山修二って青森県出身で、青森で生まれた作家といえば太宰治が断然有名だけど、三浦哲郎とか石坂洋次郎(日活映画の作家としてしか知らないけど最近またブームらしい)などわりと意外な人がこの北の果で生まれてる。ちょっと住んでみたいような気がします。
図書館のコーナーで見つけた残り物の本の中に惹かれるものがある、というのは、衣服や身に着けるものとの出会いにちょっと似てるような気がする。服やアクセサリーは自分の好み・癖で選ぶのだけど、友達から贈られるとか何かで回ってきたものの中に思いがけず自分に似合うものがあったりして、自身の普段の嗜好から離れてみることも時に大事なのだなと思わせられます。