日本の名匠:海音寺潮五郎著:中公文庫1978年2月刊
とりあえず暇ができたら(年中暇なのにこういう言い方もおかしいけれど…創業塾に出たおかげでお新香研究会の種が見つかったし、その研究会の会員募集の広報依頼も昨日済んだ、ついでに期日前投票前も済ませ…さて次は何をしようかと言う所…やることなければかねてから用意していた小説でも書こうかな、楽器の練習でもしようかなと思っています、とにかく今年はもういいや)暇つぶしに読む本として岡島書店の100円本の中の1冊を今朝取り出して読みだした。読めば面白いのはわかっている海音寺潮五郎、講釈師のよどみない畳み込むような説得力のある語りそのまま、刀匠、虎徹の項から息もつかせず読まされた。ちょっと古い文庫本とて、字が小さいにもかかわらず、「読まさせられた」感じ。
導入部の一頁まるまるを紹介します…
9ページより引用… 虎徹
日本の職人の伝記は大体において不明である。なかでも刀鍛冶のことはわからない。日本では、刀剣はほぼ西洋における宝石ほどに宝物視されたので、西洋で宝石にまつわる伝説や秘話が多いように、名刀にまつわる話は多いのだが、それを製作した匠人のことは、ほとんどわからない。居住地と、仕事をした年代のあらまし、技量の系統くらいはまあわかるが、それ以上のことはわからないのが普通である。
製作者としては、これは最も本懐なことかもしれない。芸術家は作ったものだけで世の中と接触していればよく、その他のことは余計であると、ぼくはいつも考えているが、刀鍛冶と刀との場合はそれだからである。引用以上。
引用を続けます
18ページ
虎徹一門の作刀が切れ味がすぐれていたのは、いろいろな原因があるが、その最も主たるものは、製鉄の技術に特殊なものがあったといわれる。古い鉄を原料に使ったというのだ。古釘や、古いいかりや、古い鍋釜や、古い鋤鍬や、つまり古い製鉄法でこしらえた鉄を見つけて来ては、それを原料としたといわれている。新刀時代になると、西洋の鉄が南蛮鉄として輸入されるようになり、刀匠らの多くはこれを使って製刀したのだが、西洋の製鉄法は高熱をもって処理するので、鉄の処女性が失われるといわれている。虎徹はここに気づいたのである。だから、はじめ彼は古鉄入道と号している。後に音が同じである虎徹に改めたのである。引用以上。
この話のどこが面白いかと言うと…僕はその怪しさにあると思うのです。何が、鉄の処女性なんだか説明もないまま、あまつさえ古い製鉄法に一貫性があったと言えるわけでもないのに話を端折って興味を持たせる。これはもう…洋の東西を問わず怪しさは妖しさに通じて、、、惹かれる、この著者の話の展開のうまさはここにあると勝手に理解して本をパタンと閉じて、フォーラムで書いて行くつもりのもっともらしい小説の種にいたしまして、朝食にします、あーお腹すいた😩
(刀匠の後…陶工、と続き、なぜか「武将の運命」となり、日本の名匠、とのタイトルからずれますが、ま、固いこと言わないのも、「読ませる」コツなのかもしれないなと思いました😬🙄)
自分のコメントに自分で「いいね」してるんですが、これ間違いですので(まるで気づかなかった)無視して下さい。