わたしが子どもだったころ:エーリヒ・ケストナー作:高橋健二訳:岩波書店:ケストナー少年文学全集7:初版1962年8月刊
中古品を取り寄せたつもりだったのだが…ブックケースにおさまってやけにきれい。初めて手にする人のようにまっさらのブックケースから引き出して開こうとすると…初めて開く本であること、しおり紐も1度も手に触れたことがないことがわかる。初めてこの本を手にしてちょっとワクワクしながら読む少年の気持ちに戻って読むことにいたします。それにしても昔ながらのハードカバー、丁寧な製本で、表は汚れにくいようにアート紙、裏は梔子色:くちなしいろの和紙、手にした瞬間に手のひらに感触が残る、忘れてしまいそうな記憶、さて、ページを繰る、、、
前がきのない本はない
親愛なる子どもたちと
子供でない人たちに!
と、物語が始まりました、、、油断していない子供心の「つかみ」は万全だぁ、あはは。
他に読まなければならない本があったのですが今日は興が乗ったので読み進める… 53ページから54ページをめくった途端…この本は読まなければならない本になった
53ページ中略…だが、他方では、もし私と言うものが存在しなかったら、私は、この世にいないと言うことを、残念がることもできないだろう!だが、私は存在している。私は実際それを本当に喜んでいる。人は生きることから多くの喜びを得る。もちろん腹の立つことも多いだが生きていなかったら、何を得るだろう?喜びなんかない。マジで腹の立つことなんかない。何もありゃしない!全然何もない!それなら、まだしも腹の立つことのある方が良い。
引用以上
こんな子供にでもわかる明々白々なことを恥ずかしげもなく公言するケストナーを嫌う子供はいるだろうか?
住んでいたドレースデンについての記述がありました、59ページ
ドレースデンは、芸術と歴史に満ちた、すばらしいと都会だった。しかし、六十五万のドレースデン人がぐうぜん住んでいた博物館ではなかった。過去と現在とがたがいに一つのひびきをなして生きていた。じっさいはニつのひびきをなして、といわなければならないだろう。そして、エルベ川、橋、丘の斜面、森、地平線の山々などの風景とともに、サンマガマンサつのひびきをさえなしていた。歴史と芸術と自然が、マイセン寺院からグロースゼードリッツ王城公園にいたるまで、町と谷の上に、自分自身の和声に魅せられた協和音のようにただよっていた。
引用以上
子供にとっては大人の視線と違う風景と風俗がさぞかしまぶしかったろうと思います。戦争で五万とも十万とも言われるドレスデンの空襲で亡くなった人たちと廃墟を見たケストナーの気持ちは少年の時に見た美しい風景の絶望的な喪失感が想像できますよね。京都奈良が仮に失われたときの気持ちを思えば何とか想像がつきます。
さりげない挿話なのですが、僕が気になった箇所があります。近所に住む少年のことです。… 82ページ
彼はわたしに石を投げた。足をかけた。うしろからわたしを突きとばして倒した。彼はアパートの入り口で、何も知らずにやってくるわたしを待ち伏せしていて、なぐってから、わめきながら逃げた。わたしは彼を追って走った。追いつくことができると、彼はひどい目に会った。わたしはびくびくしなかった。だが、わたしには彼がわからなかった。なぜ彼はわたしを襲ったのか。なぜわたしをそっとしておかなかったのか。わたしは彼に何もしはしなかった。わたしは彼がとても好きだった。なぜ彼はわたしをいじめたのか。
ある日、わたしがその話をすると、母はいった。「おまえたちがまだ乳母車にすわっていたころから、もうあの子はおまえをひっかいていたよ。」「でも、いったいどうして?」とわたしは面くらってたずねた。母はしばらく考えこんでから、答えた。「たぶんみんながおまえをとてもきれいだと思ったからだよ! おばあさんたちや、植木屋さんたちや、保母さんたちは、わたしたちのベンチのそばを通りすぎる時、おまえたちの乳母車をのぞくと、おまえのほうがあの子よりずっとかわいいと思ったんだよ。みんなが口をきわめておまえをほめたよ!」「あの子にそれがわかったというの?赤んぼうなのに。」「ことばはわからないけれど、意味はわかったんだよ。みんなのことばの調子でね。」「それをあの子はいまでも思い出すの? ちっともわからなかったのに。」「たぶんね。」と母はいった。引用以上。
サラリと書いていますが僕はケストナー少年が受けた印象は浅からぬものがあったと思います、右も左もわからない赤ん坊から持っている人間の本能がその後の本人に及ぼす影響の強さについて考え込むきっかけの1つになったのではないかと。ここを見逃すと少年時代の重大さを見逃すことになると僕は思っています。生まれて間もない子供と母の信頼関係がかなり早い時期に築かれると言う事は育児の専門書に任せるとして、ケストナーが子供に呼びかける真摯さの根がこの辺にあると僕は思いました。また別の箇所では鉄拳教師の異常さと尋常さを見つめる瞳の確かさ…言語化しないだけにかえって全体をつかめる子供の目に信頼を置いているのはケストナー自身の体験からだと思いました。母親のお腹にいるときに少ない情報の中から確実にセンサーが働いていることを思えば、ケストナーがおそらく目をつけたその感度の良さは注目していいと思いました。これからの研究がその辺は明らかにしてくれるのでしょうね、きっと、全生涯に及ぼす影響の強さも…。人って、厄介で複雑な生き物だなぁと思います。
母がケストナーの将来のために働きすぎでノイローゼになり川に飛び込んでしまうのではないかとケストナーが必死になって探す場面が何度も出てきます。子供の頃何度も母を探しまわりそのたびごとに何とか母を探し当てるのだったが、そういう子はどんな子になるだろう。どんな母になるだろう。
ケストナーはまた馬の売買で大儲けする3人のおじさんのことを書いている。特に若い時から商売のことしか頭にないフランツおじさんと、そのおじさんに下女のようにかしずくリーナおばさん(お父さんが炭坑夫であったことが本に出てくる)のこと。ケストナーはフランツおじさんの別荘で遊んでいる時、金銭泥棒の疑いをかけられる。おばさんの勘違いだったのだが…ケストナーの母親は謝りに来たおじさんをすげなく帰す、、
197ページより以下引用
中略…「どう思う?」と母はたずねた。「忘れることにしようか。」「そうしようよ。」とわたしは答えた。「じゃぁ、いいよ。」と母はいった。「それが一ばんいい。なんといってもわたしのにいさんなんだからね。」
見落としそうな何気ない会話にお互いに信頼を置く母子の関係が伝わってくる。
世界戦争がはじまった。わたしの子ども時代はおわった。、、、と、239ページであとがきを残して子供時代は終わりました。
(等身大の自分のことを一生かかって子供たちに語りかけたのかなと、その真剣さに感動しました、実直でごまかしの仕事ができない父親と…それほど好きではなかったにもかかわらず姉たちの勧めで一緒になった母親の間に挟まって両方を取り持たなければならないケストナーの気持ちも子供たちに伝わるように書かれていたように思います、こんな例は今でもごまんとあるのだと思いました、子供は本当に忙しい)
写真を見て「あれ、2冊?」と思ったのですが、ブックケースだったんですね。
エーリッヒの父親は実は彼のホームドクターだったユダヤ人の医師だなんて噂がありますが、それはどうでもよくて、それより、一人っ子であることを少しも残念に思わなかった彼が、クリスマスにだけは二人の親の愛情過多に押しつぶされそうになって兄弟がいたらと思う、その困惑と悲哀は身につまされます。一人っ子だったことはないし、そしてこれも私自身経験してはいないけど、子供が困惑し、ときに「こいつら馬鹿か」と言いたくなるのは、親たちの「お父さんとお母さんと、どっちが好き?」という質問。
親業はやり直しがきかないし、経験がないままに親になるから、たいていたくさんの失敗をするのだけれど、親の基本的な心得というものを教える機会や制度が必要だと思います。親にならない人にとっても必須ですよ。
・複数の子供の差別をしない。
・父と母とがそれぞれ相手の親戚の悪口を言わない。
・「生むんじゃなかった」なんて絶対に言わない。
等々
私は、恐ろしく厳格だった担任教師(プロイセンの将軍みたい)とエーリッヒが一緒に山に上る話が好きです。教師の孤独が伝わってきます。その頑固さに対して、何だか「母性本能」とやらまでくすぐられる。
わが亭主は、いかにも彼らしく皮革加工職人だった父親のエピソードがすっかり気に入ったようでした。あまりに腕が良くて品質が高いので、ちっとも古びない・壊れない。ランドセルなんか三代に渡って使える、だから新しく買う必要はない。そのため作っても売れず商売が成り立たない。(最終的には一家を養うために大量生産の近代的な工場で働き始める。時代に取り残されて、どんなに残念だったことか。)
彼(亭主)はこの本を読んだあとしばらくエーリッヒの父親の話をみんなにして、顧客などは「俺、なんでこんな話を聞かされるのだろう」という顔をしているのが可笑しかった。