ふしぎの国のアリス:ルイス・キャロル作 生野幸吉 訳ジョン・テニエル画福音館書店1971年7月初版
図書館のリサイクルコーナーにありました、この本も。前ちょっと読み始めて読みさしになっていた本です。たかが童話だから頭が疲れた夜に読んでも、どうということはないと思っていて読み始め…一瞬…やはり子供だましと思ったのでパタンと閉じて寝てしまったのです。今朝起きて読み始めたら…子供たちがこの本を読めばこの世界に入っていけたんだ!と思いかえしたら、物語にやすやすと入っていける子供の凄さに今更ですが目が覚めました。老人になってもこの世界に入れるとしたら…これはやっぱり幸せと言うしかない。子供の気分が味わえる! 新しい発見です。年とるって面白い。やっぱり還暦って現実だったんだ、つまり子供に還る、なんてことを思えちゃう、いいぞ、童話。僕は次の個所あたりからだんだんひき込まれていきました。あんたは蛇だと鳩から言われてアリスは、、
68ページ
「たまごなら、たしかにたべたことがあるわ」と、もともとたいそう正直なアリスは言いました。「でも女の子はヘビとおんなじくらいたまごをたくさんたべるものなのよ」
「そんなこと信じるもんか」ハトは言いました。「もしたべるとしたら、女の子っていうものは、ね、ヘビの一種なのさ。わたしの言い分はこれっきりよ」
これはアリスにとってまったく新しい考え方でしたから、一、ニ分ほどだまりこんでしまいました。引用以上。
ルイスキャロル(本名チャールズ・ラトウィジ・ドジスン1831–1898)は子供たちに物語を聞かせた…聞かせてってせがまれたからね…でもって口からでまかせに気持ちの良い春の日差しを浴びながらたまに口笛でも吹きたい気持ちを抑えて眠くなるのをこらえて子供たちに付き合いました。話しているうちにだんだん自分も子供みたいに時代をさかのぼっていることに気がついてふと我にかえるのが惜しくなって話をダラダラ続けたのさ、せがまれるままにね、そしたら自分もその話の中に入り込んでしまっていて、いつの間にか自分も子供の昔にかえって、そんなことができるものかと思いながらも…遠い記憶を手繰り寄せているうちに、めんどくさいから自分が紡ぎ出す言葉の面白さに自分で弾みをつけながらでたらめ言っているうちに、その話に聞き入る子供たちのドキドキが伝わってきて、気がついたら言葉の湖にドボンとつかってしまって、、暖かい湖のボートの上で時々眠りそうになりながらも、その都度子供たちがデタラメの話の中に強引に入り込んでくるのでついつい自分もまたその話の中に戻っていって言葉がするすると口をついて出てきて、話す場面の展開の面白さにたまに自分も乗ったりして…言葉の続きをなんとか持たせたのは子供たちのくいいるような目の光が、先へ先へと言葉を紡がせて、その話を伝えきいた仲間たちから本に仕立てろと後押しされて1つの物語ができてしまいましたとさ、、、と言う僕の想像も多分に含む物語、あはは🤣
次の引用は物語の最後の文章です
物語の最後の方で…アリスを夢から呼び起こしたお姉さんはアリスが見た夢を聞いてから…アリスにお茶を飲んでらっしゃいと勧め… その後、妹の見た夢に思いを馳せます。
179〜180ページより引用
こうしてお姉さんは、目をとじて坐ったまま、自分がなかばは、ふしぎの国にいるような気がしたのです。目をあけさえすれば、すべてがいつものたいくつな現実に変わってしまうのがわかってはいたのですが。…草は風のなかでさやさや鳴っているにすぎないし、水たまりは、アシのそよぎにつれてなみを立てているだけでしょう。…がちゃがちゃ鳴る茶わんの音はちりんちりんとひびくヒツジの鈴の音に変わり、かんだかい女王のさけび声は、ヒツジ飼いの少年の声となるでしょう。あかんぼうのくしゃみ、グリフォンのかなきり声、そのほかいろいろな奇妙な音は(お姉さんにはわかっていたのですが)いそがしく人のはたらく農場の入りみだれた物音となるでしょう…そして遠くのほうで鳴くウシの声は、ニセ海ガメの重々しいすすり泣きに取って変わることでしょう。
やがてお姉さんは、この同じ幼い妹が、のちには一人前の婦人になることを心に思い描いたのでした。おとなになって、幼いころの、素朴でものをいつくしむ心を守りつづけ、まわりにほかの幼い子たちを集めて、たくさんのふしぎなお話をして聞かせて、子どもたちの目を熱心にかがやかせることを。そこにはたぶん幼いむかしに見たふしぎの国の夢の話もまじっているでしょう。そして妹は、子どもたちの素朴な悲しみを、同じ心で感じてやり、素朴なよろこびのそれぞれにたのしさをみいだして、自分自身の子どものころや幸福な夏の日々を思いだすことでしょう。
引用以上
この物語が1865年(明治維新は1868年)に発表されたこと、為にする:なんらかの意図、教育、道徳性が少ない子供のための本という当時としては斬新なこの物語の出版そのものがかたりつがれてゆく長い夢物語のような気がいたします。
この作家はちょっと普通の感覚では対することのできない人だったみたいで、クレイジーかつパーヴァ―ス。少女フェチとでもいうのでしょうか。天才の典型かもしれませんね。気の小さい私は大人になってから読んでよかったと思います。スペードの女王がすぐに「首をちょん切っておしまい」というのがおかしくて笑ったけど、子どもの頃だったら笑えなかったでしょう。
よく、英文学を学ぶ人にはギリシア神話と聖書とシェイクスピアが必読の書と言われますが、英語のみでなくその他の言語で書かれた小説・物語で「不思議の国のアリス」からの引用や造語はとても多いので、これも必読だと思う。
あと、これは挿絵がとてもユニークですね。 あ、そういえばよく引用されるアリスの台詞。“I’m sorry, but how can one possibly pay attention to a book with no pictures in it?”.