人材水脈(日本近代化の主役と裏方):小島直記著:中公文庫1983年8月刊
もう言わずと知れた岡島商店の100円本だ。裏表紙にこう書いてある… (裏表紙より引用)
道半ばにして凶刃に斃れた幕末の思想家横井小楠の開明的な精神を受け継ぎ、世界的視野をもって維新から現代まで日本の近代化に努めてきた四十七人の男たちの人生に、人間の生き方の根源をさぐる
(引用以上)
肥後の学者、横井小楠(よこいしょうなん1809〜1869年:大楠公、楠正成くすのきまさしげ、にちなんだ名前とか)は最初に出てきます。10歳の頃藩学時習館に入学し以来とんとん拍子で秀才の道を歩むのですが、エリートコースの仕上げの江戸留学、昌平黌(東大の前身)行きを命ぜられたところから事態は大きく動き出します、この時小楠32歳。陽明学を独学し、中江藤樹、熊沢蕃山、佐藤一斎、大塩平八郎、佐久間象山、高井鴻山などの人材水脈につながる、とあります、10ページあらまし。
御用学者に仕立て上げようとした肥後藩はあてがはずれ、問題児は国もとへの帰還を命じられます。冷や飯食いをしつつ、実学を目指す私塾を開いたのは35歳、後に活躍する俊秀を育てる。43歳の時諸国遊歴の旅にのぼり越前の福井で藩主松平慶永(春嶽)といろいろあってつながっていくことになる。外形的権威などゼロに近い田舎塾のあるじであった小楠を見抜いた福井藩主との出会いが小楠をして動乱期の名指導役をつとめさせ、多くの人材を育成した(13ページ概略抜き書き)、、と、ありました。
横井小楠の薫陶を受けた、時代の動きに明敏な人物たちは、例えば越前藩を立て直した三岡ハ郎(のち由利公正)から坂本龍馬へとつながっていく(あまりに端折りすぎましたけど(笑) )。
のちに新政府に迎えられた小楠はしかし、明治2年1月5日、太政官から帰る途中待ち伏せされて刺殺された。
99ページに郷 純造について書かれています、、、渋沢栄一が代官に侮辱され、武士になって見返してやると発奮したのは17歳だが、美濃の国(岐阜)の豪農のせがれであった純造が同様の決意で江戸出奔を企てたのも17歳である。出世太閤記そのものの生涯であったようだ、ロングストーリーショート…短く言いますと、、いろいろあって、土地の値上がり益で財を成し、、、(以下99ページより引用)
明治4年の廃藩置県の後、政府が最も手を焼いたのは諸藩の旧債処理で、このため5年2月、大蔵省内に負債取調掛をおくこととなった。そのとき主任としてこの問題に専念したのが大蔵少丞郷純造である。(引用以上)、、、となる。
後日談があります…純造のせがれの誠之助(後の男爵郷誠之助)がその財産の1部を分けてもらったのは25年、28歳のときである。
102ページより引用、、、「これを勝手に使うがよろしいですか」父にたずねた。
「よろしい」
と純造は答えた。そこで「この財産を滅茶苦茶にする本当の道楽がこれから始まった」。その道楽には一つの方針があった。吉原をふりだしに、その土地でもっともアバズレの芸者をよび、遊びというものを徹底的に鍛えてもらった。それから、下谷、柳橋、新橋、日本橋、赤坂と順番に遊んでまわる。遊びのお金は掛にはしないで、赤い皮の財布に現ナマを入れておいて、その場ではらった。当時は、お茶屋も一流、芸者も一流どころを5、6人呼んでも15、6円という時代である。
…中略…そういうわけで、コースを順々にまわって、2年目ぐらいに赤坂までたどりついた時、おやじの金はなくなっていた。引用以上。
こういう話は女性には…「おや、まあ、ばかみたい」な話ですね、失礼しました。男の色の道?の話、遊びの話なんて思い切ってやったところで所詮はこんなもんだと思います(やっかみ半分の私見)。でもまぁ早いとこ女っ気色気を抜いて国家のために馳せ参じるという見方もできないではありませんね。僕の友人なんか早いとこお見合いで学生結婚させられて、、、その後どうなったかというと、、僕が最後に見たのは単なる大酒のみのサラリーマンでした、40年前…あはは。
取り上げられている人物を目次もろとも載せます、、、番号は僕がふりました。カッコ内も目次に付記されていたものです。
1 横井小楠(実学説き弾圧受ける)
2 由利公正(「御誓文」起草に小楠の影響)
3 安場保和(小楠塾へ通わせた母)
4 山本条太郎(吉田茂とは従兄弟同士)
5 岡倉天心(牛鍋囲んで逍遥らと文学論)
6 元田永孚(明治天皇に論語を講ずる)
7 團琢磨(先見の明「鉱山学」志す
8 上田安三郎(三池炭販売に奔走)
9 頭山満(気骨の知事安場と意気投合)
10 成島柳北(「柳橋新誌」で藩閥政府を批判
11 山路愛山(終生変わらぬ蘇峰との友情)
12 五代友厚(グラバーが決定したその運命)
13 井上馨(長崎で新式銃を購入)
14 大隈重信(人間くささが呼ぶ魅力)
15 土井通夫(鴻池の家政改革を実現)
16 中井弘(別れた妻は井上馨と…)
17 左近允隼太(西郷軍に加わり散る)
18 大久保利通(渋沢栄一と犬猿の仲)
19 郷純造(「幕末太閤記「戸津コツコツと財築く)
20 郷誠之助(道楽から一転、会社再建の名人に)
21 小栗忠順(政治の暴力性に泣く)
22 蜷川新(反体制精神を貫き1心をえぐる)
23 小室三吉(買われたその愛社精神)
24 馬越恭平(かつての部下を会社再建に登用)
25 石光真清(軍人やめて諜報活動)
26 徳富蘇峰(福地桜痴を慕い記者志す)
27 三木武吉(山形家門前で毎晩演説ぶつ)
28 原敬(「ひとやま」あてて宰相となる)
29 陸羯南(健筆、青年の血わかす)
30 長谷川如是閑(記者時代に陸羯南の影響受ける)
31 杉浦重剛(議員を辞し「稱好塾」興す)
32 大町桂月(酒客・中毒で筆動かぬ時も)
33 岩波茂雄(重剛に直談判し特別入学)
34 浜尾新(謹直で人格第一主義)
35 正岡子規(幸田露伴の評で小説を断念し俳句に)
36 安岡善次郎(趣味に生きた実業家)
37 大岡喜八郎(功成り、風流の日送る)
38 伊庭貞剛(栄達よりも心の平静)
39 野田卯太郎(益田孝にほれこまれた大食漢)
40 小泉策太郎(「国民之友」読み開眼)
41 深井英五(牧師を志し同志社へ、しかし)
42 高橋是清(蘇峰門下生に救われる)
43 田中義一(三申の影響で政界へ)
44 三宅雪嶺(スゴ味のきいた筆誅)
45 福沢桃介(体験からの処世術を説く偽悪派)
46 安岡正篤(東条憲兵政治の病根をつく)
47 八代六郎(「真の序」知る老提督)
目次を見てこの本を読みたくなったらぜひご覧ください、Googleで検索する人物像とはまた一味違った人物像が浮かんでくるかもしれません、当方下駄箱改造本箱に置いておきます。
この本で取り上げられている一人一人はわずか数ページです、でもそのどのページも読み飛ばすことはできない、心がこもっているからです、道端に売っていたたった100円の本が73歳の僕を鼓舞する。
(人を見る目の確かさに支えられていろいろなな人が発掘され、その後国のために役に立つと言うのは確かにその通りだったろうなと思います。その中で、人を見る目のない暴漢に襲われ無残にも斃れていった人もたくさんいたのだろうと思います。
人を見る目を養う事は確かに大切だと思いますが、というかそれがなければまともに生きていけないような気がしますけれども…それでも僕はあえて言いたいのですが…良い人に出会いたい気持ちがまず大切だと思いました、偏見とか先入観に先行する出会いたい気持ち、進取の気性を保つことが、見たり、見られていく、期待したり、期待されたりの人間関係の中で人を見る目を養うような気がしました。人を見る目がない僕がこれを言うのもちょっと恥ずかしいですが…人の離合集散は何が良い悪いではなくて気が合う、合わないというある意味ずさんな分析、あるいは各々の都合による事情によってその後の道が分かれていくこともあるのだなぁとつくづくこの本を読みながら思いました😅)
47人中、この私でも知っている(名前だけ、だけど)人がかなりいますね。一人一人の生涯を辿ってみたら、たくさんの大河ドラマが書けるでしょう。当然これらの人は単独で生きていたわけじゃないので、互いにどこかですれ違ったり衝突したり、しばし仲良く遊んだりしているだろうから、そういう遭遇や決別がドラマですね。
ちょっと話が逸れますが、先日読んでいた本に「支那浪人」というのが出てきて、これは大陸浪人とも言ったそうで、その中に割と多かったのが不満士族だったそうな。上にリストアップされた人物の多くも、不満を募らせていたのでしょうね。国のため、民のため、という高尚な動機もあったでしょうが、根底には「面白くない」という気持ちがあって行動に走ったのだと思います。
そこそこ日々の生活の安定が約束されていると、型破りの人間は出ませんね。「世の中、お利口さんばかりで疲れません?」というところ。